歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

甲州市・梶畑B遺跡 平安末期の住居跡が出土、於曽氏と関係か?

2010年12月10日 | Weblog
 甲州市教委と帝京大山梨文化財研究所が今年10月から行っている梶畑B遺跡(同市塩山熊野)の発掘調査で、平安時代末期の竪穴建物や土坑などが見つかった。平安時代末期から中世にかけての集落跡とみられ、同研究所などは「中世の土豪於曽氏と関係のある集落の可能性もある」として、詳しい調査を進めている。
 遺跡を約50cm掘り下げたところ、古墳時代前期や平安時代末期の竪穴住居跡が9軒、掘立柱建物跡1軒などが確認された。
 平安時代末期の遺構からは、儀式に使用されたとみられる柱状高台付土器が発見された。
 同遺跡は同市塩山下於曽にある中世の土豪屋敷「於曽屋敷」(注1)からも近く、当時、於曽郷と呼ばれた地域で、中世武士団につながる集落跡の可能性があるとしている。
 現地説明会が11日(土)午前10時半から開かれる。
[参考:山梨日日新聞]

(注1)於曽氏: 甲斐源氏一門の加賀美遠光の四男・光経がここの支配者となり於曽氏を名乗った。
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韓国陜川郡・三嘉古墳群 大規模共同墓地を発見

2010年12月10日 | Weblog
 東西文物研究院と慶南発展研究院歴史文化センターは6日に続いて9日、陜川三嘉古墳群(합천 삼가고분군)の発掘調査で、紀元前後頃木棺墓13基と4世紀後半頃木槨墓数10基、5世紀後半頃石槨墓数10基、そしてその直後に現れた大型封土を整えた高塚30数基を確認したと9日明らかにした。(注: 6日の発表と重複する部分があり。)
 このうち、大型封土墳墓は一人の埋葬施設もあるが円形や楕円形封墳に石を箱のようにして作った石槨2~7個を安置して蜂の巣形を構成した多槨式古墳と確認され、概ね丘陵頂上部に発見された。
 東西文物研究院が調査したM8号墳は、封墳中に石槨をどのように配置したのかがよくわかる。 この墓で発見された石槨7基は皆細長方形であり、1・2・3・5・6号石槨は主軸方向が南北だが4・7号墓はこれと正反対であった。
 また、石槨5基が発見されたM3号墳では1号石槨で鉄刃の三葉環頭大刀が出土した。
 紀元前後頃の木棺墓は、木棺は全部なくなっていたが、跡を見ると「ㅍ」字形に木棺を組んだと推定され、垂直に近く土地を掘った後に安置したと推定された。木槨墓中では、死体を埋葬する施設とは別に遺物だけを置く空間の副槨を設けた主副槨式様式も発見された。
 石槨墓は慶南発展研究院調査区域だけで、全50数基が発見されたのでこの一帯が三国時代には大規模共同墓地だったことがわかる。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2010.12.7三嘉面一部里・良田里から三国時代・伽耶集団の古墳?と三葉還頭大刀などが出土
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