歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

三重県津市・林垣内遺跡 1800~1900年前の環濠とみられる溝が見つかる

2010年12月04日 | Weblog
 三重県埋蔵文化財センターは5日、津市野田の林垣内遺跡(はやしがいといせき)で、弥生時代後期(約1900年前)から古墳時代初期(約1800年前)のものとみられる溝が見つかったと発表した。
 溝は長さ約50m、幅約2m、深さ約1mで、集落を囲む「環濠」とみられる。 岩田川への排水機能の役目を果たしていたとみられ、中から多数の土師器の壺などの土器も出土した。
 現地説明会は5日(日)午前10時~11時半に開かれる。
[参考:読売新聞、三重県HP]

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奈良市・平城宮跡 「九九木簡」が出土 中国の「孫子算経」を参考にして「九九」を練習

2010年12月04日 | Weblog
 奈良文化財研究所は3日、平成20、21年にかけて平城宮東方官衙(かんが)跡(奈良市佐紀町、8世紀)から出土した木簡群の中に、中国の算書に掲載されている「九九」の計算を記した木簡片が見つかったと発表した。中国の算書を参考に記した木簡の出土例は初めてという。
 平城宮跡東側から見つかった木簡片(長さ16cm、幅1・5cm)の一部に、「□九廿七 二九十八 一九如九」(□は三?)、裏に「五八■ 四八卅二 三八廿□」(■は卌?、□は四?)の文字が記されていた。「一九如九」(いんくはくのごとし)は「1×9=9」を意味し、「如」は積が1ケタの場合に挿入されたとみられる。 当時の九九は現代と違って「九九 八十一」から始まる。
 中国の隋、唐時代の九九の算書「孫子算経」(3~5世紀頃成立)と「算経十書」(7世紀頃)に「一九如九」など九九の計算が掲載されており、これらの算書を参考にしたとみられる。
 平城宮跡の木簡群からは、九九の暗算のために練習した文字跡が残る木簡の出土例はあるが、中国書を参考にして記したとみられる木簡の出土は初めて。
 文字は稚拙で、当時の下級役人が暗算の勉強をした木簡片ではないかとしている。
[参考:NHKニュース、共同通信、毎日新聞、日経新聞、産経新聞、読売新聞]

かけ算の九九は中国から…伝来示す木簡が出土(読売新聞) - goo ニュース
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奈良市・平城宮跡 奈良時代後期、称徳天皇崩御を示す木簡が出土

2010年12月04日 | Weblog
 奈良文化財研究所(奈文研)が3日、平成20年1月~21年2月に奈良市の平城宮跡の「東方官衙(かんが)」で出土した木簡群から「天皇崩給(ほうじたまう)」、「年八月」と記された木簡が見つかったと発表した。
 このエリアからは宝亀年間(770~780年)の年号が書かれた木簡群が見つかっている。
 今回の木簡(長さ6・3cm、幅1・3cm)は、表に「天皇崩給」とあり、裏側の文字は「年八月」と確認できた。
 続日本紀・宝亀元年(770) 8月4日(注1)の条に、「癸巳。天皇崩于西宮寢殿。春秋五十三。(略)」と記され、奈文研は、宝亀元(770)年8月の称徳天皇(717-770)崩御を示す木簡の可能性が高いとみている。
 「天皇」の文字が記された木簡の出土例は全国的にも珍しく、平城宮跡では初めて。
[参考:産経新聞]

(注1)
 続日本紀・宝亀元年10月1日の条に、「冬十月己丑朔。即天皇位於大極殿。改元寳龜。(略)」とあり、それまでは神護景雲4年の年号を使っていたと思われる。
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太宰府市・大宰府跡 蔵司地区から鉄鏃や小札が大量に出土

2010年12月04日 | Weblog
 福岡県立九州歴史資料館(小郡市)は3日、太宰府市の特別史跡「大宰府跡」の政庁跡西側の蔵司(くらつかさ)地区の地表面から、7世紀後半から8世紀前半に製造されたとみられる鉄鏃や甲冑の鉄製小札の破片、鉄塊など計約26kg分を発見したと発表した。
 軍事目的あるいは鉄を再利用するために集めていた可能性もあるとしている。
 4日(土)から来年1月30日まで、大宰府展示館(太宰府市観世音寺4)で公開される。
[参考:産経新聞、毎日新聞]
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