啓示
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第83話 辞世 act.9-another,side story「陽はまた昇る」
唯2分、120秒が14年を解いた。
『…そうだ、』
ただ一言、けれど14年を解くのに充分だ。
いま向きあう視線にすべてが解ける、微笑んで周太は頭下げた。
「岩田班長、ありがとうございました、」
下げた視界、自分の脚はアサルトスーツで黒い。
ゆっくり上げた先も上官は黒衣で、こんな無彩に息詰まりかけて口開いた。
「すこし外に出てきます、打合せは何分後ですか?」
「…12分後だ、」
低く声が応えて頭上、LEDランプ灯る。
明るんだ幕内へ敬礼して、踵返した背に聞えた。
「…すまない、湯原、」
ああ、この一言が聴きたかったんだ?
―もう良いよね、お父さん?
唯ひとつ聴きたかった言葉、それを背中に言ってもらえた。
これが本音かどうかは解からない、それでも聴けたなら幸せなのだろう。
「はい、」
ひとこと肯いて、けれど振り向かない。
もし顔見れば互いに揺らぐ、そう想えて幕外へ踏みだした。
「…さむ、」
吹きぬける風、マスク透かして頬冷たい。
こぼれた吐息も白くて、いま残照まばゆい稜線に微笑んだ。
「…アーベンロートってこんなかな、お父さん?」
声に呼んで、ほら赤い山が滲みだす。
雪尾根が雲が薄紅ゆるやかに融ける、ふる黄昏は菫色そまる。
暮れる雪嶺は薄闇の紗こめて、もう泣いても顔は見られない。
―今だけ泣いていいよね、お父さん…さいごの泣虫させて、
いま自分の貌はマスクとヘルメットの黒に隠される。
でも瞳だけは見えてしまう、けれど黄昏の翳に今なら隠される。
赤い雪嶺やわらかな薄暮は滲んで温かい、ひとり声なく涙がつたう。
『でも僕は父を撃った犯人を罰したいとは思いません、後悔して泣いてほしいだけです、』
そう言えた、犯人に。
―ちゃんと言えた、僕でも、
泣虫な自分、幼いころは言いたいことも伝え方が解からなかった。
そんな自分の想いを父はいつも解かって、そして詩に物語に受けとめてくれた。
『周、こんな詩があるよ…周が好きなワーズワースで、』
ほら、穏やかな深い声が優しい。
あの声が見つめた世界のかけらは今ここにある、その赤い雪嶺に記憶が謳う。
The innocent brightness of a new-born Day Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye
That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been, and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live.
Thanks to its tenderness, its joys, and fears,
To me the meanest flower that blows can give
Thoughts that do often lie too deep for tears.
生まれた新たな陽の輝きは無垢、いまも瑞々しいままに
沈みゆく太陽めぐらす雲たちに、
謹厳な色彩を読みとる瞳は、
人の死すべき運命を見た瞳、
時を歩みたどらせ、そしてもう一つの手に克ちとる。
僕らが生きてめぐり逢う人の心への感謝。
その感謝は優しさに、喜びに、そして恐怖にすら見つめ、
そうして密やかに咲く花こそ僕には意味がある
涙より深く響くから。
“Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood”
幼い記憶からの不滅の啓示。
そんな題名の詩を父はいくども聴かせてくれた、その想い今たどれる。
どうして父が「幼い記憶」の言葉なぞったのか、そこにある祈りは今と同じだ。
“Another race hath been, and other palms are won. Thanks to the human heart by which we live. ”
時を歩みたどらせ、そしてもう一つの手に克ちとる。僕らが生きてめぐり逢う人の心への感謝。
この想いあるから今、憎まないで済む。
―佐山さんのおかげだ、ね…僕が今泣けるのは、
佐山達治、
父を殺害した罪に服して生きる人。
その姿はいつも笑顔に温かい、あの温もりは贖罪から生まれた。
あんなふうに人は生き直すことができる、その真相が冤罪から生まれたと知っても彼はきっと変わらない。
『俺が殺しちまったあの人が、うまいと言ってくれるような、あったけえ味が出せたらいい。その味で誰かを温めてやれたら、そうしたら少しでも罪が償えるかもしれない、それであの世で会えたらありがとうって言いたい。そんなふうに頑張らせて頂いてます、』
昨秋に聴かせてくれた言葉、あの想いに信じられる。
あんなふうに言える人は、あんなふうに料理を作れる人は、きっと真相を知っても微笑むだろう。
―佐山さん、あなたも解かってくれますよね?僕が班長を殺さない気持ちを…あなただけは、
あのひとは恨まない、そう信じられる。
それだけ彼のラーメンはいつも温かい、その信頼やわらかに赤い雪嶺にじむ。
こんな涙を二年前の自分は想えなかった、ただ温かい涙に呼ばれた。
「湯原、どうした?」
低い声、でも温かい。
きっと心配させていた、待たせていた相手に微笑んだ。
「大丈夫です、伊達さん…寒いなかお待たせしてすみません、」
笑いかけて、でも瞳の底から熱あふれてしまう。
やまない涙にまた詩が歌う、きっと一節が数時間後に響く。
“Thanks to its tenderness, its joys, and fears,”
この想い、君はうなずくだろうか?
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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周太24歳3月
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第83話 辞世 act.9-another,side story「陽はまた昇る」
唯2分、120秒が14年を解いた。
『…そうだ、』
ただ一言、けれど14年を解くのに充分だ。
いま向きあう視線にすべてが解ける、微笑んで周太は頭下げた。
「岩田班長、ありがとうございました、」
下げた視界、自分の脚はアサルトスーツで黒い。
ゆっくり上げた先も上官は黒衣で、こんな無彩に息詰まりかけて口開いた。
「すこし外に出てきます、打合せは何分後ですか?」
「…12分後だ、」
低く声が応えて頭上、LEDランプ灯る。
明るんだ幕内へ敬礼して、踵返した背に聞えた。
「…すまない、湯原、」
ああ、この一言が聴きたかったんだ?
―もう良いよね、お父さん?
唯ひとつ聴きたかった言葉、それを背中に言ってもらえた。
これが本音かどうかは解からない、それでも聴けたなら幸せなのだろう。
「はい、」
ひとこと肯いて、けれど振り向かない。
もし顔見れば互いに揺らぐ、そう想えて幕外へ踏みだした。
「…さむ、」
吹きぬける風、マスク透かして頬冷たい。
こぼれた吐息も白くて、いま残照まばゆい稜線に微笑んだ。
「…アーベンロートってこんなかな、お父さん?」
声に呼んで、ほら赤い山が滲みだす。
雪尾根が雲が薄紅ゆるやかに融ける、ふる黄昏は菫色そまる。
暮れる雪嶺は薄闇の紗こめて、もう泣いても顔は見られない。
―今だけ泣いていいよね、お父さん…さいごの泣虫させて、
いま自分の貌はマスクとヘルメットの黒に隠される。
でも瞳だけは見えてしまう、けれど黄昏の翳に今なら隠される。
赤い雪嶺やわらかな薄暮は滲んで温かい、ひとり声なく涙がつたう。
『でも僕は父を撃った犯人を罰したいとは思いません、後悔して泣いてほしいだけです、』
そう言えた、犯人に。
―ちゃんと言えた、僕でも、
泣虫な自分、幼いころは言いたいことも伝え方が解からなかった。
そんな自分の想いを父はいつも解かって、そして詩に物語に受けとめてくれた。
『周、こんな詩があるよ…周が好きなワーズワースで、』
ほら、穏やかな深い声が優しい。
あの声が見つめた世界のかけらは今ここにある、その赤い雪嶺に記憶が謳う。
The innocent brightness of a new-born Day Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye
That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been, and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live.
Thanks to its tenderness, its joys, and fears,
To me the meanest flower that blows can give
Thoughts that do often lie too deep for tears.
生まれた新たな陽の輝きは無垢、いまも瑞々しいままに
沈みゆく太陽めぐらす雲たちに、
謹厳な色彩を読みとる瞳は、
人の死すべき運命を見た瞳、
時を歩みたどらせ、そしてもう一つの手に克ちとる。
僕らが生きてめぐり逢う人の心への感謝。
その感謝は優しさに、喜びに、そして恐怖にすら見つめ、
そうして密やかに咲く花こそ僕には意味がある
涙より深く響くから。
“Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood”
幼い記憶からの不滅の啓示。
そんな題名の詩を父はいくども聴かせてくれた、その想い今たどれる。
どうして父が「幼い記憶」の言葉なぞったのか、そこにある祈りは今と同じだ。
“Another race hath been, and other palms are won. Thanks to the human heart by which we live. ”
時を歩みたどらせ、そしてもう一つの手に克ちとる。僕らが生きてめぐり逢う人の心への感謝。
この想いあるから今、憎まないで済む。
―佐山さんのおかげだ、ね…僕が今泣けるのは、
佐山達治、
父を殺害した罪に服して生きる人。
その姿はいつも笑顔に温かい、あの温もりは贖罪から生まれた。
あんなふうに人は生き直すことができる、その真相が冤罪から生まれたと知っても彼はきっと変わらない。
『俺が殺しちまったあの人が、うまいと言ってくれるような、あったけえ味が出せたらいい。その味で誰かを温めてやれたら、そうしたら少しでも罪が償えるかもしれない、それであの世で会えたらありがとうって言いたい。そんなふうに頑張らせて頂いてます、』
昨秋に聴かせてくれた言葉、あの想いに信じられる。
あんなふうに言える人は、あんなふうに料理を作れる人は、きっと真相を知っても微笑むだろう。
―佐山さん、あなたも解かってくれますよね?僕が班長を殺さない気持ちを…あなただけは、
あのひとは恨まない、そう信じられる。
それだけ彼のラーメンはいつも温かい、その信頼やわらかに赤い雪嶺にじむ。
こんな涙を二年前の自分は想えなかった、ただ温かい涙に呼ばれた。
「湯原、どうした?」
低い声、でも温かい。
きっと心配させていた、待たせていた相手に微笑んだ。
「大丈夫です、伊達さん…寒いなかお待たせしてすみません、」
笑いかけて、でも瞳の底から熱あふれてしまう。
やまない涙にまた詩が歌う、きっと一節が数時間後に響く。
“Thanks to its tenderness, its joys, and fears,”
この想い、君はうなずくだろうか?
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】
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