財団法人茨城県教育財団より、田崎遺跡・姥久保遺跡の一般公開のお知らせが出ています。
霞ヶ浦に流れる恋瀬川の河口近くには、県内最大の前方後円墳・舟塚山古墳があり、その北西0.6km先に田崎遺跡、その先恋瀬川を渡って北西2kmに姥久保遺跡、そして再び河を渡って北北東1.5mに常陸国衙跡があります。
田崎遺跡
田崎遺跡は、恋瀬川左岸の河岸段丘縁辺部(標高20~25m)に位置し、北東約1kmに全長186mを誇る前方後円墳・舟塚山古墳(5C半~6世紀前半)があります。平成20年8月上旬に調査に着手し、竪穴住居跡32軒、溝跡4条など、古墳時代から中世にかけての遺構が確認されています。
姥久保遺跡
姥久保遺跡は、恋瀬川右岸の台地上(標高22~23m)に位置し、すぐ東側には全長65mの前方後円墳・熊野古墳(5c前半)が隣接しています。
今年度の調査では、第9号溝跡で緑釉陶器、須恵器大甕片、瓦片が出土し、平安時代初頭のものと考えられます。富豪層の居宅あるいは役所に関係のある施設が存在していた可能性が考えられます。
ほかに確認された主な遺構は、古墳時代から平安時代にかけての住居跡31軒、奈良・平安時代の掘立柱建物跡8棟で、平成19年度の調査区域で確認された遺構数を合わせると、住居跡が73軒,掘立柱建物跡が16棟となりました。
田崎遺跡・姥久保遺跡の一般公開
日 時: 平成20年10月25日(土) 午前10時30分から(正午終了予定)
場 所: 田崎遺跡(石岡市石岡字大越4795ほか)
調査の概要:
本調査は,一般国道6号千代田石岡バイパス建設事業に伴い、遺跡を記録保存するための発掘調査です。
姥久保遺跡では、古墳時代前期から平安時代にかけての集落跡であることが分かりました。特に,平安時代の緑釉陶器が出土した溝や、「上殿」と書かれた須恵器坏は注目されます。
連絡先:(財)茨城県教育財団 企画管理課および石岡事務所
[参考:(財)茨城県教育財団]
霞ヶ浦に流れる恋瀬川の河口近くには、県内最大の前方後円墳・舟塚山古墳があり、その北西0.6km先に田崎遺跡、その先恋瀬川を渡って北西2kmに姥久保遺跡、そして再び河を渡って北北東1.5mに常陸国衙跡があります。
田崎遺跡
田崎遺跡は、恋瀬川左岸の河岸段丘縁辺部(標高20~25m)に位置し、北東約1kmに全長186mを誇る前方後円墳・舟塚山古墳(5C半~6世紀前半)があります。平成20年8月上旬に調査に着手し、竪穴住居跡32軒、溝跡4条など、古墳時代から中世にかけての遺構が確認されています。
姥久保遺跡
姥久保遺跡は、恋瀬川右岸の台地上(標高22~23m)に位置し、すぐ東側には全長65mの前方後円墳・熊野古墳(5c前半)が隣接しています。
今年度の調査では、第9号溝跡で緑釉陶器、須恵器大甕片、瓦片が出土し、平安時代初頭のものと考えられます。富豪層の居宅あるいは役所に関係のある施設が存在していた可能性が考えられます。
ほかに確認された主な遺構は、古墳時代から平安時代にかけての住居跡31軒、奈良・平安時代の掘立柱建物跡8棟で、平成19年度の調査区域で確認された遺構数を合わせると、住居跡が73軒,掘立柱建物跡が16棟となりました。
田崎遺跡・姥久保遺跡の一般公開
日 時: 平成20年10月25日(土) 午前10時30分から(正午終了予定)
場 所: 田崎遺跡(石岡市石岡字大越4795ほか)
調査の概要:
本調査は,一般国道6号千代田石岡バイパス建設事業に伴い、遺跡を記録保存するための発掘調査です。
姥久保遺跡では、古墳時代前期から平安時代にかけての集落跡であることが分かりました。特に,平安時代の緑釉陶器が出土した溝や、「上殿」と書かれた須恵器坏は注目されます。
連絡先:(財)茨城県教育財団 企画管理課および石岡事務所
[参考:(財)茨城県教育財団]