萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 辞世 act.15-another,side story「陽はまた昇る」

2015-09-27 22:30:01 | 陽はまた昇るanother,side story
零の初歩
周太24歳3月



第83話 辞世 act.15-another,side story「陽はまた昇る」

午前3時55分、雪が止んだ。

「晴れるぞ、国村さんの眼は確かだな、」

声の先、梢はるかな夜を雲がゆく。
暁まだ遠い空、それでも動く風あわく光がにじむ。
ゆるやかに透けてゆく月の影が蒼くて、なにか眩しいようで周太は瞳ほそめた。

「はい…いつも当るんです、」
「山の申し子だな、噂どおりだ、」

応えてくれながら隣、さくり雪すくって火種にかける。
燻ぶらす音かすかに炎すくむ、治まってゆく火勢に先輩が言った。

「湯原、俺はメールが下手だ、」

今、いきなりそれ?

「はい…?」

今こんな時こんなこと言うなんて?
すこし意外で見つめた真ん中、マスク黒い横顔は続けた。

「それに筆不精だ、だから湯原から預かった携帯もメールちゃんと返さないかもしれない、とくに彼女なんか解らん、」

そのことを言いたいんだ?
気づいた意図につい笑ってしまった。

「あの、伊達さんちょっと困ってますか?美代さんからメール着たらって、」

女の子とメールする可能性に困っている?
この男らしくて可笑しくて、笑ってしまう肩かるく敲かれた。

「おい、そこまで笑わんでもいいだろ?」
「すみません、でも伊達さんらしくって楽しくて、」

笑いながら雪すくって火にかける。
ちいさな炎ながめながら低い穏やかな声は言った。

「俺はアテにならんってことだ、だから帰ってこい、」

帰ってこい、

こんな言葉が今は優しい、だから泣きたくなる。
だって今ほんとうは怖くて不安で、すがりたい本音に声が続く。

「湯原が行く先は雪崩の巣だ、それでも絶対に無事で帰らせてやる。だから俺の指示を必ず聞いてほしい、どんな指示も信じてほしい、」

どういう意味だろう?

―なにか考えてる、ね…伊達さん?

俺の指示を、どんな指示も。
こんな言い方なにか意図がある、知りたくて、けれど問い質す時間なんて今はない。
どうせ訊いたところで「その時」まで言わないのだろう、そんな男だともう知っているから微笑んだ。

「伊達さんの指示に従います、」

六ヶ月、秋から今この時まで過ごした時間に賭けていい。
そう想えてしまう眼ざしが真直ぐこちら見て、そっと笑ってくれた。

「絶対に帰ってこい、いいな?」
「はい、」

うなずいて両手に雪すくいあげる。
グローブ透かせる冷気どこか懐かしい、ぱさり掛けて火が消えた。

「行くか、」

低い声しずかに徹る。
その響きに微笑んで周太はライフルとザック背負った。

「はい、」

立ちあがり踏みだした一歩、さくり雪埋もれる。
装備に一歩が重たく沈む、数時間の夜に積もってしまった変化に低い声が曇った。

「積もったな、踏み抜きとか気をつけろよ?」
「はい、」

ならんで歩きながら雲が速い。
天候刻々うつろってゆく、そんな夜空に言葉が続く。

「上は風が強いぞ、吹き倒されないように気をつけろ、」 
「はい、」
「ライフルは背負ってダブルストックで歩け、アイゼンを岩や根にひっかけるなよ?」
「はい、」

話して、肯いて、そんな繰りかえしと雪をゆく。
さくり、ざくり、ならんで歩いて着いた森の底、青いウェア姿たちの声が聴こえる。

「今度こそ国村さんと宮田さんの歓迎会しましょう?慌しくて延期したままだ、」
「そうだったね、そこらへんヨロシク?」

落着いた透る声、底抜けに明るい声、どちらも懐かしい。
あの声たちと毎日いつも笑っていた、そんな時間もう遠いまま長身が頭下げた。

「国村さんと浦部さんにも辛い役をさせます、黒木さん達には俺が志願したこと伝えてください、」

この声、英二だ。

「…、」

とくん、呑みこんだ声に鼓動もう疼く。
あの声と今から歩きだす?熱くなる首すじに声また聞えた。

「宮田さんがいちばん辛いよ、同じ山ヤを撃つ手助けなんて…どうして、」

どうして、本当にどうしてだろう?

『辛いよ、同じ山ヤを、』

こんなこと辛いに決まっている、あのひとには。
あのひとは山岳救助隊で命を救うため駈けている、そんな人に何をさせるのか?

―僕がさせるんだ、たとえ任務でも僕が、

こんなことのために自分たちは出逢ったのだろうか?
そんなこと想いたくない、でも現実のまま低い声そっと言った。

「…いちばん辛いのは湯原だ、」

言葉にふりむいて沈毅な瞳が見つめてくれる。
いつもどおり静かに深い明敏な瞳、マスクでも蔽えない声は静かに笑ってくれた。

「胸を張れ、いいな?」

胸を張れ、そんなこと今ここでも言ってくれる。
こういう人だから疑うなんて結局できない、ただ信頼と微笑んだ。

「はい…行ってきます、」

笑いかけ敬礼ひとつ、それから独り歩きだす。
ざくり踏みしめる背には視線がある、それが温かい。

―ほんとうに心配してくれてる、伊達さんは…お父さんのときは?

いま見送ってくれる眼ざしは温かい、でも父はどうだった?
そう想ってまた考えだす、14年前あの瞬間、岩田は何を想ったろう?

『…すまない、湯原、』

あの謝罪は、殺害した相手と息子どちら宛だろう?

「…事情があったんだ、」

マスクの蔭につぶやいて呑みこんで、肚の底へ落としこむ。
こうして繰りかえすたび薄れてほしい、この14年の感情どうか昇華させて?

―お父さん、お父さん、ゆるしてあげるって難しいよ?僕は…殺したいってもう思えないけど、でも、

お父さん、どうしてあなたは最期あんなふう願えたの?

『犯人を救ってほしい、』

今もし会えるなら訊きたい、どうして父は最期の最後に「救ってほしい」なんて言えたのだろう?
撃たれて息ひきとる間際のとき同期の腕のなか父は言い遺した、あのとき父は真相を知っていたと今は解かる。

―だから犯人って言ったんだよね、お父さん…佐山さんのことだけじゃなくて、観碕さんと…岩田さんにも気づいていたんでしょう?

あの言葉の本当の意味を知ったなら、言葉ひとつ託された父の友人は何を想うのだろう願うだろう?

―お父さん、もし安本さんが知ったら…僕がちゃんと話すほうがいいの?もし帰られたら、

さくり、ざくり、雪を踏みしめ想いめぐる。
でも全ては「帰られたら」だ、その一歩の行先ほんとうは解からない。

いま歩く一歩、この先にあるのは帰路だろうか、それとも終の涯?

「…でも死なせないよ、僕は、」

約束そっと笑って、ほら父が笑ってくれる。
いま現実に笑ってくれるわけじゃない、けれど歩く雪面に風に父の俤とおる。
そう想えてしまうのは道連れのせいかもしれない、そんな想い立ちどまった森あおいで声こぼれた。

「…りっぱだね、」

空いっぱい、おおらかな梢が月を抱く。

のびやかに枝いくつも広げ雪嶺に立つ、その幹周り幾つあるだろう?
雪埋もれた根も深く広く張りめぐらせここに立つ、そんな大樹に惹きこまれる。

「大きいね…300年はこえてるの?地衣類もいっぱいだね、」

語りかける木肌はまだら模様、この斑ひとつに地衣類や蘚苔類が生きている。
こうして幾つも命かかえ古木は生きてきた、その姿に願ってしまう。

「…春の君も見たいな、新芽きれいだろうね?」

春、芽ぶきの大樹を見たい。

萌黄やわらかな緑に梢おおわれる、その姿きっと美しい。
根元には菫が咲くだろう、春先がける花さまざま香ほころぶ、片栗も咲くかもしれない。
薄紫、紅紫、うす桃色に白、黄色、やさしい色に森の底は覆われて、そのとき大樹も春の芽いっぱい緑に萌える。

その姿を見たい、こんな重荷すべて超えた自由の目で。

「…お父さん、僕は願ってもいいかな?」

マスク遮らせて声くぐもる、でも自分の聲だ。
こんな時こんな願いは不謹慎だろう、警察官として本分を外れる、でもこれが自分だ。
いま自分は任務のためライフル銃を背負って拳銃も携える、それでも願いは古木ひとつの春だ。

「お待たせしました、」

とくん、

声ひとつ鼓動ひっくりかえる、だって気づかなかった。
いつの間に来たのだろう?驚いた呼吸ひとつ仰いだ先、青いヘルメットの笑顔ほころんだ。

「行きましょう?」

ああ、やっぱり君だ?

―英二、ほんとうに一緒に?

想い見つめた夜の森、白皙まばゆい笑顔は切長い瞳が美しい。
青い登山ウェアに赤と黒の登山ザック負う、その広やかな肩が逞しい。
この背格好も瞳も忘れられなかった、だから今も鼓動はずんで声もでない。

「…ど、」

どうして?

訊きたくて、でも声すぐ呑みくだす。
もし声を聴かれたら正体を明かしてしまう、それは自分の立場に職務違反となる。
だからなおさらに声ひとつ掛けることもできなくて、ただ沈黙のまま頷いた。

行きましょう?その言葉こそずっと欲しかったから。



(to be continued)

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