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「もう地震は400年間起こりません。だから、大丈夫です。」

阪神淡路大震災後、駆け出し数年生の営業マンだった私は震災支援関連の仕事で関西の某地方自治体の役所を訪れた。
まだ神戸には瓦礫が残っていて行方不明になっている人も少なくない頃。
大阪駅に「姫路」「網干」行きの電車が走るようになって感無量な気持ちになってから程無い頃の話で、防災に関する備蓄設備について説明する私に放った役所の担当者のセリフが冒頭の言葉だ。
あれだけ大きな地震が起こったのだから、もう400年は起こらない。だから役所では予算をつけません、というお役人らしい考えだ。

あれから18年。
震災ほどの大きさではなかったが、大きな地震が発生した。
2013年4月13日土曜日午前5:33分。
間違っても西暦2405年4月13日ではない。
ガタガタガタと家全体が踊るような大きな揺れ。
TVチューナに接続しているハードディスクが倒れて、本棚の本が飛び出しそうになった。
あの担当者が今も同じ役所で働いてたら、襟首ひっ捕まえて玄関先に放り出したいところだ。

それにしても昨日朝の地震は大きな地震だった。

「6時になったら起きよう」

と思って布団の中でゴロゴロしていたら突然揺れだし、だんだん揺れが大きくなったので、

「おお、ついに来たか。東南海地震!」

一瞬にして目が覚め2階へ駆け上がり、早朝起きてブログを書いているカミさんと、まだベットで鼻提灯をだしているはずの娘の元に走ったのであった。
部屋に入るとMacの前からカミさんの姿が消えていて、よく見ると隣の娘の部屋で娘に覆いかぶさるようにして震えていた。
我が家は2階建てなので天井が落ちることもないし、阪神大震災の経験で狭い娘の部屋には倒れるような家具は一切置いていないので覆いかぶさる理由がよくわからないが、母の娘の命を護るという気持ちに熱いものを感じたのであった。
そのカミさんの下で娘が言った一言が強烈な印象として残っている。

「ハラ減った」

カミさんの両親は健康で定年後の今もパートや社会活動で現役だが、阪神淡路大震災の時は芦屋(高級住宅地ではない阪神沿線の)に住んでいて、あの1.17の震災を直撃型で経験しているので昨日の朝はかなりビビったらしい。

気象庁によると地震のエネルギーはM6。
阪神のM7、東日本のM9と比べると比べもにならないくらい小さなエネルギーだが、これが中国なんかで発生していたら今頃大惨事担っているに違いない。
今日の朝刊によると、被害は建物1200棟におよび重軽傷者数百人というから、やはり小さな地震ではなかった。
死者はなく、交通網への被害もなかったので、さすが日本に生まれてよかったと思った。
航空管制官が慌てて「北朝鮮がミサイル発射」との情報を発信してしまい、北九州発羽田行きのスターフライヤーの出発が遅れたというニュースはご愛嬌としても、やはり政府は保守系でしっかりやってもらわなければ、というのを今回痛切に感じた。

阪神大震災の時は村山富市の社会党政権。
東日本大震災の時は菅直人の民主党政権。
どちらも自然災害よりも人災を多く出した政府なのであった。

今回は安倍晋三の自民党政権。
テレビの報道を見る限り、あっという間に危機対策室を置いて、あっという間に自衛隊を出動させ、あっという間に関連役所が動き始めたのであった。
東日本の時に首相が安倍晋三や橋下徹だったらどうなっちたかなんて想像するしかないが、やはり被害は少しでも小さくなっていたに違いないと思うのであった。

でも、なんといっても一番大きな教訓は阪神淡路大震災の経験が生きたことだ。
今回の震源は阪神淡路大震災の時の南隣。
被害のエリアもよく似ている。
阪神淡路の経験で震度7でも壊れないよう住宅や建物に補強が入っていたのはもちろんのこと、地震発生でも慌てず騒がず、どういう行動を取ればいいのかを関西人の多くは覚えていたことがあげられる。
「震災を思い出して動けなくなった」
という東北から避難してきている人たちや、子供の頃に建物の下敷きになった神戸の人もいたけれど、やはり経験を活かして近所との連携や、我が家のように家具の配置を考えていたと言う人が多かったようだ。

「400年は地震は来ません。」

トンデモ発言をした彼は今頃どの面を晒しているのだろうか。

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