歴歩

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宇治市・平等院鳳凰堂 本尊の台座から見つかったガラス玉3個が正倉院宝物と同じ成分組成

2010年12月26日 | Weblog
 今月24日に、平等院鳳凰堂の本尊・阿弥陀如来坐像(平安時代)の台座の中から、正倉院の宝物(奈良時代)と同じタイプのガラス玉3個が見つかったと発表されたが、その後26日、産経新聞では大量に見つかった平安時代のガラス玉に焦点を当てて報じている。
 この24日および26日の記事を合わせてまとめると下記のようになろう。

 ガラス玉は2004年の平成大修理の際、台座下から単体や装飾片など約450個発見された。244個は単体で、残りが瓔珞(ようらく)(紐などでつなげた垂れ飾り)の一部とみられている。 単体で見つかった244個のうち調査可能な186個を、東京理科大で蛍光X線分析などで化学組成を調査した。
 その結果、約90%にあたる167個が、酸化鉛を50~55%含む「カリ鉛ガラス」と呼ばれる平安時代のガラス玉であることがわかった。 青や緑色をしており、中国・宋代に考案された製造法によって作られたとみられる。これまで日本でカリ鉛ガラスが出現するのは12世紀以降と考えられており、見つかったガラス玉が鳳凰堂創建時(1053年)のものとすれば、カリ鉛ガラスの最も古い例になるという。 しかし、中国製なのか、国産なのかはさらに詳しい調査が必要という。
 19個は正倉院に納められた奈良時代の国産ガラス玉と同じく酸化鉛を70%以上含み、カリウムの組成を持つことが判明した。様式を調べたところ、花弁形で緑色の「ねじり玉」2個と、球状で黒っぽい色に白のラインが入った「トンボ玉」1個が正倉院の宝物に類似していた。 いずれも直径1・5cm前後で中央に穴があいている。大きさも正倉院のガラス玉とほぼ同じで、正倉院のガラス玉と同じ官営工房でつくられた可能性があるとみている。
[参考:2010.12.26産経新聞、2010.12.24共同通信、京都新聞、産経新聞、2010.12.25読売新聞、毎日新聞]

■2010.12.24掲載分
 京都府宇治市の平等院が24日、平等院鳳凰堂の本尊・阿弥陀如来坐像(国宝、平安時代)の台座の中から、正倉院の宝物(奈良時代)と同じタイプのガラス玉3個が見つかったと発表した。
 2004年の平成大修理の際に台座から見つかったガラス玉約450個のうち186個を蛍光X線などで調査した。すべて中国で発明された鉛ガラスで、多数が宋から平安時代に新技法として伝来したガラス玉だったが、19個は正倉院に納められた奈良時代の国産ガラス玉と同じく酸化鉛を70%以上含み、ほかにカリウムの組成を持つことが判明した。様式を調べたところ、花弁形で緑色の「ねじり玉」2個と、球状で黒っぽい色に白のラインが入った「トンボ玉」1個が宝物に類似していた。 いずれも直径1・5cm前後で中央に穴があいている。大きさも正倉院のガラス球とほぼ同じで、正倉院のガラス玉と同じ官営工房でつくられた可能性があるとみている。
 聖武天皇の妻・光明皇后(701-760)は藤原不比等の娘であり、これらのガラス玉は藤原家代々の宝で光明皇后の遺品の可能性もあるという。1053年に藤原頼通が平等院鳳凰堂を創建した際に納められたのではないかとみている。
 見つかったガラス玉は25日から平等院境内のミュージアム鳳翔館で公開される。
[参考:共同通信、産経新聞、京都新聞]

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