歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

鳥取市 青谷上寺地遺跡 古墳時代前期に集落拡張跡

2008年10月24日 | Weblog
 「青谷上寺地遺跡」(鳥取市青谷町)で、4世紀頃(古墳時代前期)に集落を造成した跡が見つかったことを、県埋蔵文化財センターが23日発表した。
これまでには、この時期には集落は衰退していたと考えられていた。
 弥生時代の溝(幅8・5m、深さ1m)を埋めて盛り土をし、木製の土止めや柵により土砂の流出を防いだ跡が見つかった。
 古墳時代前期の土師器が出土。溝からはカキやシジミの殻や弥生土器が見つかっており、弥生時代の溝を埋めて集落を広げたとみている。弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、遺跡中心域西側の拡張が行われた様子がわかってきたとする。
 現地説明会が25日(土)午後1時30分~午後3時開かれる。 (小雨決行)
「参考:読売新聞、鳥取県埋蔵文化財センター]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十三湊 福島城跡で大規模な掘立柱建物跡 安藤氏の隆盛の裏付け

2008年10月24日 | Weblog
 県文化財保護課は23日、十三湊(とさみなと)の福島城跡(五所川原市相内)の発掘調査で、主殿と、それに付随する施設とみられる大規模な掘立柱建物跡が確認されたと発表した。
 珠洲焼のすり鉢、瀬戸天目茶碗、硯などの身分の高い武士が使用したと考えられる生活品も出土した。
 福島城跡は、14世紀後半~15世紀前半に十三湊一帯を支配した安藤氏が築いたと言われる。
 城跡の北側の山王坊遺跡では、仏像を安置する須弥壇があったとみられる仏教施設と推測される礎石建物跡を確認したことを五所川原市教委が同日発表した。
 現地説明会が26日に開催される。福島城跡は午後1時から、山王坊遺跡は同日午後3時から。
[参考:読売新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小田原市・小田原城跡八幡山遺構群 第4次調査(障子堀)遺跡見学会

2008年10月24日 | Weblog
 10月23日、現地見学会に参加してきました。
 朝5時30分に自転車で出発、阿佐ヶ谷駅で自転車を折畳んで携行、阿佐ヶ谷駅でJRに乗車、東京駅経由鴨宮駅で降車、自転車を折り開いてセットし、さあ出発です。
 最初に下堀の下堀方形居館跡を手始めに、曽我兄弟の墓であるといわれる城前寺そして曽我神社など、ほかにもいろいろ見て周りました。そして、14時30分開始の見学会に間に合わせました。
 写真は、開始10分前ごろの現地・小田原城跡八幡山・西曲輪西堀です。南から北を撮ったもの。堀幅は23m、深さは7mですが、前の調査場所の段差が3mくらいあり、それを考慮するとおそらく最大深さは10m近くになりそうと説明をされていました。最大幅4mの障子がTの字の形で作られた障子掘が確認されました。
 堀の中に、堀の一部を削る形で設けられた半円形の石で囲まれた部分は大正時代の池だそうです。何故このようなものが作られたのかは分からないそうですが、ウィキペディア(Wikipedia)に、「1914(大正3)年に小田原中学(現小田原高校)が、小田原城址であり宮内省の御料地である八幡山(現在地)へ移転」と書かれています。
 その当時は、堀は未だ埋め立てられていなかったと説明されていました。ただ、1707年の富士火山噴火(宝永噴火)で障子に掘り込まれた溝を覆うような位置まで火山灰跡が見られるそうです。
 今月26日(日)の見学会を最後に、埋め戻されて高校のグランドになってしまいます。

[10/13掲載分]
 かながわ考古学財団(横浜市南区)は23、26の両日、県立小田原高校旧校舎跡地(小田原市城山三丁目)で発見された小田原城最大級の堀「西曲輪(にしぐるわ)西堀(にしぼり)」の見学会を再度開く。(要望が多かったため。)参加費は無料。
日時:平成20年10月23日(木) 午後2:30(少雨決行)
    平成20年10月26日(日) 午後2:30(少雨決行)
場所:神奈川県小田原市城山3-26-1(県立小田原高等学校内)
[参考:神奈川新聞、(財)かながわ考古学財団]

[10/12掲載分]
 今朝の毎日新聞で、昨日11日の見学会の様子が報道されています。
 絵図面で推定されていた堀が実際に発見され、発掘調査した「かながわ考古学財団」は「城郭構造の解明に向け一歩前進した」と報道しています。
[参考:10/12毎日新聞、10/11神奈川新聞]

[10/10掲載分]
 (財)かながわ考古学財団は、明日10月11日(土)に小田原城跡八幡山遺構群において遺跡見学会を計画している。
 小田原城は中世後北条氏の居城で曲輪、堀、櫓などが多く残され、神奈川県を代表する城郭であり、国指定史跡整備が行われている。今回、県立小田原高等学校グラウンド整備工事に伴う確認調査で、小田原城の中でも八幡山(「八幡山古郭」とも呼ばれる)の「西曲輪」にあたる。これまでに、西曲輪西堀は最大幅23mという巨大な堀であったことが確認され、関東大震災の影響と考えられる地層のずれ等があるものの比較的良好に残されている。この成果から、八幡山古郭周辺の様相の解明が期待される。
 本遺構群はJR小田原駅の西方、箱根外輪山より南東に伸びる通称八幡山丘陵と呼ばれる丘陵の中腹に位置し、初期小田原城の中心域とされている。当遺構群は本曲輪(ほんぐるわ)、西曲輪、南曲輪、古宮曲輪、藤原平(ふじわらだいら)などで構成される。
 主な遺構として、第1・3次調査でも確認されていた西曲輪西堀、本曲輪北堀、そして旧校舎の北に位置する三味線堀などがある。
深さについては現在も調査中だが、3次調査の結果も含めると6m以上になると考えられる。前回までの調査では堀以外の中世の遺構は希薄であるが、弥生~古墳時代の竪穴住居や古代の掘立柱建物、近世の土坑などが見つかっている。

日 時: 平成20年10月11日(土)午前の部10:00~/午後の部14:00~ (少雨決行・荒天時は12日(日)に順延)
場 所: 小田原市城山3-26-1 (財)かながわ考古学財団 小田原城跡八幡山遺構群発掘調査現場
主 催: (財)かながわ考古学財団
[参考:(財)かながわ考古学財団]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三重県明和町 小金3号墳 6世紀後半の横穴石室を発見

2008年10月23日 | Weblog
 10/23付毎日新聞の記事で初めて円墳の直径を記載されていましたので、追記します。
 県埋蔵文化財センターは15日、多気郡明和町池村の古墳時代の直径約18mの円墳「小金3号墳」で、埋葬当時の原型をよくとどめた「横穴式石室」が見つかったと発表した。
 石室は、県南部の古墳にみられる特徴をよく示す両袖式の羽子板型で全体にやや細長く、全長8・2m、高さ1・7m、幅1・1mで、花崗岩でできた天井の外側に、砂のような土と粘り気のある土が交互に約30層(高さ1・5~2m)で盛られていた。強度を高め、浸水を防ぐための工夫とみられる。天井、両側、奥のすべての石材が残っており、天井部の石のすき間には目詰め石もあった。石室を覆う盛り土も当時のままの状態で残っており、石室の造り方や盛り土の積み方がよくわかる。かつての墓造りの様子を知ることができるという。
 石室の中から棺は見つかっていないが、盛り土の層の間から、底に穴の空いた直径約10cm土器が裏返しの状態で見つかった。墓造りの途中で祭礼を営んでいた可能性があるという。出土した土器から、6世紀後半に造られた古墳と推定された。
 19日午前10時半から現地説明会を開く。出土した土師器、須恵器など遺物も公開する。(終了)
 日 時: 平成20年10月19日(日)10時30分から11時30分まで
 場 所: 小金3号墳発掘調査現場 (多気郡明和町池村)
 主 催: 三重県埋蔵文化財センター電0596(52)1732
[参考:10/16中日新聞、10/16産経新聞、三重県お知らせ情報、10/18読売新聞、10/23毎日新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高崎市・上中居遺跡 中国製破鏡出土 関東で3例目

2008年10月23日 | Weblog
 上中居遺跡(群馬県高崎市)から、青銅鏡の破片が出土したと、同市教委が22日発表した。
 鏡を意図的に割って祭祀などに使った中国製の破鏡とみられる。縁の部分が磨かれたようになっていた。
西日本では出土例が多いが、関東では神奈川、千葉両県に次いで3例目。
 破片は浅い溝から見つかり、大きさは最大カ所で長さ約11cm、幅約3・5cm、厚さ約5mm。もともと直径12・8cmの中型円形鏡だったと推定される。背面に刻まれた2重の鋸歯文などから、中国で2世紀ごろ後漢時代に製造された浮彫式獣帯鏡とみられ、銘文の文字の一部も残っている。
 市文化財保護課によると、破鏡の出土は全国で約200例あり、うち半分が九州に集中。国内で製造されたものは山形、栃木両県で発見されているが、中国製としては最も遠い地域での発見例となる。
 集落からはずれた溝(幅約70cm、深さ約10cm)の中から、勾玉、管玉とともに出土した。水にまつわる祭祀に使われた可能性が高く、勾玉などの特徴から5世紀前半まで使われ、廃棄されたとみられる。
 破鏡は25日から12月14日まで同市八幡町の観音塚考古資料館で開催される企画展「光と力-縄文から観音塚古墳まで-」で公開される。
[参考:産経新聞、毎日新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日香村・高松塚古墳 国宝壁画の劣化原因究明進む

2008年10月22日 | Weblog
 国宝壁画の2度目の一般公開を11月に迎える高松塚古墳(明日香村、7世紀末~8世紀初め)では、古墳から石室ごと取り出した壁画の保存措置が進む一方、劣化原因の解明が進められている。...
 詳しくは、毎日新聞記事をご覧下さい。結構長文で掲載されています。
[参考:10/22毎日新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『 国宝 天神さま 』 /九州国博展示 北野天神縁起絵巻 80m再現

2008年10月21日 | Weblog
 菅原道真の生涯などを美しい色彩で描いた絵巻物「国宝 北野天神縁起絵巻 承久本」(京都・北野天満宮所蔵)の全巻・全場面を最新のデジタル技術で複製した「平成記録本」の展示が、福岡県太宰府市の九州国立博物館1階ミュージアムホールで21日、始まった。展示は11月3日まで。...
天神さま絵巻 80m再現 九州国博展示(西日本新聞) - goo ニュース

[9/23掲載分]
西日本鉄道創立100周年記念・九州国立博物館開館3周年記念
『 国宝 天神さま 』- 菅原道真の時代と天満宮の至宝 -
が今日から11月30日まで開催されます。
国宝が18点も出展と素晴らしい展示会ですが、場所が福岡市大宰府。
思い切っていくか否か?
内容は九州国立博物館のHPをご参考に!↓
http://www.kyuhaku.jp/index.html

菅公ゆかりの至宝120点 「国宝 天神さま」23日開幕 九州国博(西日本新聞) - goo ニュース
http://www.kyuhaku.jp/index.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田城跡・水洗厠舎跡 「古代の水洗トイレ」復元工事着工

2008年10月21日 | Weblog
 秋田市寺内の国史跡「秋田城跡」で、「水洗厠舎(かわや)跡」の復元工事が着工された。
 東西3間と南北3間「水洗厠舎」は、建物の中の北の1間に3基の便槽が並ぶ形で1994年~1995年にかけて発掘された。
 復元工事を行う秋田城跡調査事務所は、日本一豪華な造りと言っていい奈良時代後期の「水洗トイレ」であることなどから、「秋田城は、大陸や朝鮮半島の使節団を迎え入れるための迎賓館としても機能していたのでは」と推察する。…
 10月25日には、ボランティアガイドによる秋田城跡の散策会も開催し、古代水洗トイレの復元工事現場の見学もできる。参加無料。先着30人。希望者は同事務所まで電話で申し込む。

[参考]
 天平5年(733)出羽柵を秋田村高清水岡に置く。(続日本紀)
 天平宝字4年(760)阿支太城(秋田城)が初めて史料に登場する。(大日本古文書)

秋田城跡史跡散策会
 日 時: 10月25日(土) 午前9時30~11時30分
 場 所: 秋田市寺内 秋田城跡出土品収蔵庫前集合
 定 員: 先着30人
 参 加 料:無料
 申し込み 10月20日(月)8時30分から秋田城跡調査事務所へ 電話で申し込み (845)1837
[参考:秋田経済新聞、秋田市教育委員会秋田城跡調査事務所]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東広島市・溝口4号遺跡/高屋保 荘園管理施設の現地見学会

2008年10月20日 | Weblog
 東広島市高屋町の溝口4号遺跡で19日、現地見学会があり、約120人が集まった。
 同遺跡の一帯は当時、「高屋保」と呼ばれており、鎌倉時代の荘園を管理した施設跡とみられる。
 当時の山陽道につながる道路、用水路などの跡、大きな建物の柱穴や、貴族や大寺院だけが造ることができた庭園の池跡のくぼみなどを解説し、政治や交通の要衝だったと推測される。
 遺跡からは、13世紀後半から14世紀半ばまでの青磁の碗や皿も出土した。
[参考:9/11、10/20中国新聞]
溝口4号遺跡の発掘成果解説(中国新聞) - goo ニュース
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーミヤン遺跡・東大仏 釈迦仏を裏付ける供養品が見つかる

2008年10月19日 | Weblog
 18日までに、旧タリバン政権が破壊した東大仏(高さ38m)の右腕部分から6世紀ごろの大仏建立時に、供養品として埋葬された麻袋が見つかった。袋は泥で封印してあり、獅子と馬とみられる模様の刻印が残されていた。
 袋の中身は封印の綿密な調査を終えてから開封する予定。
 仏陀の伝記など仏伝によると獅子は釈迦を表し、馬は釈迦の誕生を象徴するとされ、釈迦仏と裏付けられた。
 7世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵は著書「大唐西域記」で東大仏を「釈迦仏」と記述した。
[共同通信、中日新聞]

バーミヤン大仏内に供養品 大仏が玄奘記述の「釈迦仏」裏付け(共同通信) - goo ニュース

大唐西域記
國大都城據崖跨谷,長六七里,北背高巖,有宿麥,少花果,宜畜牧,多羊馬。氣序寒烈,風俗剛,多衣皮褐,亦其所宜。
文字、風教,貨幣之用,同都貨邏國。語言少異,儀貌大同。淳信之心,特甚鄰國。
上自三寶,下至百神,莫不輸誠,竭心宗敬。商估往來者,天神現徵祥,示祟變,求福。伽藍數十所,僧徒數千人,宗學小乘說出世部。
王城東北山阿有立佛石像,高百四五十尺,金色晃曜,寶飾煥爛。(注:西大仏のこと)
東有伽藍,此國『先王之所』建也。伽藍東有鋀石釋迦佛立像,高百餘尺,分身別鑄,總合成立。(注:東大仏のこと)
城東二三里伽藍中有佛入涅槃臥像,長千餘尺。(略)
[参考:前出]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢板市・高原山黒曜石原産地遺跡群 本州最大級の尖頭器と石器数千点が出土

2008年10月19日 | Weblog
 矢板市教委は18日、同市などにまたがる高原山(1795m)の黒曜石原産地遺跡群の発掘調査で、後期旧石器時代(約1万7000年前)の本州最大級の約14cmの尖頭器(石ヤリ)など数千点の石器が見つかったと発表した。…
[参考:10/18読売新聞、矢板市定例記者発表石器文化研究会]

矢板市教委は今年2月22日に、本遺跡群から後期旧石器時代後半(推定1万8000~9000年前)の黒曜石の採掘坑跡が確認されたと発表していた。
黒曜石の採掘坑跡としては、長野県長和町の鷹山遺跡群の縄文時代後期(約1万年前)を抜き国内最古。
昨年9月に剣ケ峯(1540m)の山頂付近で、黒曜石の採掘坑を試掘した結果、黒曜石を槍先として加工した尖頭器(長さ約5cm)十数点が覆土の中から出土。
[参考:2/23 産経新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シリアで 8600年前の世界最古の火葬場 を発掘

2008年10月18日 | Weblog
 筑波大調査団(団長・常木晃筑波大大学院教授)がシリア北西部にある新石器時代の集落遺跡「テル・エル・ケルク遺跡」で、約8600年前の火葬場跡を発見した。
 2万年以上前の火葬された人骨は発見されているが、火葬場としては世界最古とみられる。
 見つかった47体の人骨のうち、20体程度が火葬されており、火葬した人としていない人がいるのは、特別の人だけを火葬にしたのではないかと推測。
[参考:毎日新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉古墳群 奥の山古墳 発掘調査現地説明会の開催予定

2008年10月18日 | Weblog
 昨年度の調査では、外堀が発見され二重周堀の構造であることがわかりました。
 今年度の調査では、周堀が直線的に掘られた台形になることが明らかになってきたそうです。
 北側には鉄砲山古墳が隣接し、二つの古墳の周堀がぶつかる場所が出てくるが、その部分は堀を細くしたりして接触を避けて築造していた様子がわかるという。
 写真は今年7月27日の遺跡発掘調査報告会時に撮影したもの。奥の山古墳を西から東方向を見る。奥に見えるのが鉄砲山古墳。
 
奥の山古墳発掘調査現地見学会
内容: 同古墳の発掘調査は、周堀の規模・構造と隣接する鉄砲山古墳との位置関係の解明を目的に進めています。当日は、現地で調査の成果を紹介します。
日時: 10月25日(土) 第一回目10:00~、 第2回目13:30~ (雨天決行)
場所: 奥の山古墳と鉄砲山古墳
対象: 一般県民(大人向け)
費用: 無料 (館内見学は有料)
集合: さきたま史跡の博物館玄関前(所在地:行田市埼玉4834)
申込: 不要

[参考:埼玉県教育委員会県政ニュース 埼玉県立さきたま史跡の博物館 前出]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

興福寺・五重塔 初層を5年ぶり公開

2008年10月17日 | Weblog
 奈良市の興福寺で、あす18日から、五重塔(国宝)の初層(1階部分)が5年ぶりに公開される。
 堂内の四面に釈迦、阿弥陀、弥勒、薬師の如来三尊像が安置されているほか、心柱や心礎も見ることができる。11月24日まで。
 五重塔は730年に光明皇后の発願で建立され、雷や兵火での焼失と再建を繰り返した。現在の建物は 応永33(1426)年に再建された六代目で、高さ約51m。国内の五重塔では2番目に高い。
 特別公開では南円堂も公開する。南円堂は例年、10月17日しか拝観できない。鎌倉時代の仏師・運慶の父、康慶の作で、広く信仰されている不空羂索(ふくうけんざく)観音坐像(国宝)も見ることができる。

◎興福寺国宝特別公開-2008-
期間 10月18日~11月24日 午前9時から午後5時(受付終了は午後4時30分)
※南円堂内陣および五重塔初層内陣を特別に公開します。
拝観料:1,000円(東金堂拝観料含)
[参考:奈良新聞、9/14毎日新聞、興福寺]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日香村・高松塚古墳 排水用の溝出土

2008年10月17日 | Weblog
 文化庁は17日、高松塚古墳(7世紀末-8世紀初め)で墳丘内の排水のために造ったとみられる溝の一部が見つかったことを発表した。
[参考:共同通信]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする