(財)韓白文化財研究院は7日、江原華川郡居礼里の北漢江沿い約7万㎡を調査した結果、青銅器時代とみられる住居跡43基と同時代の竪穴10基、溝状遺構2基、そして三国時代横穴式石室墳1基などを確認したと発表した。
青銅器時代住居跡では、青銅器時代前期から中期に至る赤色磨硏土器と無文土器、孔列文土器、突帶文土器等の土器類と一緒に斧、刃物、矢尻など石器類が収集された。
各住居跡の重複が激しい点からみると、相当な期間の中で、繰り返して住居が形成されたらしい。
唯一発見された三国時代石室墳は墓室が平面方形で、南北方向に長軸を設け、その南側壁面東側に偏った地点に通路を設けた横穴式石室墳であった。出土遺物は木棺や木槨を組むのに使った釘があったが、内部遺物は全部盗掘された可能性が大きい。墓室内に棺をのせる屍床台がなく、底には川石を敷きその上にさらに板石を敷いていた。 百済墓である可能性が高いとみている。
[参考:聨合ニュース]
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2010.11.4 華川・原川里遺跡 住居跡から馬具類・武器類が多量に出土、大規模百済の村遺跡は辺境前哨基地?
2010.9.15 華川・原川里遺跡 200年代の大規模百済の村遺跡を発掘
コメント
原川里遺跡は、3-4世紀頃漢城百済期には華川一帯は、北あるいは西北側の楽浪、高句麗、靺鞨との境界地域であり、百済の西北方地域進出のための橋頭堡(きょうとうほ)であり、軍事前哨基地であった可能性があるとしていた。
居礼里遺跡は、原川里遺跡に対して北漢江の東の対岸にあり、東南方向に約2.5kmの距離にある。主に青銅器時代前期~中期の遺構が多いが、三国時代横穴式石室墳1基が見つかっている。これは百済墓である可能性が高いとしている。
青銅器時代住居跡では、青銅器時代前期から中期に至る赤色磨硏土器と無文土器、孔列文土器、突帶文土器等の土器類と一緒に斧、刃物、矢尻など石器類が収集された。
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唯一発見された三国時代石室墳は墓室が平面方形で、南北方向に長軸を設け、その南側壁面東側に偏った地点に通路を設けた横穴式石室墳であった。出土遺物は木棺や木槨を組むのに使った釘があったが、内部遺物は全部盗掘された可能性が大きい。墓室内に棺をのせる屍床台がなく、底には川石を敷きその上にさらに板石を敷いていた。 百済墓である可能性が高いとみている。
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