萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 雪嶺 act.13-side story「陽はまた昇る」

2015-07-17 22:35:05 | 陽はまた昇るside story
Though inland far we be 懐の底はるか
英二24歳3月



第83話 雪嶺 act.13-side story「陽はまた昇る」

雪が止まった。

背中ずしり重たく冷たい、右腕も動かない。
首も顔も圧され凍える、冷厳の底なにも動けない、けれど左腕で抱きこんだ懐が温かい。

―生きてる、

左腕ふれる肩が息づく、ツェルト透かす体温が鼓動する。
胸元かすかな呼吸も温かい、その体温に英二は微笑んだ。

「…なだれ止まったようです、息できてますか?」

唇かすめるナイロンの感触、その隙間に息つける。
ゆっくり瞳ひらいて薄暗い、あわく波うつ布地ごし声が聞えた。

「…はい、」

よかった、返事してくれた。
やっぱり声は似ているようで、それに香が同じだ。

―周太の匂いする、俺の幻覚かな?

さわやかな穏やかな香、この香は唯ひとりしか知らない。
いくど焦がれた香だろう、抱きしめられる今が幸せになる。

―こんな雪崩の底で俺、おめでたいよな?

もう3ヶ月逢っていない。
12月の半ばビジネスホテルの一室、あの場所が最後だ。
あの夜も抱きしめて、けれど本当に「抱きしめた」だけだった。

『えいじ…僕が何を泣いてるとおもうの?』

あの日そう君は言った、あの「何」が今この雪底に繋がっている。
そう想えるのは抱きしめる肩が3ヶ月前より細いせいだ。

―あれからも無理したんだ周太、病院には行ってるのか?薬は?今も本当は、

ツェルト一枚に心配になる、もし周太ならこんな場所は辛いだろう?
今すぐ脱出させたい、けれど動けない。

―雪崩に埋まったら動けないと聴いてたけど、本当に動けない、

視界ひろがる布地は仄暗い、そして息が意外とつける。
この明度と呼吸に雪の厚み計れる、たぶん深くは埋まっていない。

―切株が盾になってくれたんだ、雪崩のルートが迂回して、

おそらく巻かれたのはディープスラブ、気象が大きく変化する時に起こりやすい。
いま春三月はディープスラブの活動が活発な時季になる、そのとき小さい刺激でも誘発しやすい。
だからこそ今回も上官や先輩がこの任務に反対してくれた、そして危惧のとおり自分たちは雪崩に埋められている。

それでも切株が救ってくれている、それは右掌の感触に温かい。

―ハーケンは抜けていない、流されてもいないはずだ、

右掌グローブ越し、金属の硬質と巻かれたザイルが頼もしい。
右腕は動かなくて、けれど握りしめるハーケンは揺るがず撃ちこまれてある。

―35秒と12秒だ、雪崩が通ったのは、

まず雪の礫だった、次に30cm大の雪のブロックが降った。
そして8秒後に雪崩の本流が襲いこんだ、その一瞬で視界は闇になった。
こうまで真向から呑まれたのは初めてだ、この初体験に冷厳ひたひた沁みてくる。

―寒い、氷漬けだから当たり前か、

重たく冷たく圧迫される、もう雪が締りだした。
刻々と氷の粒子は結合してゆく、肩ゆすっても動かない。

「…っ、」

背中の重み跳ね除けたい、ここから早く抜け出したい。
けれど無駄な動きは体力消耗させる、焦りと知識のはざま懐うごめいた。

「…、」

かすかな呼吸音、なにか耐えている?
その気配にツェルト越し呼びかけた。

「どうしました?」
「…ぃぇ、」

かすかに応えてくれる、けれど押し殺したような声。
何かおかしい?確かめたくて、けれど動けないまま呼吸音が裂けた。

「っひゅっ…ぅっ」

喉が裂ける、そんな音ひっぱたいて咳が鳴った。

「ごほっこんこんっ…ぁ、ぅごほっ」

咳ふるえだす、それでも止めかかって、けれど咳きこむ。
ツェルトごし震えと咳が止まらない、これは発作だ?

―この音、喘息発作じゃないか?

喘息発作は花粉や埃などに対するアレルギー反応で気道が狭窄し、突然の発作を惹き起す。
時間的には真夜中から朝方に重症化の傾向があり、呼吸困難で臥位になれない、意識不明、唇や爪が紫色になるチアノーゼを起こす。
こうした重症に及べば生命の危険がある、速やかな処置と同時に救急搬送しなくてはいけない。

そして周太は喘息を罹患している、この状況に全身の筋肉ゆすりあげた。

「っ、」

ぎしり、氷雪の荷重が筋肉を圧す。
それでも今すぐ処置しなければ助からない、願い奥歯くいしばった。

「っ、うおおっ」

くいしばる唇から声もれる、この呼吸すら今は惜しい。
雪のなか酸素どれだけあるのだろう?ただ空気と自由が欲しい。

「ぅこんっ、こんごほごほっ…ひゅっこんっ、」

咳が苦しげになってゆく、それでも止めて我慢して、また咳きこんでしまう。
なぜ止めようとしてくれるのかもう解かる、解かるまま名前を呼んだ。

「しゅうたっ、我慢しなくていいっ…いっぱい呼吸しろっ、」

呼びかけて筋肉すべて押しあげる。
閉じこめられた氷雪は動かない、それでもハーケンつかんだ右手すこし動いた。

「がんばれっ、すぐ出してやるっがんばれっ、」

叫んで脚ぐっと踏みしめ背筋ずしり力張る。
ずっ、かすかな軋み背を滑って、思いきり食いしばった。

「ぅぐ、ぉおおっ」

曲げられた右肘ぐんと伸ばす、腹筋みなぎらせ背筋はりめぐる。
ぎしり骨が軋みあげてゆく、息詰まる、耳の底ぐわり血が鳴って、そして渾身すべて起きた。

ざざっざぁっ、

右肩ざらり重み崩れる、背中の圧迫ばらり砕ける。
首ひとつ振り雪どさり落ちて、軽くなったヘルメットに顔あげた。

「っ、はあ…」

大きく息吐いて汗ひとつ頬伝う。
仰いだ空を雲はゆく、墨色に白に流れる雪嶺を朝陽まばゆい。
きらきら氷のかけら散らばる、崩壊したセラックたちの破片だろう。
幾つかあった雪壁たち消えて、ただ白銀ひろやかな世界は雪崩のトレースだけ残る。

「…まもられた、」

雪崩のトレースは切株で割れ、このポイントだけ逸れている。
だから自力でも起きあがれた、もし直撃に呑まれたら深く沈められたろう。

―危なかった、もし切株がなかったら俺たちは、

茫然と見つめる真中、雪埋もれた樹肌に緑が芽ぶく。
最後に見た小さな芽、その傍ら撃ちこんだハーケンの右手が開かない。

「っ、」

短い時間、けれど全身かけた握力に固まっている。
肘をふり筋肉ほどきながら抱えこんだツェルトに叫んだ。

「もう地上に出たぞっ、」

抱き上げようとして、けれど持ちあがらない。
まだツェルトは半分埋もれている、すぐ両手で雪を掘りだした。

「すぐ掘りだすからな!」
「ごほんっぅ、は、こんっ、」

呼びかけても咳でしか応えない。
雪掻きだすごと現れるツェルト震える、それでも全身すべて掘りだした。

「ごほんこんっ、ぅこんこんっごほっ」

咳が止まない、やっぱり発作のスイッチ入ってしまった。

―花粉のアレルギー反応だ、この時季はスギ花粉が雪に混ざって、それとも寒さか湿度か、

知識くりながら雪面におろし、切株を背に座らせる。
ツェルトめくり顔だけ出させて、そのマスク覆われた眼元が赤い。

―顔のうっ血だ、

喘息発作の呼吸困難、それを緩めたい。
すぐ処置にマスクを外そうとして、一瞬、手が止まった。

―SATは顔を見られたらダメだ、俺に権利あるのか?

この男はSATの狙撃手、その任務が「射殺」であるため身元を隠す。
そうして狙撃相手と遺族による報復の可能性を防ぐ、だから警察内部でも秘匿される。
そんな立場をこの男は自分で選んだ、その決断は周太でも他人でも同じ、願った努力と責任と意志がある。

彼の意志を剥ぎとる権利は自分にあるのか?だけど自分は山岳救助隊だ、救助のためここにいる。

―俺にも山岳レンジャーの義務と責任がある、それにチャンスだ、

自分は山岳救助隊、この男をサポートする任務でここにきた。
この男が誰であろうと関係ない、それにもし周太だとしたら与えられた好機だ。

これは僥倖、ようやく訪れた幸運ごとマスクに手をかけた。

「処置のためマスクを外します、」

これはただの確認、拒否されても止めない。
黒いマスク引き剥がして、そして現れた顔に呼んだ。

「生きろ周太っ、」



(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

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