楽園の孤独
周太24歳3月
第84話 静穏 act.5-another,side story「陽はまた昇る」
ここは温かい、美しい、でもあなたがいない。
花あふれるサンルーム、硝子のむこう花海棠に陽が透ける。
午後すこし遅い光まぶしくて薄紅きらきら明るます、光すこし開いた窓は潮風ほのかに甘い。
かぐわしい風やわらかに頬すこし冷たくて、けれど座りこんだ安楽椅子はブランケットくるまれ温かい。
「…きれい、だね、」
ひとりごと零れた安楽椅子は花たち囲む。
黄色きらめく水仙、青や白のヒヤシンス、紫やさしいクロッカス、紅紫の濃淡うつくしいクリスマスローズ。
窓あふれる光は花海棠の花影ゆらせて香る、その先もテラスひろやかに春の色あふれて海へ咲く。
たたずむ視界は花あまい潮風なだらかに空がちかい、溜息ほっと周太は膝を抱いた。
『あの子がしたことに縛られてほしくないわ、もし縛られたら観碕さんと晉さんの二の舞よ?だから今はまだ逢わない方がいいって判断しました、』
大叔母の声やわらかに記憶ゆする。
ほんの15分前のことだ、けれど長くもっと聴いてきたように響く。
『今あなたは人生を新しく始める時ね、英二と離れて考えるべきこと沢山あるでしょう?進路も恋愛も、なにもかも、』
英二、えいじ、あなたと離れてどうしたらいい?
「…僕、依存してた?」
声そっと唇ほろ苦い、だって図星だ。
こんなふう自覚どこかでしていたから今、大叔母の言葉は響く。
“あの子がしたことに縛られてほしくないわ、もし縛られたら観碕さんと晉さんの二の舞よ?”
あの男と祖父、あの二人にあなたと自分は似ているかもしれない?
そんなふう想ったことは確かにある、でも少しだけ違う想い微笑んだ。
「…僕が縛ってるんだ、ね?」
そう、あなたを縛ったのは自分だ。
『湯原が好きだ、』
あんなふう言わせてしまった、そして選ばせてしまった。
あんなこと言わせる前に離れたら良かった、そうしたら今あなたは笑顔だけに生きている。
「…ごめんね、」
ほら想いこぼれる、けれど誰もいない。
想い聴いてほしい笑顔がいない、唯ひとり伝えたいのに携帯電話もない。
そうして解らなくなる、今、この先、あなたに逢うことは正しいのだろうか?
『周太くんは周太くんの自由で生きてほしいの、だから私は悪役でもなんでもするわ、』
大叔母が言った通りかもしれない、だって自由に生きてほしい。
『英二さんは自由に生き方を選んでいます、周太さんも自分で選びましょう?周太さんが望むまま自由に、』
そんなふうに菫も言っていた、あの青紫の瞳は嘘なんてつかない。
あの優しい正直な瞳に育てられたから、あなたは自由で優しくて強いのだろうか?
「周太さん?」
やわからな声に呼ばれて目元ふれてみる。
濡れてはいない、微笑んで周太は振り向いた。
「はい、菫さん?」
「まだお返しできませんけど、5分だけどうぞ?」
白い手さしだしてくれる真中、見なれた四角形が載っている。
あわい金属と光る画面に瞳ゆっくり瞬いた。
「…僕の携帯?」
「そうですよ、さあ早く、」
深いアルト微笑んで携帯電話を渡してくれる。
戻ってきた3日ぶりに銀髪の笑顔は教えてくれた。
「顕子さんは今お風呂掃除をしています、速くても10分は出て来ませんからね?でも内緒ですよ、」
教えてくれる言葉に画面そっとふれてみる。
受信ボックスの一覧ながめて、けれどぱたり閉じた。
「ありがとうございました、菫さん、」
微笑んで返した先、青紫の瞳が見つめてくれる。
陽だまりの窓辺やわらかな眼ざしが笑いかけた。
「まだ5分ありますよ?誰から連絡が来たとか気になるでしょうに、」
「はい、でも今はいいんです…」
応えながら自分で納得できる。
今どうすべきなのか?その答に微笑んだ。
「今はひとりでいたいんです、僕だけで考えた方がいい時だから…でもありがとう菫さん、」
独り、考えて選んでみよう?
そんな想い安楽椅子を立ちあがって、右足首の包帯に訊いてみた。
「テラスを散歩してもいいですか?外に出たいんです…無理はしませんから、」
風にあたりたい、空のした歩きたい。
願いごとに銀髪の笑顔はうなずいてくれた。
「咳も治まっているようですね?コートとマフラーしてくれるなら良いですよ、」
外にいる、それだけで呼吸やわらかい。
マンション高いテラスの庭、それでも風かすめる香は潮にあまい。
春の花あわい陽は朱色きらめかせ潮騒を呼ぶ、よせて近く遠く響いて繰りかえす。
靴下に履いたサンダルも朱色そめる、すこし冷たい潮風と暮れゆく陽に座りこんだ。
きっ…
ロッキングチェアーかすかに軋んで揺れる。
花影の視界ゆらいで水平線ほのかに朱い、もうじき夕陽がしずむ。
空も青まぶしく光変えてゆく、金色ちりばめた波が朱い黄金とかして潮騒よせて、ほら記憶ひきよせる。
『この桜貝、海の底からずっと離れないでここまで来たんだろ?俺たちも離れないでここまで一緒に来たよ、』
あなたの声、それからあの眼ざし。
『周太、約束だよ?俺は何があっても君から離れない。ずっと、永遠にだ、』
夏の海、あなたの言葉が幸せだった。
それでも想っていた、いつか離れなくてはいけないと想って、だからあの夜あなたを精一杯に愛した。
あんなふうに抱きしめて愛しむことは二度とない、そう想っていたのはきっと「死線」と解かっていたせいだ。
―僕は死ぬって想ってたんだ、すべてが終わった時に、
すべての終わり、それは父を殺した相手を見つける瞬間。
その相手は二人、射殺のトリガー手をくだした男と命令くださせた男。
どちらも自分は見つけて殺されかけて、だけど今も自分は生きている。
「…終わるって想ってたから先のこと、ほんとは考えてなかったんだ、」
本音こぼれて太陽そっと海ふれる。
見つめる水平線きらきら輝きだす、あの沈む瞬間みたいに自分も終わると想っていた。
あのとき、あの雪嶺でトリガー弾いた瞬間もう死ぬんだと。
でも、あなたが呼んだ。
『生きろ周太っ、』
あなたが呼んだ、だから自分は今ここにいる。
それなのに隣はいない、独り座りこむ足もと優しい温もりふれた。
「くん、」
つぶらな黒い瞳が見あげてくれる。
膝ふわりキャメルブラウンの尾がふれて、温かな犬に笑いかけた。
「カイ…ありがとう、」
「くん、」
うなずくよう鼻ならして足もと座ってくれる。
やわらかな毛並そっと撫でると白い温もり膝に乗った。
「あ…ユキ?」
「にあ、」
白い猫ふっさり膝うずくまる。
丸まった温もりコート透かす、優しい温度ふたつに周太は笑った。
「海も雪もなぐさめにきてくれたの?僕…そんなに寂しそうだったかな、」
笑いかけ優しい毛並ふたつ撫でる。
ふわふわ白と茶色それぞれ温かい、その輪郭あわく夕陽きらめきだす。
もう今日が終わってゆく、そうして雪嶺もあの駐車場も一昨日より前に押し流す。
「…でも終わっていない、なにも、」
そっと声にして深く息吸ってみる。
潮風やわらかに唇かすむ、花の馥郁あまく肺を満たして息づく。
ここはもう春、それでも終えていない自分の責任へ微笑んだ。
「ん…伊達さんと青木先生に連絡しなくちゃ、田嶋先生も…ね?」
話すべきはこの三人だ。
今までと、これからと、この三人と話さなくては始められない。
覚悟ひとつ微笑んだ高層テラスの花園、朱色あざやいだ水平線に呼ばれた。
「きれいな夕焼けね、周太くん寒くないかな?」
とん、足音ひとつダークブラウンの髪きらめかす。
夕映あかるむ白皙は皺ひとつもきれいで、美しい老婦人に笑いかけた。
「はい、おばあさま…あの、僕の電話を返してもらえませんか?」
始めよう、独りでも今ここから。
そんな想い告げた真中、父そっくりの瞳が笑った。
「今どうしたいか決めたみたいね?聴かせてくれるかしら、」
微笑んで隣の椅子へ腰かけてくれる。
ふわり花あまく香って、独りの時そっと和らぐ。
(to be continued)
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