C-TRACEのレンダリングというのはトランスピューターボードを導入するまで画面のドットをひとつづ「ポチ........ポチ.........ポチ........ポチ」と描いていた。
その動作の気の遠くなること。
たとえば100×80のイメージサイズであれば8000個のドットを「ポチ........ポチ.........ポチ........」っと描いていたのだった。
ひとつのドットを計算するのが10秒であっても、8000個を描くためには80000秒。
実に2時間15分程度もの時間がかかったのだ。
100×80といえば、今ではネットに貼付けているバーナーのイメージファイルの大きさもない。
ほとんどアイコンみたいなものだ。
これがトランスピューターボードを導入してどういう変化が訪れたかというと、100×80のイメージサイズであれば、横方向の100ドットを一瞬で描いてしまい、次々と縦方向を埋めていくのだ。
「ザッ...ザッ...ザ....」
てな感じ。
ほんの数分もあれば小さなイメージデータであれば作成してしまうのであった。
しかし、トランスピューターボードを導入しても遅いことに変わりはない。
100個以上のプリミティブを組み合わせ、フルスクリーン以上のサイズのイメージデータを作ろうとすると1フレームを描くのにやはり数時間から数日の時間を要したのであった。
コピーライティングの仕事をしながらC-TRACEで絵を描く練習を続けた。
描き上げた作品は日経BP社発行の月刊日経CGの投稿欄へ投稿した。
投稿した作品でボツにされてしまったのは1作品だけで、どういう作品がボツになったのか今では思い出すこともできないということは、もともと対した作品ではなかったのかも知れない。
で、掲載された作品は、
「雨に濡れた植物の葉っぱをゆっくり移動しているカタツムリ」(アニメーションではない)、「古代出雲大社」「ラスベガス」「大川にかかる水晶橋」
などであった。
とりわけ大川にかかる水晶橋は自分で言うのもなんだけど力作で、初の縮尺通りの作品になった。
しかもマッピングをあれやこれやと動員し、できるだけ本物に近いグラフィックになるようあれやこれやと試みた作品であった。
凝ったこともあり、演算には1週間を要した。
尤も、1週間もかかってしまったのは演算速度がトランスピュータボードを持ってしてもトロイ、ということもあったが、演算途中、ちょうど夏だったこともあり、パソコンが内部熱で暴走し、その暴走していることにこっちもなかなか気付かなかったことも原因になっている。
熱で暴走。
X68000単体では暴走することはなかったのだが、トランスピュータボードを取り付けたら恐ろしく熱が出ていたらしく、小型扇風機で風を当てると、やっと止らずに演算を継続させることができることを見いだすまで、かなりの時間を要したのであった。
日経の雑誌で原稿料を稼いでいる間に、またまた転職をすることになった。
ついに独裁者(但し、私相手の限定的な独裁者。なぜなら部下が私しかいなかったため)T野氏の訳の分からない指示に私はブチ切れN社を退社することしたのだった。
N社の人事部長は気の毒がって別の部署への配属を打診してくれたが、私は私で意地をはってしまっており、もはや誰にも止められない事態に陥っていた。
おまけに、
「しょせんは広告屋。ええもんやのうても(良い製品ではなくても)、『これ、めちゃくちゃええ製品でっせ』とウソをつかなあかんような仕事はもうええ(もう、お断りだ)」
と、究極的な気持ちになっていたので配属転換をお断りすることにしたのだった。
ということで、幸いにも私は新しい職場は縁あってすぐに見つけることができた。
しかも、工業デザインというCGとは切っても切れないジャンルの仕事なのであった。
つづく
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