歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

出雲市・山持遺跡 紀元前1世紀~紀元後1世紀にかけての楽浪土器が出土

2010年12月23日 | Weblog
 島根県埋蔵文化財調査センターが22日、出雲市西林木町の山持(ざんもち)遺跡で、朝鮮半島北部の楽浪郡で作られた完全な形の壺が見つかったと発表した。 平成21年度調査で砂礫層から出土したもので、今年度報告書作成整理中に判明した。
 出土した楽浪土器は口縁部等の一部を欠くが、高さ約17㎝のほぼ完形の壺である。外面には轆轤によるナデで仕上げ、下半にヘラで削った痕跡が認められ、中国漢代の楽浪郡(現在の平壌付近、存続時期がBC108年からAD313年)で製作された土器とみられる。 出土した地層などから、紀元前1世紀~紀元後1世紀にかけての土器とみられる。
 楽浪土器は北部九州では比較的多く見つかっているが、関門海峡以東では極めて稀で、現状では山持遺跡と松江市鹿島町海揚がり土器しか知られていない。 山持遺跡では、過去の調査でも楽浪土器の破片8点をはじめ、朝鮮半島南部の無文土器である勒島式土器や三韓土器等が出土している。弥生時代の対外交渉における出雲の位置づけを考える上で重要な発見という。
[参考:山陰中央新報、毎日新聞、島根県埋蔵文化財調査センターHP]

過去の関連ユース・情報
 2010.8.28山持遺跡 弥生後期の布堀建物跡、柱に沈下防止の礎盤
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出雲市・高浜Ⅰ遺跡 日本最古(室町時代)の将棋盤が出土

2010年12月23日 | Weblog
 島根県埋蔵文化財調査センターが22日、出雲市高岡町の高浜I遺跡で、15世紀半ば~16世紀初め(室町時代)の将棋盤の一部が出土したと発表した。現存する将棋盤では最古とみられる。
 出土したのは盤の両端部分で、4分の1ほどにあたるスギ板2枚で、大きさは長さ37.6cm幅5.7cm、厚さ0.9cmと長さ38.1cm、幅8.8cm、厚さ1cm。いずれも盤に赤外線を当てると表面に約4.2cm四方のマス目が9つ確認できた。 現在の一般的なサイズ(約3.3cm)より大きい。側面にくぎを打った跡があり、脚や台座付きだった可能性が高い。表面には刃物による傷跡もあり、まな板などに再利用されたとみられる。
 大規模な建物跡近くのゴミ捨て場とみられる穴から漆器や木簡などと見つかり、木簡に書かれた「永正3年(1506)」の文字から年代を特定した。放射性炭素を分析する年代測定でも15世紀半ばを示した。
 また、別の柱穴からは五角形の駒2枚(いずれも高さ3.5cm、幅2.5cm、厚さ0.5cm)が別々に出土したが、文字は判読できなかった。こちらは、中将棋(12マス四方のマス目で使用)の駒の可能性があるという。
 将棋盤は東京都の溜池遺跡(千代田区永田町、港区赤坂)で発見した18世紀(江戸時代)のものしか残っておらず、出土はまれ。将棋の記述がある最古の文献資料には藤原行成の「麒麟抄(きりんしょう)」(11世紀初め)だが、形状などの実態はほとんど分かっていなかったという。
 将棋盤と駒は、県立古代出雲歴史博物館(出雲市大社町)で23日~1月10日まで、出雲弥生の森博物館の「新発見!とっとり・しまね発掘速報展」で1月15日から2月13日まで展示される。
[参考:時事通信、共同通信、中国新聞、山陰中央新報、日本海新聞、産経新聞、読売新聞、島根県埋蔵文化財調査センターHP]

国内最古、室町時代後半の将棋盤出土…出雲(読売新聞) - goo ニュース
日本最古の将棋盤が出土=15世紀中ごろか―島根・高浜遺跡(時事通信) - goo ニュース
日本最古の将棋盤が出土 出雲の遺跡から、室町期(共同通信) - goo ニュース

過去の関連ニュース情報
 2009.3.13 徳島市・川西遺跡 13世紀の将棋の駒「本横」(奔王)が出土
 2008.3.27 甘粛省 西夏文字の象棋の駒「士」を発見


2011.1.23追記
 第37期女流名人位戦5番勝負第1局が本日(1月23日)出雲市浜町の出雲文化伝承館で行われるのを前に22日、タイトル防衛に臨む里見香奈女流3冠 (出雲市出身)と挑戦者の清水市代女流6段(東村山市出身)が、出雲弥生の森博物館(出雲市大津町)を訪れ、昨年出雲市内の遺跡から出土した国内で最古の将棋盤を見学した。
[参考:NHKニュース、読売新聞]
 第一局は先手里見香奈女流3冠の勝ちとなった。

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