京都府埋蔵文化財調査研究センターは21日、八幡市内里柿谷の柿谷古墳が古墳時代後期(6世紀中期)に築造された一辺約12mの方墳と発表した。
中央部に長さ4m×幅2mの墓壙があり、下層に東西を軸とする木棺跡(3m×1m)、その上部に平行の位置で約20年後に埋葬された別の棺跡が北寄りに重なっていた。親族が2世代にわたり葬られたとみられる。
棺内から須恵器の壺や高杯や、刀、馬具などの鉄製品が出土した。また、上部の棺跡から、鉄地金銅張の胡籙(やなぐい)の破片が見つかった。
また、墳丘の東側斜面からは、子供用と見られる甕棺(直径45cm)も出土した。
南側約200mには府内最大の集団墓地「女谷・荒坂横穴群」(6世紀後半~7世紀前半)があり、この地域で横穴が流行する前の最後の古墳である可能性もあるとしている。同古墳でも、鉄製馬具や鉄地金銅張の胡籙が出土している。
現地説明会は23日(木・祝)午前10時半から開かれる。
[参考:毎日新聞、産経新聞、京都府埋蔵文化財調査研究センターHP]
中央部に長さ4m×幅2mの墓壙があり、下層に東西を軸とする木棺跡(3m×1m)、その上部に平行の位置で約20年後に埋葬された別の棺跡が北寄りに重なっていた。親族が2世代にわたり葬られたとみられる。
棺内から須恵器の壺や高杯や、刀、馬具などの鉄製品が出土した。また、上部の棺跡から、鉄地金銅張の胡籙(やなぐい)の破片が見つかった。
また、墳丘の東側斜面からは、子供用と見られる甕棺(直径45cm)も出土した。
南側約200mには府内最大の集団墓地「女谷・荒坂横穴群」(6世紀後半~7世紀前半)があり、この地域で横穴が流行する前の最後の古墳である可能性もあるとしている。同古墳でも、鉄製馬具や鉄地金銅張の胡籙が出土している。
現地説明会は23日(木・祝)午前10時半から開かれる。
[参考:毎日新聞、産経新聞、京都府埋蔵文化財調査研究センターHP]