今帰仁村歴史文化センターに、ペリー一行の来航という展示があった。当時の琉球測量図(地図)の複写があり、その説明書きにこんなことが書いてあった。
ペリーたちは1854年に日米和親条約と琉米修好条約を結んだ。
…前者は学校で教えてもらうことだ。
彼らはその前年に那覇に来航した。
那覇だけではなく、山原(やんばる)の海岸線を測量した。
今帰仁間切(村のこと)にも来ていた。
…この辺は、知っていた。でも、学校で教えてもらうことではない。
地図にこう書いてあった。
ISLAND OF LEW CHEW
(Lew Chewの島)
一行の中に、日本の文字を読めたものは、ほとんどいなかっただろう。地図制作者はブロークンのコミュニケーションで、土地の名前などを聞き書きしたのだと思う。Lew Chewと聞こえたのかな、なんて考えた。でも、琉球の流がRでなく、Lなのか不思議だった。
数日前写真を整理していて、このことを思い出し調べてみた。中華民国(台湾)では、現在の沖縄県のことを、琉球(Liu ciu)と呼ぶ。そんな資料を見つけた。RではなくLなのだ。今から150年前、発音がどうだったか。今と同じようにLiu ciu呼んでいたとしたら、一行の地名の知識、中国語経由なのかもしれない。もし当時の沖縄の人々がRyuukyuuと聞こえるように話していたら、やっぱり違う音だから、Rewと書いたと思うのだ。でも、Lewである。やはり、中国語の発音を元に、Lewと書いた。これが僕の推理なのだが...
…どんなもんだろう。