平日だいたい同じ時間に家を出る。電車もバスもだいたい同じ時間である。
電車はそれほどでもないが、バスの乗客は見た顔が多い。同じ学校に勤務していれば、春夏秋冬の季節の移りかわり、景色の変化も毎年だいたい同じである。
桜の開花、葉桜。田植え。夏の暑さ。秋の実り。銀杏が黄色くなり、しばらくすると黄色の落ち葉の絨毯ができる。稲刈り後の田んぼを北風が吹き抜ける。氷川神社の七五三、初詣。埼京線、宇都宮線沿線の学校に勤務していたときは、冬場朝の富士山が見える頃が、一番寒い季節。毎年くり返される日常だ。
僕が見ている景色の中の人たちも、それぞれ同じくりかえしだろう。そうこうしている間に、少しずつ電車やバスのメンバーが変わる。いつもの人がいないことに気づいても、何かをすることはない。僕がそうであるように、僕が誰かの視界から消えても、同じだろう。そうして社会の構成員の人は置き換わる。ある人は社会人から元社会人になり、そしてこの世とサヨウナラをするのだ。バスの中でそんなことを考えた。
...僕、どこか、おかしいのかな。