篤姫の駕籠里帰りへ、12月から「珠玉の輿」展で公開(読売新聞) - goo ニュース
[9/24分] 米ワシントンのスミソニアン博物館が所蔵する絢爛豪華な駕籠(女乗物)が、13代将軍徳川家定の正室、天璋院篤姫(1836~1883)が婚礼時に使用したものであることが、江戸東京博物館の斎藤慎一学芸員の調査で確認された。
駕籠の本体部分は幅95・7cm、長さ134・4cm、高さ136・5cm。黒漆の地に金の蒔絵で二葉葵をあしらった唐草文様が描かれ、随所に徳川家の家紋「三葉葵紋」と近衛家の「牡丹紋」が配されている。
斎藤学芸員は、篤姫の婚礼道具について書きとめた「篤姫御方(おんかた)御待請(おまちうけ)并御婚礼御用留(ごようどめ)」(国立公文書館所蔵)に、同一の二葉葵唐草文様の図案があったことや、この文書中の調度品検品リスト(安政3年〈1856年〉9月29日付)に「黒漆二葉葵唐草両御紋付 御輿(おこし)(女乗物のこと) 一挺」の記載があったことなどから、篤姫婚礼時に幕府側で制作した駕籠と断定した。
また、江戸東京博物館が所蔵する家定の生母本寿院が所用の駕籠「黒塗梅唐草丸に三階菱紋散蒔絵女乗物」と内装の図案や外装の金具の付け方などが酷似していることも、この判断を裏付けた。
この駕籠は、スミソニアン博物館が1984年にロンドンのオークションで落札したが、来歴は不明という。
[参考:読売新聞、共同通信]
備考
二葉葵: 京都賀茂神社の神草で有名。賀茂神社の神紋も「葵」。葵は古くはアフヒといい、「饗ふ日」で、神を饗応する日の意。
三葉葵: 徳川家の三つ葉葵の原形は、二葉葵といわれる。この二葉葵を紋とするのは、大概が加茂明神信仰から出ている。松平氏は、室町時代は加茂朝臣と称しており、加茂神社の氏子であったこと。その時に葵紋を使ったらしい。
牡丹紋: 牡丹紋といっても、写真で見る限り近衛牡丹紋である。
丸に三階菱紋: 本寿院(1807~1885)の実父は幕臣・跡部正賢(あるいは跡部正寧)。跡部氏は甲斐源氏庶流・小笠原氏からの分流で、信濃国佐久郡跡部(長野県佐久市)を本貫地とする。途中滅亡などがあり系譜が不明であるが、丸に三階菱の家紋を使用したと見られ、同系の出身らしい。
[9/24分] 米ワシントンのスミソニアン博物館が所蔵する絢爛豪華な駕籠(女乗物)が、13代将軍徳川家定の正室、天璋院篤姫(1836~1883)が婚礼時に使用したものであることが、江戸東京博物館の斎藤慎一学芸員の調査で確認された。
駕籠の本体部分は幅95・7cm、長さ134・4cm、高さ136・5cm。黒漆の地に金の蒔絵で二葉葵をあしらった唐草文様が描かれ、随所に徳川家の家紋「三葉葵紋」と近衛家の「牡丹紋」が配されている。
斎藤学芸員は、篤姫の婚礼道具について書きとめた「篤姫御方(おんかた)御待請(おまちうけ)并御婚礼御用留(ごようどめ)」(国立公文書館所蔵)に、同一の二葉葵唐草文様の図案があったことや、この文書中の調度品検品リスト(安政3年〈1856年〉9月29日付)に「黒漆二葉葵唐草両御紋付 御輿(おこし)(女乗物のこと) 一挺」の記載があったことなどから、篤姫婚礼時に幕府側で制作した駕籠と断定した。
また、江戸東京博物館が所蔵する家定の生母本寿院が所用の駕籠「黒塗梅唐草丸に三階菱紋散蒔絵女乗物」と内装の図案や外装の金具の付け方などが酷似していることも、この判断を裏付けた。
この駕籠は、スミソニアン博物館が1984年にロンドンのオークションで落札したが、来歴は不明という。
[参考:読売新聞、共同通信]
備考
二葉葵: 京都賀茂神社の神草で有名。賀茂神社の神紋も「葵」。葵は古くはアフヒといい、「饗ふ日」で、神を饗応する日の意。
三葉葵: 徳川家の三つ葉葵の原形は、二葉葵といわれる。この二葉葵を紋とするのは、大概が加茂明神信仰から出ている。松平氏は、室町時代は加茂朝臣と称しており、加茂神社の氏子であったこと。その時に葵紋を使ったらしい。
牡丹紋: 牡丹紋といっても、写真で見る限り近衛牡丹紋である。
丸に三階菱紋: 本寿院(1807~1885)の実父は幕臣・跡部正賢(あるいは跡部正寧)。跡部氏は甲斐源氏庶流・小笠原氏からの分流で、信濃国佐久郡跡部(長野県佐久市)を本貫地とする。途中滅亡などがあり系譜が不明であるが、丸に三階菱の家紋を使用したと見られ、同系の出身らしい。