<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



知的財産戦略推進事務局という漢字だけ並べたら中国語名みたいな名前の政府の部局が「クールジャパン」のロゴを発表した。

日の丸の左側が風にそよいでいるような図柄で、下に「JAPAN NEXT」の文字。

なんとなく日の丸が東に向かって逃げていくような図柄なので、「ああ、なるほど」と思ってしまった。
さすが知的財産戦略推進という名前が付いているだけに、日本の知的財産を護ため、それらを搾取し続ける西隣の2つの国から逃げる図柄は納得のいくものと思ってしまったのだ。

それにしても「クールジャパン」の割にはクールでないデザインでいささかがっかりしているというのがホントのところだ。
日の丸が横に流れたりする図柄は縁起が悪いように感じられて仕方がない。
日の丸アレンジの成功例は私の感想では旧海軍軍艦旗、もとい海上自衛隊旗のみで、後は失敗。
ろくなものがない。

代表的な失敗作には日本航空の欠けた日の丸があって、鶴丸から欠けた日の丸に変わって暫くしたら倒産の憂き目になったことは記憶に新しい。

そこへいくとクールジャパンの日の丸は溶けてなくなりつつある日の丸に見えるし、落ちてくる真っ赤に焼けた隕石、赤いロシアの人工衛星スプートニク号、水性インクで描かれた日の丸が雨で滲んでいる、などなど、いい雰囲気がしない。

だいたい日の丸は単純だけど優れたデザインで、あれをいじるのはデザイナーとしてのセンスが疑われる。
あの東京オリンピックなんかは、でっかい日の丸だ。

どんな人がデザインしているのかと思ったら、佐藤某というかなり有名なデザイナー。
「東日本大震災から立ち上がる日本をイメージした」ということから生まれたのがこのロゴなのだという。
たぶんデザインセンスよりビジネスセンスが優れているのだろう。

ともかく、クールジャパン。
かっこいい日本の熱気が冷めなければ良いのだが。

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6年前、プランは考えずに私はミャンマーのシャン州にあるチャイントンという街を訪れた。

チャイントンはヤンゴンから飛行機で約3時間のところにある田舎町。
ヘーホー、タチレイと二箇所も街に立ち寄ってやっと辿り着くところなので、随分な辺境のような気がしたものだった。
ところがチャイントン空港からチャーターした自動車に乗って市内に入ると車窓からは意外にも立派な建物が建ち並び、しかも多くの家々の屋根には衛星放送のアンテナまで立っている。チャイントンは小ぶりながらも裕福そうな街なのであった。



一般的にミャンマーの国内を走っている自動車は、ボロボロになるまで使いこなされた日本の中古車が多い。ほとんどが日本を走っていた姿のままの塗装で走っているので、例えばバスならば「新宿西口行き」だとか「パルケエスパーニャ志摩スペイン村」なんて書かれたのがそのまま走っているし、トラックならば「佐川急便」「日通」などと書かれたものがそのまま走っているようなところなのだ。
ところがチャイントンでは、中古に混じって新車のようなトヨタの四駆やワゴン車が頻繁に走っていたのでビックリした。

「メーサイからそのまま国境を超えて入ってきたタイの自動車ですよ」

と教えてもらった。
チャイントンは泰緬国境のタイ側の街メーサイから北に200km。ちょっと無理をすればタイ第二の都市チェンマイから自動車で10時間も運転すればたどりつける街なのであった。
件のタイから来た日本車はミャンマーのナンバープレートとタイのナンバープレートの両方をつけていた。
聞けば自動車だけではなく、この街ではタイ語も通じるし、買い物もミャンマーの通貨チャットはもちろんのことタイの通貨バーツで支払うことも可能なのだという。



気候もいいのでさらに高地にある英国植民地時代に建てられたレンガ造りの教会を訪れたり、郊外の温泉を訊ねたり、山の中にあるアカ族の村を訪れるトレッキングに参加したりした。
過ごしやすいとてもいいところなのであった、が、もしここへ行く前に沖田英明著「ミャンマーの侍山田長政」を読んでいたらきっと違った行動をしていたに違いない。

チャイントンには日本人の侍の子孫が暮らしているところがあるというのだ。
しかも彼らはタイのアユタヤで活躍した山田長政とその一派であるといい、お辞儀をするという日本人の習慣や建物の様式を伝え残しているだけにとどまらず、刀剣や槍なども大切に保管している家族もいるのだという。

これには正直驚いてしまった。
私はチャイントン周辺に住む少数民族の村を訪問し、彼らの生活に触れて異文化を感じていたのであったが、その少数民族の一つには鎖国で取り残された侍の子孫が残っているとは、地球の歩き方にも書いていない驚きの情報なのであった。
もし、この「ミャンマーの侍」を読んでいたら、私は日本人の血を引くというその民族の村を訪問し、私なりに色々訊ねたりしていたかもわからなず、旅のスタイルが一変していたに違いないのだ。

「ミャンマーの侍 山田長政」というタイトルからは、この一冊が旅のドキュメンタリーであることが分からない。しかし読み始めるとタイ、そしてミャンマーのあの暑い空気が全身を包み込み、一気に読み進んでいってしまう。
アップテンポな語り口と、その迫力、歴史ミステリーを兼ね備えている旅物語に満足することになるのだ。

ああ、今度はこの本を持ってまたチャイントンに行ってみたい。



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人気アイドルグループAKB48の名前を聞いていて以前から「何かに似ている」と思っていたのだが、それが今日あることがきっかけで明らかになった。

AKB48のAKBは空港コードに似ていたのだ。

たまたまネットのニュースを見ていたら、「AKB48の海外版初のグループ。インドネシアにJKT48誕生」と見出しにあるのが目に止まった。
「JKTって、ジャカルタかいな。ほんならタイのバンコクにできたらBKKやな。」
と思ったのだ。
で、暫く「よーできたビジネスやな」と感心していたのだが、よくよく考えてみると「JKTってジャカルタの空港コードかも。それにBKKってできたら、これも空港コードや。.....おおおっ!」
と、このアルファベット三文字は空港コードに似ていることに気づいたのであった。

空港で手荷物を預けるとその荷物にタグを貼り付けてくれる。そして、手荷物交換のラベルを渡される。
このラベルは国際線の場合はパスポートに貼っつけたり、航空券に貼っつけたりする。ところが国内線の場合はチケットレスで搭乗するため、私はしょっちゅうこのラベルを失ってバゲージクレームのカウンタで始末書みたいなものを書かされるのだ。
ほんとめんどくさいラベルなのだ。
そのタグとラベルに大きくアルファベット三文字で記されているのが空港コードなのだ。

例えば、関西空港であればKIX、成田空港であればNRT、羽田空港であればHNDといったように三文字のアルファベットで記されている。
私は頻繁に利用する地元の関西空港のKIXというコードがお気に入りなのだが、空港によってはそのコードに歴史を感じるところもあったりするので面白い。

私が時々訪れるミャンマーのヤンゴン国際空港の空港コードはRGN。YGNではない。
「未だに国際的にはラングーンなんやな」
と英国の呼び名で呼ばれているミャンマーの国際的立場にいたく同情することもしきりなのであった。

ところで、JKTがジャカルタならAKBというコードの空港はあるだろうか、と探してみたらありました。
米国アラスカ州のアトカ空港。
1002メートルの滑走路が一本あるだけのローカル空港なのであった。
ただし、ローカル空港と言ってもそこは米国。2003年には150便の定期便が飛んでいるところを見ると、日本の地方のどこかにある空港よりずっとマシなところのようなのだ。

ということで、どうでも良いことに気づいてささやかな満足をしている私なのであった。

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テレビの時代劇が曲がり角にさしかかっている。
あの「水戸黄門」が放送終了してしまうというニュースは日本国内のみならずフランスでまでトピックとして取り上げられるぐらいのショックが走っている。
今回の「水戸黄門」終了は別に「大岡越前」や「江戸を斬る」にバトンタッチされるというものではなく、単純に「もう、製作されない」ということを意味している。

私は別に水戸黄門のファンでもないが、あの番組が無くなるということは、日本のテレビドラマの一つの形式が消えてしまうことになると思ってる。
タイムテーブルがあるかのような「いつも似たようなストーリー」はもう見ることができないのだ。

でも、時代劇を代表するシリーズである「水戸黄門」が近い将来消えてしまうことは、番組制作にビデオカメラが使われ始めたときにその片鱗は窺えた。
当時、時代劇ファンだった私の友人のひとりは、
「ビデオで撮影している水戸黄門見ていると、なんか、コントみたいでつまらんな」
と言っていたものだった。

単にフィルムからビデオに変わるだけで、時代劇の質感は大きく変わってしまい、見るものの受け取る印象も致命的なダメージを受けるものだと、この時つくづくと感じたのであった。
それに主人公の黄門様を演じる役者も「?」なのであった。
西村晃までは許せるとして、佐野浅夫、石坂浩二、そして現在の里見浩太朗と変遷するにつけ、チャンネルを合わす気もなくなってしまったのも、これまた確かなのであった。
佐野浅夫は主人公をはれる役者さんではなかったし、石坂浩二は大衆時代劇がマッチせず、里見浩太朗は水戸黄門を演じても「松平長七郎」のイメージを払拭することはできなかった。
石坂浩二は大河ドラマで柳沢吉保のような役を演じるとぴったりとくるのだが、石坂黄門様はホームドラマの黄門様。
里見浩太朗の黄門様は年取った長七郎意外の何者でもなかったのだ。

だからといって、時代劇が衰退してしまうとは思えない証拠もある。

というのも、映画は一時期時代劇がほとんど姿を消してしまうという時期があったものの、今では時代劇は一つのジャンルとしてきっちりと確立し、海外でも認められている。
また、テレビ時代劇も「鬼平犯科帳」のように主人公を演じる役者が人間国宝になるようなドラマは、原作が尽きてしまっても未だにリメイクを繰り返し季節放送のドラマとして脈々と続いているものもあるくらいなのだ。

この二者に共通するのは「リアルさがある本格的なドラマ」であるということだ。
決まったパターンで、「なんで印籠なんかで土下座するの?」と現在の価値観ではなかなか理解の難しい、というか冷静に考えてみれば江戸時代であっても、どこの馬の骨かわからない旅人一行が印籠見せただけで「徳川光圀」と認識するのには無理がある。
そんな時代劇が続くほうがどうかしているのかもわからない。

「水戸黄門」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」などは、いまCSで再放送されているのを度々目にするが、面白いのは面白いが、「それがどうしたの?」と云われれば、どうしようもないドラマでもある。
これに対して「鬼平犯科帳」「剣客商売」「大江戸捜査網」「新選組血風録」なんてドラマは形にはまらない人情があり、活劇があり、いつも新鮮な風を心に吹き込んでくれる。
こう考えると、これからの時代劇は、「時代劇の終了」ではなく、もっと内容にこだわった、質の高い時代劇として生まれ変わり、生き残っていくのだろう。

ただ、水戸黄門のよう形の決まった「クサイ」ドラマは数年後に韓流ドラマとなって蘇ってくる確率が高く、今後の注目されるところではある。

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私の生まれ育った大阪府堺市は茶道発祥の地として全国に知られている。
その関係もあって茶道ゆかりの和菓子も有名なものがたくさんある。
例えば芥子餅、村雨、くるみ餅なんかが堺で誕生した代表的な和菓子なのだ。

また、お菓子ではないけれども茶粥なんかも堺で生まれた日本の味で、私は子供の頃からこの茶粥が大好きで、夏場になると母に頼んで冷蔵庫で冷やした冷たい茶粥を夏休みの昼ご飯に食べることを楽しみにしていた。

このように茶道ゆかりのものが様々あるものの、洋菓子で代表できるようなものが見当たらないのは、その反動かもわからない。

堺市の中心地は市役所のある南海高野線堺東駅周辺。
ここにはかつて大手スーパーがその勢力を争い、商店街は反映し、高島屋堺店は地域のブランドアップを後押ししていたが、ユニードが早々に撤退し、つづいて長崎屋、ニチイ(現ビブレ)、イズミヤと次々に撤退。
最後に残ったダイエーも「入居しているビルの家賃が高い」ということで、撤退し、高島屋堺店が今も健在であるのが不思議なくらい寂れてしまっている場所でもある。
これで市役所が泉北や中百舌鳥あたりに移転でもしようものなら大変な事態になるのかも知れないが、今のところそういった風聞は無く、低空飛行なりに現状を維持しているようなのだ。

学生の頃、3年間ほどここの商店街(銀座商店街といい、東京の銀座より、実は歴史が古い)でアルバイトをしていた関係で、私個人、非常に親しみのある商業地域なのだが、往年のにぎわいを取り戻すのは至難の業ではない。

とは言うものの、堺東地域が堺市の中心であることに変わりはなく、飲食店や衣料品店、オフィス、銀行が軒を並べ、多くの人々が行き来している場所でもある。

そんな堺東にある洋菓子屋さんが数件あるのだが、私が全く知らなかった新しいお菓子屋さんがオモロイ和風洋菓子を販売していたので思わず買ってしまった。

お菓子の名前は「TOFU CHAU DE」。

その日、仕事が終わり自宅に帰るために南海電車難波駅の中央コンコースを歩いていると、お菓子売り場に不思議なポスターを発見。
焼き豆腐の写真がどんと掲載され、キャッチの見出しが、
「TOFU
CHAU
DE」
なんじゃいそれ。

よくよく見ると豆腐ベースの洋菓子で、見かけは豆腐そのまんま。

「ムースのような食感ですよ」

と店の人。
試食もさせてくれるというものだから、無意識に頂戴したら、これが「美味い!」。
ほんのりとした豆腐の風味が感じられ、しかも朝得た甘み、ムースのような食感、そして焼き豆腐のような外観がたまらず、

「これ、ひとつください」

と思わず買い求めていたのであった。

「大きいのですか、小さいのですか?」

と尋ねられたので当然のことながら、

「大きい方を」
と応えると、

「TOFU CHAU DE 1丁、ありがとうございます!」

と数え方も豆腐になっているのであった。

もちろん家に帰ってからも大好評。
すでに寝ていた娘にだまって夫婦二人で平らげてしまったのであった。

なお、TOFU CHAN DEのお菓子そのものも美味しいが、その梱包もなかなかなのであった。
なんとお菓子は竹籠に乗っており、その竹籠もあとでいろいろ使い道がありそうで、さすが「堺」の商人は考えることが他とは違うと、思わず我がふるさとを賞賛していたのであった。



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和歌山、奈良、三重の三県が台風12号のために甚大な被害を受けている。
先週末、私は台風接近の報に接して東京出張は早めに切り上げ帰阪してきたのはいいけれど、数々のイベントが中止されるも府下の交通手段は長距離列車以外は通常運行。
早く戻ってくる必要がなかったことをあれこれ書いたが、奈良や和歌山、三重などはそれどころではなく、多くの犠牲者を出してしまった。
報道される個々の参事が3.11と同様、悲しいものばかりなのだ。

もともと、奈良県の南部から和歌山の山間部というのは雨の多いところで有名だ。
子供の頃に訪れただけだが、大台ケ原はその中でも雨が降り続くことが多く、いまだ人跡未踏な場所が多いという。
年間降水量も半端ではないが、その半端でない雨量を軽く上回ってしまうだけの雨がたったの4日間で降ってしまい大きな被害をだしたのだ。
自衛隊など特別な装備がなければたどり着けなくなってしまっている十津川村はこの大台ケ原からさして遠くない場所にある谷合の村だ。

お盆休み中に和歌山の有田川上流に行ってきたばかりなので、このあたりの自然の美しさと日本らしさは棚田の写真が伝えるそのままなのだが、その中でいったん自然が猛威をふるうとどのようなことになってしまうのかが、今回の水害が物語っている。

水害はまた、野田内閣が菅内閣とまったく変わらぬ危機意識欠如であることを如実にあぶり出した。
これもまた悲劇のひとつだ。
和歌山や奈良の過疎地域で発生した自然災害はきっと首都圏で発生した地震被害に比べると中央政府には全く関係ないできごとなのかもわからない。
新首相が何か特別な指示を出したという報道もなければ、政府の誰かが現地調査に出かけたということもきかない。

水害は自然災害だが、その後、3.11のように人災にしてしまわないように知恵を出すのは、今回も地元地域の人たちと自衛隊、警察、消防などの人たちなのかも分からない。

こんな時に、問題ある人を外務顧問につけたり、嫌いだからというだけでタバコ増税を画策する人を大臣にしたり、元日本赤軍メンバーの内妻で公金詐欺で起訴されたこともあるような人物を迎え入れる民主党政権。
一体何のための政府なんだろう、と考えるだけで頭が痛くなるのは私だけではないだろう。


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大阪府の北摂の山中には数多くのアライグマが生息しており、社会問題化しているのだそうだ。
アライグマはもともと日本では生息していない動物なので、たぶんペットで買われていたものが捨てられ野生化したものに違いない。

このアライグマ。
アニメの「あらいぐまラスカル」の印象が強いからか「かわいい」というイメージを持ちがちだが、実のところ凶暴なんだそうだ。

人や、飼い犬の姿を見ると率先して攻撃をしてくることがあり、かなり危険なんだとか。
このため、アライグマの捕獲が吹田市、豊中市、茨木市あたりでは重要なことなのだそうだが、そこに動物愛護なんじゃらというのがしゃしゃり出てきて凶暴なアライグマ駆逐作戦を阻害しているのだという。

そのアライグマ。
保護されすぎて、簡単に捕まえることができないことを良いことに変電設備などで昼寝をかましたりするので、見ている方が「危ないやないかい」と危険を感じるのだが、そんな野生動物も保護すると、一安心ということで、こういうのを「アライグマ助かる」と言う、などと言って喜んでいる人がいるというのだから、なかなか平和な話ではある。

アライグマ助かる。
あらいぐまラスカル。

しょーーーーーーーーーーーーー。

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「長い雨だな」
と思っていたら、各地で甚大な被害を出して今も日本海に居座る台風12号。
幸いなことに私の住んでいる地域は大した被害もなく、今は時おり雲の切れ間から太陽が顔を出しているようなところまで回復している。

ところが和歌山や奈良では大変な事態になっているようで、奈良県の山間部では半年に降る雨量がたったの3日間で降ったために道路が寸断、がけ崩れ、土砂崩れ、河川の決壊が相次いでいるようだ。

そんななか、「JR紀勢本線の橋脚が流された」というニュースが飛び込んできたので驚いた。
なんでも那智川にかかっている橋脚が増水した川に流され、復旧には数ヶ月要する事態になっているのだという。
那智川は串本と新宮間にかかる橋で、この橋が流されたということは、大阪から新宮へ運行している特急列車が走れなくなるということなのだ。

ところで、国鉄がJRになってから鉄道に対する国の補助金がいささかチープになっているように思えるのだが、それは正しいのだろうか。
というのも、自然災害がローカル線を襲い、重要なインフラを破壊してしまったために、そのまま廃線に追い込まれた路線が少なくないからだ。

例えば最近では宮崎県を走っていた高千穂鉄道が台風による路線破壊により復旧できず、そのまま廃線してしまった事例がある。
またJR東日本の岩泉線も集中豪雨による被害で路線を消失。
こちらは大手鉄道会社の路線だが、走っている所がローカルなため復旧の見込みはたっておらず、そのまま廃線に持ち込まれそうな雲行きなのだという。
また3.11で甚大な被害を受けた三陸鉄道や、原子力発電所事故のために復旧できない常磐線などは、いったいどうなってしまうのか。
全国の注目が集まっているところなのだ。

そんなところにJR紀勢本線の鉄橋流出。

この路線は関西からの特急列車も走っている和歌山南部の大動脈、と言いたいところだが、ローカル線に変わりはない。
なんといっても紀勢線の白浜以南は1時間に1本列車が走っているかどうかというローカル線で、白浜から新宮まで移動するのに3時間近くもかかってしまう。
ところが、白浜の隣町、田辺市から新宮市まで熊野の山の中を抜けて自動車でいどうすると1時間程度しかからず、鉄道の存在意義はそんなに大きなところでもないのだ。

なんてことを書くと地元の人に叱られそうだが、大阪から串本や太地町、紀伊勝浦、新宮へ行くのは大阪から東京へ行くよりも時間がかかることは間違いない。

とはいえ、鉄道は重要な足。
復旧はどうなるのか。
注目されるところなのである。

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台風12号がなかなか過ぎ去らない。
予報を見ると四国から日本海に抜けるのにまるまる一日はかかる見通しだ。

この週末、私は大阪梅田の新梅田シティで開催されているはずであった「オクトーバーフェスターin大阪」を訪れてドイツビールをたらふく飲むつもりだったのだが、目算が外れた。
非常に残念な結果だ。

一昨日と昨日、東京にいた私は台風の動きに気が気ではなく、我慢しきれず午前中の予定が終わった時点で午後のアポイントをすべてキャンセルして大阪に戻ってきたのであった。
しかも、帰阪には航空路を利用しようと思っていたのだが、台風接近とあっては欠航する恐れもあり、持っていたチケットを一週間後の便に予約し直し、品川駅から新幹線で帰ってきたのであった。
飛行機はもし欠航にならなくても台風接近中の強風の中を飛ぶ飛行機がジェットコースターよりも迫力ある上下運動と左右運動をするということを数年前に体験していた私は、少々ビビってもいたので新幹線にしたのであった。

ところが、台風はのろのろとしていて昨日の夜はおろか、今日一日かかっても近畿地方、中四国地方から過ぎ去っていく様子をみせず、ほとんど停滞した状態になっている。
朝、高知県に上陸し、現在(午後9時)現在、岡山県と香川県の境目、つまり瀬戸内海上を自転車のような速度で北上中。
迷惑至極な台風なのだ。

もっとも、私の住んでいる地域は台風の影響はかなり少なく、電車も特急以外は平常通り運行しており、バスも普通、スーパーも普通に営業しており、なんでオクトーバーフェスタだけお休みになっているのか理解不能な状態なのであった。

そもそも私は東南アジアか北米しか外国は経験がなく、ヨーロッパへ行くのであればドイツのオクトーバーフェスタと心に決めているのだが、旅費がなかなか確保できないのと、それ以上に休暇が確保できないためにドイツもフランスもイタリアも訪れたことがない。
強いて言うならば長崎のハウステンボスを訪れたことがあるが、見かけはオランダでも遠くの山やスタッフの多くが日本人のハウステンボスではテーマパーク以外の何者でもなく、オランダではないのであって、やはり「ヨーロッパへ行きました」とは決して言えない。

そんなこんなもあってミュンヘンの本場を体験できないものの、せめて大阪のオクトーバーフェスタを体験できる機会出会ったにもかかわらず「台風12号」のもたらしている私への罪は小さくない。

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17才の牧瀬里穂演じる少女が、どこかから帰ってくる彼を迎えにいくため、懸命に名古屋駅のコンコースを走っている。
BGMは山下達郎の「クリスマス・イブ」。
途中、背広姿のおじさんにぶつかって頭を下げ、やがて改札口へ到着。
ホームにはヘッドライトも眩しい300系のぞみ号が軽快に滑り込んでくる。

というのが20年近くもまえのJR東海のTVCM。
そのTVCMに登場した当時最新型の300系新幹線が引退することになったのだという。
時間の流れの早いこと。
ついこのあいだ登場したと思っていた新型車両はもう消え去る時代になってしまったというわけだ。

国鉄がJRになってからはじめて登場した印象的な新型車両が新幹線300系。
「ひかり」号、「こだま」号に新たに加わったバリエーション「のぞみ」号。
その新規格の超特急に使用された車両は、最高時速270km、東京大阪間2時間30分台で走るので大きなインパクトを与えたものだった。
しかも、当初のぞみ号は名古屋を通過。
京都を出発したら東京駅まで止まらなかった。
この関西圏~首都圏ノンストップは社会的にもショックが大きかった。

さらにさらに、300系は「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という古のキャッチを思い起こし、営業開始以来たびかさなる故障、故障で、

「離陸するジェット機よりも早く走る300系新幹線は危険なのではないか」

と、あまりの速さに危険を感じることも少なくなかったのであった。

私がはじめて300系のぞみ号を利用したのは東京出張の帰りなのであった。
社会人になって数年しか経過していなかった私は3~4ヶ月に一度、東京出張があっていつも新幹線を利用していた。
その日、お客さんとの打ち合わせが終わってから東京営業所の部長が「ちょっと飲んで帰るか」と夕食を御馳走してくれたので、乗った新幹線が新大阪駅行きの最終列車になってしまったのであった。

最終列車は「のぞみ号」。
のぞみ号が走り始めて一年ほど経過したときだったのだが、なんとなくわくわくしたことを思い出す。

「時速270kmって、どんな感じやろ」

といい年こいた20代のおにいちゃんオッサンであった私は子どものように「のぞみに乗るからね♪」と思ったのであった。

で、その印象は、
「ちょっと怖い」
なのであった。

300系は最新型だったのだが、乗り心地は良くなく、とりわけカーブや、上り坂の終わり部分や下り坂の始まる部分では、「ふわっ」っとした重力変化を感じて、まるでジェットコースターに乗っているような感覚を覚えて不安感が過ぎったのであった。
N700系の乗り心地を思うと、やはり時代の流れは避けられない。

300系新幹線。
忘れがたきクリスマス・エキスプレス。

東海道・山陽から同時に消えてしまうのもあと一年。
乗り納めをしておかなければならない、と思える新幹線なのであった。

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