私の父の故郷は岡山県の総社市。
尤も、本人は「総社出身」とは絶対に言わない。なぜなら、つい最近市町村合併したばかりで、以前は山手村という名前の村なのであった。
この村には鉄道は通っておらず、大きな街総社や倉敷にバスでなければ鉄道を利用することはできなかった。
「めっちゃ不便や」
と都会生まれの都会育ちの私は子供の頃に不平を漏らしたものだ。
総社はともかく倉敷はもともと大きな街なので、そこまで行くと電車の本数も比較的多くて、ものの30分も待てば次の電車がやってくる、という環境がある。
それでも10分おきには電車がやってくる大阪に住む私は、30分という時間が途方もなく長く感じられ、地方都市のインフラは不便だ、と感じることひとしおであった。
この30分を遥かに上回るのが、総社へ乗り入れていたローカル線。
厳密には私の父の故郷に最も近い駅は東総社という駅なのであったが、ここが1時間に1本列車が走っていればいい方の駅で、あるときなど2時間ぐらい待たなければ列車がやって来ないという、超ローカルな駅なのであった。
列車も電車ではない。
ディーゼルが走っていた。
それも、ドアは自動ドアではなく、手で開け閉めしなければならない古い気動車が単線のレールの上をカタコトカタコトと走っていたのだった。
「あーん、タクシー乗ろ」
と母に泣きついても、そんな高価なものに乗るはずもなく、ボケーッと列車が来るのを待っていたのだった。
国鉄が未曽有の赤字を垂れ流し、民営化が噂され始めた頃、赤字ローカル線は廃止するいう光景が全国各地で見られて、それはそれは悲惨な状況なのであった。
うちの田舎のローカル線、国鉄吉備線もそんな路線だと私は確信し、そのうち消え去るであろうローカル線に多少とも愛情を抱くようになっていた。
あれから20年以上が経過。
列車は電車に出世はしていないものの、沿線人口の増加で廃止どころか列車の本数がかなり増えた。
父の故郷の最寄り駅はまだまだ少ないながらも、岡山駅発で途中まで来る列車は20分に1本の割合で運転されるようになった。
久しぶりに帰省ではなく仕事で岡山へ行くと、そんな時刻表が駅に掲示されていてビックリしたものだ。
この列車本数の増加は沿線人口の増加はもちろんのこと、国鉄が民営化されてJRになった効果も大きいに違いない。
親方日の丸的体質と決別した結果、利益を生みにくいローカル線も運行次第では沿線の重要な足になり、利用者も増加することがわかったのだろう。
先々月、そんなローカル線で驚くべきニュースが流れた。
広島で一旦廃止されたローカル線JR可部線の一部が電化復活することになったという。
周辺自治体と鉄道会社、市民の努力のなせる技で、大きく報道されていた。
そんな赤字ローカル線を舞台に若々しい人間模様を描き出した小説が真保祐一「ローカル線で行こう!」。
東北新幹線のカリスマ車内販売員だった女性が社長に抜擢され、廃止寸前の赤字ローカル線を盛り上げようとするのだが、そこに何か大きな陰謀が待ち受けていて。
という小説だった。
書店で帯を見てこの作者の本を初めて買い求めた。
ローカル線で行こう!が元気になれる小説のように思えたのだ。
前半は「少し調子よすぎるんじゃないか」という展開だったのだが、後半はミステリーへと発展。少々彫りが浅い部分があるけれども、なかなか面白いエンターテーメントになっていた。
小説を読み終わって、数日後、ラジオで南三陸鉄道の南リアス線の一部開通が報道されて、なんだか気分が明るくなった。
一昨年の震災で被災した赤字ローカル線をこのまま廃止してしまうという動きが国や鉄道会社にあるというニュースを聞く度に憂鬱な気分になったものだが、小説にせよ、リアルなニュースにしろ、前向きなトピックは人を元気づける。
そういえば、廃止されるかもしれない鉄道をどう復活させればよいのか。
地域的な動きはあるけれども、国全体で考えるようなシンポジウムが開催されたというニュースを聞いたことがない。
この際、そういうイベントでお客を呼ぶのもいいかもしれない、と思いながらページを閉じたのであった。
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