九月が終わる、この春に。

第85話 春鎮 act.1-another,side story「陽はまた昇る」
あなたは憶えている?9月の終わりのこと。
「…季節が終わる、ね、」
桜ふる、あの日は青葉だった。
あの日と違う春の木洩陽、花びら揺れる色うつろう、きらめく樹影に葉がひらく。
春やわらかな都会の緑陰、ひとりのベンチがページ繰る。
『あらすじの続き、教えてよ、』
君の声が笑う、低く透る声。
あの声があの夜を連れてきた、その記憶にページめくる。
『Le Fantome de l'Opera』
邦題、オペラ座の怪人。
このタイトルが示した過去それから今。
このタイトル通り君がいた、その最初の言葉は、
「どうする?…もし自分の為に、巨大なカラクリ箱を作って閉じ込めて…跪いて、」
夏が終わる陽、あなたの声、あなたの眼。
低い綺麗な声がつむいだ、切れ長い瞳が自分を映した、そして訊いた。
『愛してるっていわれたらさ、』
あの言葉、あなたの本音だった。
あの日あなたの本当の想い、聲、そうして夜が来た。
あの日ふたり攫いこんだ夜、あの夜は月が赤くて、そして長い短い夜。
あの夜に自分は全てを懸けてしまった、だから今も離れられないベンチと一冊。
“湯原だったら、どうする?”
ほら繰りかえす君の聲、
“どうする?もし自分の為に、巨大なカラクリ箱を作って閉じ込めて、跪いて愛してるっていわれたらさ、”
あの言葉どおり君は泣いた、その場所はここから近い。
ビジネスホテルちいさな一室、ちいさな窓から月が見えた。
そうして広くないベッドの上、君が泣いていた。
「…泣き虫。怖い夢でも見たのかよ、」
唇がなぞる夜の言葉、あのベッドに笑いかけた自分。
ちいさなベッド向きあった夜、あの泣顔はきれいで、そして言った。
『お前が、好きだ、』
あなたは憶えている?
「英二…憶えてる?」
唇が呼ぶ、記憶が見つめる。
『お前の隣が好きだ。一緒に居る、穏やかな空気が大好きなんだ、』
あなたは憶えているかな、あの夜の聲。
九月が終る夜の君、君がいたベッド、君の泣顔その瞳。
あのとき自分は閉じこめられていた、だから今なら答えが言える。
“どうする?もし自分の為に、巨大なカラクリ箱を作って閉じ込めて、跪いて愛してるっていわれたらさ、”
あの問いかけ今ここでして?
「…あいたい、よ?」
ほら本音こぼれてしまう、唇そっと声おちる。
もう瞳からも零れる本音、頬つたう熱に周太は微笑んだ。
「英二…僕はここにいるよ?」
はたり、
熱こぼれて涙が落ちる。
雫こぼれてページに浮ぶ、ちいさな水玉きらり光る。
こんなふう泣いた過去がある、そのままに陽だまり優しいベンチ。
あの日と変わらない「いつもの」ベンチ、だから奇跡すこしだけ期待したい。
「あえるかな英二…携帯なんて無くても、」
逢えるだろうか、あなたに。
“もし自分の為に、巨大なカラクリ箱を作って閉じ込めて、跪いて愛してるっていわれたら”
からくり箱は今も生きている?
それなら逢えるのだろう、そんなこと今も信じている。
だからこの本このベンチで開いてしまった、そんな本音とニットパーカーのポケット探った。
『今はね、すまーとふぉん、なんですってよ?周太くん、』
そう言って渡してくれた笑顔は優しかった。
低いアルト優しい声、優しい切長の瞳、渡してくれた手も白く優しかった。
「でも…英二の番号は消しちゃったんですね、おばあさま…、」
ため息の掌、見つめる画面は真新しい。
ライトブルーきれいな電話は薄くて軽い、そのままにデータひとつ軽くなった。
そう、前の携帯電話よりずっと軽くなった、いちばん大事な番号が消えたから。
―もう僕からは連絡できない、きっと英二も、
きっと大叔母は番号を教えていない「家族」以外は。
連絡を取りたければ自分から架けるしかない、でも消えた番号はどうしたらいい?
「…ちゃんと番号、憶えておけばよかった…ね、」
着信ランプが光る、あなたの色で。
着信音が奏でる旋律はあなたの曲、そして画面にあなたの名前。
そんな日常ただ幸せだった、けれど新しい電話は君を告げてくれない。
僕の携帯電話、どこにいったの?
―でも訊けない、こんなにお世話になってるのに…おばあさまに関係する人にも、
大叔母を信じている、そして今はもう愛がある。
だって自分と母を必死で救ってくれた、そして今も庇護してくれている。
『十四年前こうするべきだったわ!あなたを引っ叩けてたら喪わないですんだのに、あなたも私も大事なものをっ!』
叫んだ大叔母の聲、雪の駐車場ひるがえった白い手。
あのとき大叔母の瞳は泣いていた、あの横顔どうしても裏切れない。
『もう後悔したくなくて今も無理やり助けに来ました、でも周太くんの気に障ったならごめんなさい、でも、ありがとう、』
運転席から響いた低い美しい声。
あの雪道を手ずから運転してくれた、その真心ずっと温かい。
あの真心に報いたくて、けれど今日このベンチに座りこんでしまった。
「ごめんなさい…、」
呟いて画面ゆるやかに霞む。
もう睫にじんで熱くなる、こぼれて頬そっと熱い。
こんなふう泣いてしまう自分は弱くて、それでも微笑んで指先そっと動かした。
―みんなの番号は残ってる、ね?
電話帳フォルダー開く、名前たち確かめる。
警察学校の同期も残っている、警察関係者ごと消されたわけじゃない。
―ほんとに英二の分だけ消してあるんだ、ね、
なぜ大叔母はここまでするのだろう?
『今あなたは人生を新しく始める時ね、英二と離れて考えるべきこと沢山あるでしょう?恋愛も何もかも、』
美しい低い声は温かだった。
あの声に言葉に偽りはない、そして自分も納得している。
だから電話番号ひとつ消されたことも理解していて、それでも願いは迸る。
逢いたい、あなたに。
―でもどうやって…光一もきっと教えてくれない、英理さんも、
母と大叔母に面識ある相手は、たぶん大叔母と同じ考えだろう。
そうでなければ電話をとりあげても意味がない、誰もが同意の上で引き離されている。
―美代さんなら教えてくれるだろうけど…いちばん訊けない、ね、
あの友達なら教えてくれる、でも、
『まっすぐ即答したのよ美代ちゃん、自分で驚いてるみたいだったけど迷わない眼をしてた。どういう気持ちの言葉か、わかるでしょう?』
いちばんの友達、でも今はそれだけじゃない。
その気持ちを踏みにじれば自分で自分が赦せなくなる、だから訊けない。
―きっと美代さんは教えてくれる、僕のことが…たいせつだから、
あの女の子はいつもそうだ、真直ぐで。
そういう女の子だから自分も揺れる、だって大切だ。
『ばかっ、なんでこんな…っ、やくそくぜんぶ放りだしてひどい、こんなのゆるさないばかっ、』
あんなふうに泣いて叱ってくれた、あの女の子だけだ。
『ゆはらくん、…よかった、』
笑ってくれた瞳は明るくて、きれいだった。
そして泣いてくれた一滴の、きれいな綺麗な涙。
「…訊けないよ、」
あの眼ざしに声に自分でもわかる、あの女の子の想い。
そして自分にも気づきかけている、あの女の子への想いは何なのか?
だから今日このベンチで座りこんでいる、どうしたらいいのだろう?
「逢いたい…英二、」
想い声になる、今すぐ逢いたい。
あなたに逢えたら解かるだろうか、それとも諦められるだろうか。
今は何も解らなくて、でもどうしたら連絡先をつかめるだろう?
―事情まったく知らないひとじゃだめ、英二が信頼しているけど僕と接点が少ないひと…これ以上は巻きこみたくない、
誰でも良いわけじゃない「解かる」人じゃないと意味がない。
でも誰ならあてはまる?ただ逢いたい願い見つめる電話帳の羅列、瞳が止まった。
「あ…、」
この名前なら、教えてもらえる?
“藤岡瑞穂”
警察学校の同期、だけど同じ班じゃなかった。
卒業配置もまったく違う、適性も自分と違う、けれど共通している。
―そうだ藤岡…お母さんも知らない、英理さんも、
藤岡は母と面識まったくない、おそらく英理も知らないだろう。
けれど英二とは同じ卒業配置先で同僚、そして事情ある程度は知っている。
―関根も瀬尾も藤岡とはそんなに親しくないよね、青梅署の自主トレ一緒したくらいで、
だから多分まだ知らない、英二と自分が今どうなっているのか。
何も知らないなら教えてくれる、その可能性にメール一通すばやく打った。
「ん…、」
送信、それから送信完了メッセージ。
そして左手の腕時計を見て、ぱたん、本を閉じベンチを立った。
行かなくちゃいけない、今日こそ約束を。
(to be continued)

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harushizume―周太24歳3下旬

第85話 春鎮 act.1-another,side story「陽はまた昇る」
あなたは憶えている?9月の終わりのこと。
「…季節が終わる、ね、」
桜ふる、あの日は青葉だった。
あの日と違う春の木洩陽、花びら揺れる色うつろう、きらめく樹影に葉がひらく。
春やわらかな都会の緑陰、ひとりのベンチがページ繰る。
『あらすじの続き、教えてよ、』
君の声が笑う、低く透る声。
あの声があの夜を連れてきた、その記憶にページめくる。
『Le Fantome de l'Opera』
邦題、オペラ座の怪人。
このタイトルが示した過去それから今。
このタイトル通り君がいた、その最初の言葉は、
「どうする?…もし自分の為に、巨大なカラクリ箱を作って閉じ込めて…跪いて、」
夏が終わる陽、あなたの声、あなたの眼。
低い綺麗な声がつむいだ、切れ長い瞳が自分を映した、そして訊いた。
『愛してるっていわれたらさ、』
あの言葉、あなたの本音だった。
あの日あなたの本当の想い、聲、そうして夜が来た。
あの日ふたり攫いこんだ夜、あの夜は月が赤くて、そして長い短い夜。
あの夜に自分は全てを懸けてしまった、だから今も離れられないベンチと一冊。
“湯原だったら、どうする?”
ほら繰りかえす君の聲、
“どうする?もし自分の為に、巨大なカラクリ箱を作って閉じ込めて、跪いて愛してるっていわれたらさ、”
あの言葉どおり君は泣いた、その場所はここから近い。
ビジネスホテルちいさな一室、ちいさな窓から月が見えた。
そうして広くないベッドの上、君が泣いていた。
「…泣き虫。怖い夢でも見たのかよ、」
唇がなぞる夜の言葉、あのベッドに笑いかけた自分。
ちいさなベッド向きあった夜、あの泣顔はきれいで、そして言った。
『お前が、好きだ、』
あなたは憶えている?
「英二…憶えてる?」
唇が呼ぶ、記憶が見つめる。
『お前の隣が好きだ。一緒に居る、穏やかな空気が大好きなんだ、』
あなたは憶えているかな、あの夜の聲。
九月が終る夜の君、君がいたベッド、君の泣顔その瞳。
あのとき自分は閉じこめられていた、だから今なら答えが言える。
“どうする?もし自分の為に、巨大なカラクリ箱を作って閉じ込めて、跪いて愛してるっていわれたらさ、”
あの問いかけ今ここでして?
「…あいたい、よ?」
ほら本音こぼれてしまう、唇そっと声おちる。
もう瞳からも零れる本音、頬つたう熱に周太は微笑んだ。
「英二…僕はここにいるよ?」
はたり、
熱こぼれて涙が落ちる。
雫こぼれてページに浮ぶ、ちいさな水玉きらり光る。
こんなふう泣いた過去がある、そのままに陽だまり優しいベンチ。
あの日と変わらない「いつもの」ベンチ、だから奇跡すこしだけ期待したい。
「あえるかな英二…携帯なんて無くても、」
逢えるだろうか、あなたに。
“もし自分の為に、巨大なカラクリ箱を作って閉じ込めて、跪いて愛してるっていわれたら”
からくり箱は今も生きている?
それなら逢えるのだろう、そんなこと今も信じている。
だからこの本このベンチで開いてしまった、そんな本音とニットパーカーのポケット探った。
『今はね、すまーとふぉん、なんですってよ?周太くん、』
そう言って渡してくれた笑顔は優しかった。
低いアルト優しい声、優しい切長の瞳、渡してくれた手も白く優しかった。
「でも…英二の番号は消しちゃったんですね、おばあさま…、」
ため息の掌、見つめる画面は真新しい。
ライトブルーきれいな電話は薄くて軽い、そのままにデータひとつ軽くなった。
そう、前の携帯電話よりずっと軽くなった、いちばん大事な番号が消えたから。
―もう僕からは連絡できない、きっと英二も、
きっと大叔母は番号を教えていない「家族」以外は。
連絡を取りたければ自分から架けるしかない、でも消えた番号はどうしたらいい?
「…ちゃんと番号、憶えておけばよかった…ね、」
着信ランプが光る、あなたの色で。
着信音が奏でる旋律はあなたの曲、そして画面にあなたの名前。
そんな日常ただ幸せだった、けれど新しい電話は君を告げてくれない。
僕の携帯電話、どこにいったの?
―でも訊けない、こんなにお世話になってるのに…おばあさまに関係する人にも、
大叔母を信じている、そして今はもう愛がある。
だって自分と母を必死で救ってくれた、そして今も庇護してくれている。
『十四年前こうするべきだったわ!あなたを引っ叩けてたら喪わないですんだのに、あなたも私も大事なものをっ!』
叫んだ大叔母の聲、雪の駐車場ひるがえった白い手。
あのとき大叔母の瞳は泣いていた、あの横顔どうしても裏切れない。
『もう後悔したくなくて今も無理やり助けに来ました、でも周太くんの気に障ったならごめんなさい、でも、ありがとう、』
運転席から響いた低い美しい声。
あの雪道を手ずから運転してくれた、その真心ずっと温かい。
あの真心に報いたくて、けれど今日このベンチに座りこんでしまった。
「ごめんなさい…、」
呟いて画面ゆるやかに霞む。
もう睫にじんで熱くなる、こぼれて頬そっと熱い。
こんなふう泣いてしまう自分は弱くて、それでも微笑んで指先そっと動かした。
―みんなの番号は残ってる、ね?
電話帳フォルダー開く、名前たち確かめる。
警察学校の同期も残っている、警察関係者ごと消されたわけじゃない。
―ほんとに英二の分だけ消してあるんだ、ね、
なぜ大叔母はここまでするのだろう?
『今あなたは人生を新しく始める時ね、英二と離れて考えるべきこと沢山あるでしょう?恋愛も何もかも、』
美しい低い声は温かだった。
あの声に言葉に偽りはない、そして自分も納得している。
だから電話番号ひとつ消されたことも理解していて、それでも願いは迸る。
逢いたい、あなたに。
―でもどうやって…光一もきっと教えてくれない、英理さんも、
母と大叔母に面識ある相手は、たぶん大叔母と同じ考えだろう。
そうでなければ電話をとりあげても意味がない、誰もが同意の上で引き離されている。
―美代さんなら教えてくれるだろうけど…いちばん訊けない、ね、
あの友達なら教えてくれる、でも、
『まっすぐ即答したのよ美代ちゃん、自分で驚いてるみたいだったけど迷わない眼をしてた。どういう気持ちの言葉か、わかるでしょう?』
いちばんの友達、でも今はそれだけじゃない。
その気持ちを踏みにじれば自分で自分が赦せなくなる、だから訊けない。
―きっと美代さんは教えてくれる、僕のことが…たいせつだから、
あの女の子はいつもそうだ、真直ぐで。
そういう女の子だから自分も揺れる、だって大切だ。
『ばかっ、なんでこんな…っ、やくそくぜんぶ放りだしてひどい、こんなのゆるさないばかっ、』
あんなふうに泣いて叱ってくれた、あの女の子だけだ。
『ゆはらくん、…よかった、』
笑ってくれた瞳は明るくて、きれいだった。
そして泣いてくれた一滴の、きれいな綺麗な涙。
「…訊けないよ、」
あの眼ざしに声に自分でもわかる、あの女の子の想い。
そして自分にも気づきかけている、あの女の子への想いは何なのか?
だから今日このベンチで座りこんでいる、どうしたらいいのだろう?
「逢いたい…英二、」
想い声になる、今すぐ逢いたい。
あなたに逢えたら解かるだろうか、それとも諦められるだろうか。
今は何も解らなくて、でもどうしたら連絡先をつかめるだろう?
―事情まったく知らないひとじゃだめ、英二が信頼しているけど僕と接点が少ないひと…これ以上は巻きこみたくない、
誰でも良いわけじゃない「解かる」人じゃないと意味がない。
でも誰ならあてはまる?ただ逢いたい願い見つめる電話帳の羅列、瞳が止まった。
「あ…、」
この名前なら、教えてもらえる?
“藤岡瑞穂”
警察学校の同期、だけど同じ班じゃなかった。
卒業配置もまったく違う、適性も自分と違う、けれど共通している。
―そうだ藤岡…お母さんも知らない、英理さんも、
藤岡は母と面識まったくない、おそらく英理も知らないだろう。
けれど英二とは同じ卒業配置先で同僚、そして事情ある程度は知っている。
―関根も瀬尾も藤岡とはそんなに親しくないよね、青梅署の自主トレ一緒したくらいで、
だから多分まだ知らない、英二と自分が今どうなっているのか。
何も知らないなら教えてくれる、その可能性にメール一通すばやく打った。
「ん…、」
送信、それから送信完了メッセージ。
そして左手の腕時計を見て、ぱたん、本を閉じベンチを立った。
行かなくちゃいけない、今日こそ約束を。
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