<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





初めの海外旅行でアメリカのロサンゼルスに出かけたのは1978年。
現地に住んでいる日系2世の親類宅にお世話になったので、高校生だった私を親もひとりで送り出す勇気があったのかもわからなかった。
この時のお土産はチャイニーズ・シアター近くにあったオモチャ屋で買った、「ダースベイダーのマスク」「Yウィング戦闘機のプラモデル」「スタートレックの宇宙船エンタープライズ号のプラモデル」とやたらかさばるものばかりで、家に帰って家族に大いに笑わたものだった。

このうちダースベイダーのマスクは大学を卒業してしばらくしてから、そういうもののコレクションをしている友だちに譲り渡し手元にないし、プラモデル群は楽しく作ったものの阪神大震災で壊れてしまったので、今は手元にない。

海外旅行の経験で何が一番楽しいかというと、その国の通貨を使って買い物をすることかもわからない、と今も海外へ出ると思うことがある。
ベトナムのホテルでカクテルを2杯飲んだら165000ドン請求されて、一瞬円と勘違いして凍りついたことがあったし、ミャンマーで100ドル両替したら、財布はもちろん小さなバックには入りきれないほどのチャット通貨をもらってお金持ちになった錯覚に陥ったりで、かなり楽しい。

もちろん初めてのアメリカ旅行もドル紙幣を使う楽しみがあって、
「映画みたいや」
という感覚と、
「人生ゲームみたいや」
という感覚が入り交じってかなり面白かった。

この時の為替相場が1ドル240円くらい。
どのような感覚だったか、今となっては忘れてしまったが、この相場がジリジリと値上がりを続ける中で日本の貿易は1980年代、1990年代とハイテク製品を中心にじわじわと世界を席巻していったことを思えば、
「適正相場だったんだな~」
と思うことひとしおではある。

翻って今現在。

1ドルはなんと80円以下。
ダイソーのメモ用紙よりも安くなってしまった。

10年ちょっと前のいしいひさいちのマンガ「バイト君」で、為替レートが1ドル100円を切って中野荘の貧乏学生たちがパニックになる模様がおもしろおかしく描かれていた作品があったように記憶するが、もうそういう想像の世界は遥かに超えてしまって今や大変に事態に陥っているのだ。

日本製品が高くて売れない。

という事実なのだ。
多くの企業は国内での生産を諦めて、海外の工場に委託、または海外に工場を建設。
そこでモノづくりに励む結果、日本国内には空洞化が起こり、失業者が溢れるという結果を生じている。
為替的にはリッチであっても、ポアーな人口がググっと増えてしまうという問題が大きくなってくるのだ。

かといって、技術流出を警戒したり、絶対日本だという愛国的ビジネスに徹して国内生産にこだわると、シャープのような大変な事態に陥ってしまうこともこれまた事実。

このように異常な為替レートが続くことをまったく意に介さないのが野田首相と民主党政権。

かつて家電が出ていき、鉄鋼が出ていき、ついに自動車も出て行こうとしている今の惨状。
たかが1ドル、されど1ドル。
野田首相は新聞読んでるんだろうか。

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