歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

新潟市・大沢谷内遺跡 県内最古の木簡出土(九九木簡出土)

2008年10月10日 | Weblog
 新潟市秋葉区の大沢谷内(やち)遺跡で出土した7世紀後半のものとみられる木簡は、和島村(現長岡市)の八幡林遺跡で見つかった8世紀前半の「沼垂城(ぬたりのき)木簡」よりも古く、県内最古の文字資料となる。
 新潟平野周辺の古代史の解明につながる資料として注目されそうだ。
 同遺跡は国道403号の新設工事に伴い、同市埋蔵文化財センターが2005年から調査している。
 木簡は縦約20cm、横3・5cm。大きい数の「九九、八十一」から始まり、「八九」「七九」と掛けられる数が小さくなる。同市埋蔵文化財センターが近くで出土した須恵器などから年代を判断した。
 九九の木簡は全国で出土しているが、まとまった記載のものは少なく、9の段が全部読める木簡は「全国初と思われる」という。
 当時は律令国家の初期に当たり、税を徴収する役人が九九を暗記するために記したとみられるが、「七九、四七」「三九、二十四」など間違いも多い。
 この発掘で同遺跡が新潟平野周辺では647年の渟足柵(ぬたりのき=沼垂城)の設置以降にできた数少ない遺跡であることが分かった。渟足柵の設置に近い時期から、文章を使った行政が行われていたことが分かり、意義は大きいとする。
[参考:10/8 新潟日報]
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神戸市・雲井遺跡 古墳前期の竪穴式住居跡を確認

2008年10月10日 | Weblog
 神戸市教委は9日、神戸市中央区の雲井遺跡から、古墳時代前期の竪穴式住居跡などが見つかったと発表した。
雲井遺跡は、約1万年前の縄文時代早期および鎌倉・室町時代ごろの遺跡だが、3世紀中ごろから4世紀後半に当たる古墳時代前期の遺跡は今回初めての発見。
 87年に発見された雲井遺跡はJR三ノ宮駅付近の東西約700m、南北約500mの範囲で、縄文時代の遺構や遺物が見つかっている。
 今回の調査は今年9月に始まり、来年3月まで行われる予定。このうち、中央区旭通4の再開発事業予定地から、3世紀中ごろとみられる竪穴式住居の4つの主柱穴やほぼ完全な形の古墳時代前期の土器などが見つかったという。
 今回の発見により、古墳時代前期には付近が集落として利用されたことがうかがえとする。

あす一般公開される。
 日時:10月11日(土)午後2~4時、発掘調査担当学芸員による遺跡解説もある。現地集合、小雨決行。
 場所:雲井遺跡(神戸市中央区雲井通2∼8丁目)
 問合せ:神戸市教育委員会文化財課・雲井遺跡発掘調査事務所(078・272・2303)。
[参考:毎日新聞] 
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小田原市No.271遺跡(下堀地区)発掘調査見学会資料

2008年10月10日 | Weblog
(財)かながわ考古学財団に、今年7月13日に行われた発掘調査見学会の資料が公開されています。

[H20.7.10掲載分]
小田原市No.271遺跡(下堀地区)発掘調査見学会
日時:平成20年7月13日(日) 10:30~11:45
場所:小田原市下堀7-1番地 (集合場所は現場事務所)
主催:(財)かながわ考古学財団

前回は平成18年9月23日に開催。中世の方形居館と言われている屋敷地のすぐ西側にあたり、二重に巡らされた堀が見つかった。青磁を含む陶磁器片や漆椀、それに花菱と思われる家紋のある銅製笄(こうがい)が出土し、13~16世紀の遺物とみられる。堀は16世紀頃にある程度埋没したと考えられるとのことだった。新たな成果を期待したい。
[参考:(財)かながわ考古学財団]

<周辺遺跡>
小田原城:南西4.5km
千代廃寺跡:北1km、足柄郡衙と推定される。8c前半
永塚下り畑遺跡:北1.5km、重圏文鏡と琴柱形石製品などが出土。祭祀遺跡。古墳時代~平安時代
高田南原遺跡:東300m。珠文鏡、銅釧が出土。弥生後期~古墳前期、古墳時代後期。
<方形居館>
方形居館は武田信玄の内命を受けて、駿河竹ノ下より甲斐武田氏の家臣・志村氏が移り住んだともいわれている。いまでも子孫が住んでいるようだ。
長篠の戦いで戦死した武田方の重臣・山県昌景の首を敵に渡すまいと、必死に甲州に持ち帰ったという志村又右衛門貞盈(武田家の横目付役)。父の志村右近真武が上の武田家臣にあたるかもしれない。そして貞盈は武田家が滅亡後、徳川家に仕えることになった後、道筋奉行として相模国境付近の警備を担当したとあるので、この方形居館に住んだかもしれない。
平成18年度のNo.271遺跡発掘調査では、13~16世紀の陶磁器類が出土している。16世紀は志村真武・貞盈が活躍した時代である。また、他の出土品の中、銅製の笄(こうがい)があり、花菱と思われる家紋が施されていたとのこと。志村氏の家紋は丸に一文字であるし、武田家の家紋は割菱であるが、花菱も使用したらしい。そして、ほかでは小笠原氏なども花菱を使用する。
<小田原衆所領役帳による下堀ほか周辺領地と領主名>
小田原衆所領役帳は永禄2年(1559)2月時点の状態を記したものとされる。
下堀:北条幻庵長綱室   別堀:久米玄蕃   飯泉:小笠原六郎元続  
高田:北条幻庵長綱   千代:太田豊後守   成田:藤田大蔵丞綱高  
永塚:早雲寺(箱根町)   曽我大沢:小笠原弥六(元続の弟?)   鴨宮:賀茂宮直勝式部小輔
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