<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



古都奈良というと日本史のスタート地点ということで様々な歴史ポイントが点在する。
東大寺。
興福寺。
元興寺。
法隆寺。
薬師寺。
唐招提寺。
飛鳥寺。
などなど。
とお寺だけでも全部足すと多分創建1万年は軽く超える1000年単位のお寺が点在。
それだけではなくて、
平城宮。
藤原宮。
飛鳥板蓋宮。
と都の跡も数多い。
古墳や城跡、建築物に彫像などの芸術オブジェ、古民家集落など数多あり、京都へ行っても、
「なんや鎌倉時代? 最近やな」
と奈良にハマると奇妙な錯覚を起こすことになる人も少なくない。
これを「奈良病」というらしいが、我が家も私を含めてこの病の気配があることは否定できない。

で、古いものはたくさんあっても近代遺産となると少ないかな、と思っていたらこれが違う。
近いうちにホテルになるという奈良刑務所に奈良駅舎、日本初のケーブルカーなど結構多い。
アインシュタインが弾いたピアノがあるという奈良ホテル本館は予算さえ合えば気軽に訪れることのできる近代遺産だ。

これが鉄道遺産で廃線跡となると実は奈良には4路線もある。
奈良といえば近鉄電車だが、それだけではなかった。
そう、古都奈良は最近注目されている廃線周りにはうってつけのところでもあったのだ。

4路線のうち一部区間が現在も現役の路線が大和鉄道の王寺〜桜井、天理軽便鉄道の法隆寺〜天理の2路線。
前者は今は近鉄田原本町線として王寺〜田原本町を走っていて、田原本町〜桜井が戦争中に運行を停止し廃線。
今は県道になっている。
後者は大正中期に近鉄線に買収されて法隆寺〜平端が廃止。平端〜天理は近鉄天理線で現在も運行している路線だ。
こちらは路線跡はほとんど残っておらず、一部石垣などにその面影を留めるだけになっている。

4路線のうち1路線はつとに有名なJR五新線。
奈良の五条駅から和歌山の新宮駅までの吉野を山々を貫く無謀な路線で昭和54年まで工事が続けられ五条〜西吉野の大塔村(現五條市大塔町)間の土木工事がほぼ完成していたが、ついに線路が敷かれることはなく久しくバス専用道として利用されていた。
廃線が決まった時に南海電鉄と近鉄が買収を申し出たがJRが拒否してお蔵入り。
つい最近までバス道は利用されていたが経年劣化のメンテナンス費の問題で今は廃墟になりつつある勿体ない存在でもある。

そして最後の1路線が大仏鉄道。
大仏鉄道といっても東大寺の中を突っ切っていた鉄道ではない。
そんなのあるわけがない。
大仏鉄道は明治31年に現在のJR奈良駅とJR加茂駅の間で開通した関西鉄道の路線だった。
関西鉄道は当時、国鉄の母体である省線の東海道線に対抗すべき大阪〜奈良に鈴鹿山脈の南側を通る路線を敷設。
大阪市の片町から奈良、亀山を通過して名古屋に至る路線を開通させ張り合っていたのだ。
今のJR関西本線とJR学園都市線がそれにあたる。
この路線ができたとき、奈良を経由するための路線が必要だった。
奈良にはすでに大阪鉄道という会社が敷設した現在のJR大和路線があり、それと接続することによって大阪の湊町駅(現在のJRなんば駅)と名古屋を結ぶという壮大な計画のために敷設されたのが大仏鉄道なのであった。

この大仏鉄道は現在のJR大和路線の奈良〜木津〜加茂間が開通することでたった9年間でその役目を終え廃線となった。
明治にできて明治に廃線になった路線だから、これまでほとんど一般に知られることのない鉄路なのだった。
これが俄に注目を集め始めたのは廃線ブームもあることながら、奈良という観光地の至極便利なところにある手軽なハイキングコースとしての価値が見いだされたからだろう。

で、今回私はこの大仏鉄道の遺構をめぐるハイキングに参加することになったのであった。

つづく





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )