歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

大崎市・新田柵跡 築地か土塁跡と物見台?の建物跡が見つかる

2010年12月03日 | Weblog
 大崎市教委は2日、同市田尻の律令政権時代の城柵「新田柵(にいたのさく)」跡推定地で、城柵外郭の南西角を画す築地(ついじ)か土塁の跡と、物見台とみられる建物跡を見つけたと発表した。
 北辺の蝦夷(えみし)を支配する軍事的拠点の規模と性格を裏づける遺構という。
 同遺跡は、「続日本紀」天平9年(737)4月14日戊午の条に、「遣陸奧持節大使從三位藤原朝臣麻呂等(略)、判官正六位上大伴宿祢美濃麻呂鎭新田柵。(略)」と記されている新田柵に比定されるが、中心部が未発見で「推定地」にとどまっている。
 現地説明会が4日午前10時から開かれる。
[参考:毎日新聞]

注意
 今回の「新田柵」現地説明会についての情報は、インターネットでは毎日新聞以外には見えず、十分確認の上お出かけ下さい。

過去の関連ニュース・情報
 2009.7.4 登米市・滝塚遺跡 土鈴、墨書土器が出土
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明日香村・水落遺跡 斉明天皇時代の迎賓館(石神遺跡)へ延びる木樋跡が見つかる

2010年12月03日 | Weblog
 奈良文化財研究所が2日、斉明天皇の660年に、中大兄皇子(天智天皇)が造った水時計の漏刻(ろうこく)台跡とされる水落遺跡(みずおちいせき、奈良県明日香村)で、北側に隣接する斉明天皇時代(在位655~661年)の迎賓館跡とされる石神遺跡に向かって延びる木樋(もくひ)を埋設するために掘ったとみられる溝跡が見つかったと発表した。
 初めて調査が行われた2遺跡の間の区域では、石敷きの通路(東西4m、南北3m)と、3本の溝跡が確認され、幅20~80cm、長さ2・3~6・7mだった。うち2本が木樋の跡、1本は水時計関係の銅管の跡であった。このうち石神遺跡から南に、水落遺跡から北に延びる木樋跡は連結する(直線的に70~80m)と推定されるが、遺構の一部が壊れていて確定はできなかった。
 過去の調査で、漏刻で使われた水は木樋を通り、石神遺跡の噴水施設「須弥山(しゅみせん)石」でも利用されたと考えられており、2遺跡が深く関連することが改めて明らかになったとしている。
 現地説明会は5日(日)午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、読売新聞、産経新聞、日経新聞]

奈良・水落遺跡、隣接する石神遺跡と一体整備(読売新聞) - goo ニュース
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