幕下の明暗
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第83話 辞世 act.12-another,side story「陽はまた昇る」
夜更けてゆく簡易デスクのむこう、隊服姿の影が長い。
ランプ照らす長身はヘルメットも隊服も青くて、この姿よく知っている。
だって去年の冬は何度も傍にいた、もう遠い時間、でも声は周太の前で微笑んだ。
「セラック崩壊が心配です、こちらの斜面は今年もセラックがありますよね?」
きれいな低い声は落着いている。
なにも動じてなんていない、そのままに長い指が登山図を示した。
「でも銃座のポイントはこの斜面でしょうか、」
登山図を示す長い指、その爪に鼓動がはずむ。
LEDランプうす暗い幕営、けれど誰の指かなんて自分は解ってしまう。
―英二がいる、こんな現場で会うなんて…どうして、
どうして、ここで会ってしまうのだろう?
「ここは大きな雪壁が毎年できますよね、浦部さん?」
「できます、ただブッシュ帯なので足場から崩れる危険があります。上部でセラック崩壊が起きれば連動しやすいです、下は遮るものが樹林帯までありません、」
「もし雪崩に巻きこまれたら止まれませんね、」
登山図を指さす二人、どちらの声も知っている。
知っているからこんな現場で会いたくなかったのに?
―まさか山岳レンジャーと一緒になるなんて、ね…?
山と救助の専門部隊が現場を共にする、こんな可能性そうないだろう。
けれど現実になってしまった山懐で三人めも言った。
「難しい場所だね、そんなとこへ部下はやれません、」
透るテノールがテーブルむこうから笑いかける。
その眼ざしは暗いテント内でも明るい、声も明るいトーンのまま断言した。
「行動開始は早くても午前4時です、天候の回復と雪が硬い時間を狙いましょう、」
やっぱり危険なんだ、たぶん夜が明けても。
―ごめんね光一、部下の人たちを巻きこませて…英二のことも、
心裡に呼んで詫びてしまう。
ほんとうは声にして謝りたい、けれど出来ない立場に上官が言った。
「人質の安全確保が最優先事項だ、1時間後には出てもらう、」
譲るつもりはない、命令を聴け。
そんな上から目線の声はマスクない横顔も傲岸が鋭い。
こんな声と貌する男、それでも20分前は謝ってくれたなんて君は信じるだろうか?
―もし岩田班長がほんとうの犯人って英二が知ったら…黙ってないよね、英二は、
登山図のむこうに穏やかに君は笑っている、でも事実を知れば何するだろう?
想定に背すじ冷ややかに硬くなる、これまでの言動に穏やかな想像は出来ない。
どうか知らないままでいてくれたなら?願いと佇んだ隣から低い声が徹った。
「班長、私も午前4時以降と判断します、」
ほら、この人も自分を援けようとしてくれる。
―ありがとうございます伊達さん、でも命令に逆らったら伊達さんが危ないのに、
自分たちは所詮「指揮下」にある。
その現実この人も解かっていて、それでも沈毅な眼は続けた。
「この天候では出せません、なにより計画が無茶です、現場を担当する方の意見を尊重すべきと思います、」
横顔はマスクに黒く覆われて、けれど声は大らかに徹って澱まない。
ただ実直に意見を述べてくれるパートナーに懐かしい声が微笑んだ。
「ありがとうございます、」
どんな意味の「ありがとう」なのだろう?
想わせる声はきれいに微笑んでいる、でも視線の底かすかに厳しい。
相手がどういう人間か量るのだろうか?そんな眼ざしの前で上官は告げた。
「立籠もり犯の対応なら我々が専門だ、この現場は立籠もり事件にある、」
うす暗いランプに傲岸なトーン頑なに響く。
ここまで言い張るのは「あの男」命令だろう、その事情に哀しくなる。
―班長にも事情があるんだ、逆らえないだけの…まもりたくて、
上官として立つ男は強靭な心身を持っている。
そうでなくては務まらないポジション、でも父のほうがずっと強かったと自分は断言したい。
―お父さんも護りたかったんだ、人ひとりを、
人ひとりの命、それが父の見つめたもの。
そう今なら解かる、だって父は佐山を救えと言い遺した。
最期の瞬間に父が見た願い何だったのか、そこにいた同期の安本に何を託したのか?
その全て知りたくて父の跡を追いかけ父のかけら探して、そうして組まれる姿は優しいからこそ強い。
だから自分も殺したいと想えない、岩田も、犯人も。
「私の判断が最優先されるべき事件だ、1時間後に出発しろ、」
続けられる岩田の声はいつもと変わらない。
でも昨日までと違うのは自分だけの想いだろうか?そんな時間に山岳レンジャーの指揮官が言った。
「午前4時でも1時間後でも到着時間は同じです、」
反論してくれるテノールは澄んで真直ぐに明るい。
この声にもずっと会いたかった、けれど名乗れないまま幼馴染は続けた。
「この天候では行動不能に陥りますからね?ドッチも一緒なら命の安全を選びましょう、」
「人質の安全が我々の任務だ、1時間後の出発は上からの指示でもある、任務に命を惜しんでレスキューと言えるのか?」
また上司が反論する、でも危ないかもしれない?
―こういう言い方いちばん光一は嫌いだよね、怒らせたら…いちばん班長が困るよね、
登山図のテーブルむこうにいるのは幼馴染、でも今は隊服姿で責任を背負い立っている。
その青い袖に指揮官の腕章まぶしい貌はテノール低く嗤った。
「あのさあ、ナンで俺たち七機が出張ったと思ってんの?ヨソサマの山域にさあ、ねえ?」
さあ、ねえ?こんな言いかた始めたら危険だ。
―どうしよう班長すぐ謝ってくれたら良いのにって無理だよね、でも僕はいま止められない、
もし正体を明かして止めたら止めるかもしれない、でもマスク外すのは禁じられている。
もう一人、幼馴染のザイルパートナーは止められる可能性あるけれど多分、彼こそ止めるつもりがない。
「この悪天候でさあ、県内全域とっくに遭難でまくってんの、だから県警が動けないんだろが?県警が動けねえから俺たち七機が出張ってんだよ、ねえ?」
幼馴染の声で言葉がつむがれる、その口調きつくなる。
それでも誰ひとり止める気配もないまま暗いランプの下、雪白の微笑が唇の端あげた。
「県警がキャパオーバーしちゃうほどの遭難率だって解かんねえのかなあ、もう県警だってビバーク入るよって無線きましたよねえ?ソンクライの現場状況マサカ把握していないとかアリエマセンよね、特殊部隊の指揮官ですもんねえ?キッチリ状況わかったウエで仰ってんですよね、アタリマエですもんねえ、」
その言い回し、きっと岩田には辛いだろう?
―本当に「指揮」する立場なら有得ない判断だって言ってる、同じ指揮官の立場から光一は、
解かんねえのかなあ、把握していない、状況わかった上で。
どれも情報のコントロール不足を指摘する、それは指揮官の立場もプライドも揺らがしてしまう。
同じ指揮官同士、それも親子ほど年次が下の相手に言われたら?その痛み解っているくせに幼馴染は微笑んだ。
「こんなサイテー状況を冗談で和ませておられるんでしょう、指揮官ラシイ心遣いおそれいります。さ、午前4時の計画キッチリ詰めましょうか、」
きっと今、上官は怒り堪えて顔赤いだろう。
見なくても解かる空気にため息そっと吐いた隣、低く先輩の声つぶやいた。
「…やるな、さすがだ、」
誰が「さすがだ」なんて聞く必要もないだろう?
それでも視界の端たしかめた隣の視線はテーブルむこう、青い隊服姿に笑っている。
(to be continued)
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周太24歳3月
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第83話 辞世 act.12-another,side story「陽はまた昇る」
夜更けてゆく簡易デスクのむこう、隊服姿の影が長い。
ランプ照らす長身はヘルメットも隊服も青くて、この姿よく知っている。
だって去年の冬は何度も傍にいた、もう遠い時間、でも声は周太の前で微笑んだ。
「セラック崩壊が心配です、こちらの斜面は今年もセラックがありますよね?」
きれいな低い声は落着いている。
なにも動じてなんていない、そのままに長い指が登山図を示した。
「でも銃座のポイントはこの斜面でしょうか、」
登山図を示す長い指、その爪に鼓動がはずむ。
LEDランプうす暗い幕営、けれど誰の指かなんて自分は解ってしまう。
―英二がいる、こんな現場で会うなんて…どうして、
どうして、ここで会ってしまうのだろう?
「ここは大きな雪壁が毎年できますよね、浦部さん?」
「できます、ただブッシュ帯なので足場から崩れる危険があります。上部でセラック崩壊が起きれば連動しやすいです、下は遮るものが樹林帯までありません、」
「もし雪崩に巻きこまれたら止まれませんね、」
登山図を指さす二人、どちらの声も知っている。
知っているからこんな現場で会いたくなかったのに?
―まさか山岳レンジャーと一緒になるなんて、ね…?
山と救助の専門部隊が現場を共にする、こんな可能性そうないだろう。
けれど現実になってしまった山懐で三人めも言った。
「難しい場所だね、そんなとこへ部下はやれません、」
透るテノールがテーブルむこうから笑いかける。
その眼ざしは暗いテント内でも明るい、声も明るいトーンのまま断言した。
「行動開始は早くても午前4時です、天候の回復と雪が硬い時間を狙いましょう、」
やっぱり危険なんだ、たぶん夜が明けても。
―ごめんね光一、部下の人たちを巻きこませて…英二のことも、
心裡に呼んで詫びてしまう。
ほんとうは声にして謝りたい、けれど出来ない立場に上官が言った。
「人質の安全確保が最優先事項だ、1時間後には出てもらう、」
譲るつもりはない、命令を聴け。
そんな上から目線の声はマスクない横顔も傲岸が鋭い。
こんな声と貌する男、それでも20分前は謝ってくれたなんて君は信じるだろうか?
―もし岩田班長がほんとうの犯人って英二が知ったら…黙ってないよね、英二は、
登山図のむこうに穏やかに君は笑っている、でも事実を知れば何するだろう?
想定に背すじ冷ややかに硬くなる、これまでの言動に穏やかな想像は出来ない。
どうか知らないままでいてくれたなら?願いと佇んだ隣から低い声が徹った。
「班長、私も午前4時以降と判断します、」
ほら、この人も自分を援けようとしてくれる。
―ありがとうございます伊達さん、でも命令に逆らったら伊達さんが危ないのに、
自分たちは所詮「指揮下」にある。
その現実この人も解かっていて、それでも沈毅な眼は続けた。
「この天候では出せません、なにより計画が無茶です、現場を担当する方の意見を尊重すべきと思います、」
横顔はマスクに黒く覆われて、けれど声は大らかに徹って澱まない。
ただ実直に意見を述べてくれるパートナーに懐かしい声が微笑んだ。
「ありがとうございます、」
どんな意味の「ありがとう」なのだろう?
想わせる声はきれいに微笑んでいる、でも視線の底かすかに厳しい。
相手がどういう人間か量るのだろうか?そんな眼ざしの前で上官は告げた。
「立籠もり犯の対応なら我々が専門だ、この現場は立籠もり事件にある、」
うす暗いランプに傲岸なトーン頑なに響く。
ここまで言い張るのは「あの男」命令だろう、その事情に哀しくなる。
―班長にも事情があるんだ、逆らえないだけの…まもりたくて、
上官として立つ男は強靭な心身を持っている。
そうでなくては務まらないポジション、でも父のほうがずっと強かったと自分は断言したい。
―お父さんも護りたかったんだ、人ひとりを、
人ひとりの命、それが父の見つめたもの。
そう今なら解かる、だって父は佐山を救えと言い遺した。
最期の瞬間に父が見た願い何だったのか、そこにいた同期の安本に何を託したのか?
その全て知りたくて父の跡を追いかけ父のかけら探して、そうして組まれる姿は優しいからこそ強い。
だから自分も殺したいと想えない、岩田も、犯人も。
「私の判断が最優先されるべき事件だ、1時間後に出発しろ、」
続けられる岩田の声はいつもと変わらない。
でも昨日までと違うのは自分だけの想いだろうか?そんな時間に山岳レンジャーの指揮官が言った。
「午前4時でも1時間後でも到着時間は同じです、」
反論してくれるテノールは澄んで真直ぐに明るい。
この声にもずっと会いたかった、けれど名乗れないまま幼馴染は続けた。
「この天候では行動不能に陥りますからね?ドッチも一緒なら命の安全を選びましょう、」
「人質の安全が我々の任務だ、1時間後の出発は上からの指示でもある、任務に命を惜しんでレスキューと言えるのか?」
また上司が反論する、でも危ないかもしれない?
―こういう言い方いちばん光一は嫌いだよね、怒らせたら…いちばん班長が困るよね、
登山図のテーブルむこうにいるのは幼馴染、でも今は隊服姿で責任を背負い立っている。
その青い袖に指揮官の腕章まぶしい貌はテノール低く嗤った。
「あのさあ、ナンで俺たち七機が出張ったと思ってんの?ヨソサマの山域にさあ、ねえ?」
さあ、ねえ?こんな言いかた始めたら危険だ。
―どうしよう班長すぐ謝ってくれたら良いのにって無理だよね、でも僕はいま止められない、
もし正体を明かして止めたら止めるかもしれない、でもマスク外すのは禁じられている。
もう一人、幼馴染のザイルパートナーは止められる可能性あるけれど多分、彼こそ止めるつもりがない。
「この悪天候でさあ、県内全域とっくに遭難でまくってんの、だから県警が動けないんだろが?県警が動けねえから俺たち七機が出張ってんだよ、ねえ?」
幼馴染の声で言葉がつむがれる、その口調きつくなる。
それでも誰ひとり止める気配もないまま暗いランプの下、雪白の微笑が唇の端あげた。
「県警がキャパオーバーしちゃうほどの遭難率だって解かんねえのかなあ、もう県警だってビバーク入るよって無線きましたよねえ?ソンクライの現場状況マサカ把握していないとかアリエマセンよね、特殊部隊の指揮官ですもんねえ?キッチリ状況わかったウエで仰ってんですよね、アタリマエですもんねえ、」
その言い回し、きっと岩田には辛いだろう?
―本当に「指揮」する立場なら有得ない判断だって言ってる、同じ指揮官の立場から光一は、
解かんねえのかなあ、把握していない、状況わかった上で。
どれも情報のコントロール不足を指摘する、それは指揮官の立場もプライドも揺らがしてしまう。
同じ指揮官同士、それも親子ほど年次が下の相手に言われたら?その痛み解っているくせに幼馴染は微笑んだ。
「こんなサイテー状況を冗談で和ませておられるんでしょう、指揮官ラシイ心遣いおそれいります。さ、午前4時の計画キッチリ詰めましょうか、」
きっと今、上官は怒り堪えて顔赤いだろう。
見なくても解かる空気にため息そっと吐いた隣、低く先輩の声つぶやいた。
「…やるな、さすがだ、」
誰が「さすがだ」なんて聞く必要もないだろう?
それでも視界の端たしかめた隣の視線はテーブルむこう、青い隊服姿に笑っている。
(to be continued)
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