萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 雪嶺 act.19-side story「陽はまた昇る」

2015-08-05 21:52:55 | 陽はまた昇るside story
In years that bring the philosophic mind 理知の邂逅
英二24歳3月



第83話 雪嶺 act.19-side story「陽はまた昇る」

カーテン開けて硝子むこう、夜に氷柱が光る。

連なる細い氷は灯を映す、きらきら光って青く白い。
まだ止まない雪も白く蒼く舞う、そんな冬の三月に穏かな声が笑った。

「きれい…英二ありがとう、」
「カーテン開けるくらいお安い御用だよ、周太?」

笑いかけた先、白い布団で黒目がちの瞳が微笑んでくれる。
ベッドランプの蛍光灯がクセっ毛やわらかに艶めかす、その頬やっぱり細くなった。
今日の朝も見つめた顔、けれど10時間前より痩せたような気がして心配になる。

「ありがとう英二…雪の夜は明るいね、ずっと見てたい、」

穏やかな深い声どこか弾んでいる。
今がただ嬉しい、そんな声に自分こそ嬉しいけれど細い頬はうす赤い。
まだ下がりきらない熱がぶりかえしそうで英二は笑いかけた。

「俺も見ていたくなるよ。でも周太、もう眠った方がいいよ?まだ熱あるんだから、」
「でもまだ6時前なんでしょ?…夕食の時間まで、あ、」

うす赤い笑顔の言葉そっと止まる。
そして思案気な黒目がちの瞳が見あげた。

「英二…どうやってここに来たの?僕の病室って…見張りがいるんでしょ?」

その質問またしてくれるんだ?

「熱あっても鋭いな、周太は、」

笑いかけながら窓の鍵かちり施錠する。
ガラス越しベランダの雪を見て、もう消えた足跡に微笑んだ。

―これで痕跡はない、雪も味方だ?

この部屋にどうやって自分が来たのか?
その証拠ひとつ消えてしまった、あと二つ済ませたら完全に消える。
ただ満足に笑って左の包帯ほどいて、ベッドの心配顔に笑いかけた。

「周太は俺に逢いたかったんだろ?だから来たよ、」
「…そういうのうれしいけど、でも…英二、」

穏やかなトーン訊いてくれる。
けれど黒目がちの瞳まっすぐ見つめて逃さない、こんな追及者のベッドに腰かけた。

「周太、俺もう行かないといけないんだ、また明日でもいい?」

また明日、

そう約束して今は別れたい。
この約束あれば自分は明日を待てる、そうしてブレーキひとつ自分に掛けたい。
そうしなかったら離れられなくなる、このまま攫って消えてしまう。

―ぜんぶ忘れて消えたい、周太だけ連れて今すぐ、

この笑顔ひとつ傍にいたら、後はどうでもいい。
そんな本音が鼓動つきあげる、けれどベッドの病人を雪に連れ出したなら?
そんな予想は簡単で、だから堪えている想いに静かな声が言った。

「…僕、トリガーをひけなかった、」

掠れそうな囁くような声。
けれど自分には届く、その肯定に微笑んだ。

「うん、」

ただ肯いたベッドの上、黒目がちの瞳まっすぐ見つめてくれる。
ベッドランプ照らす顔すこし咳きこんで、それでも声はっきり告げた。

「でも、隣にいるって英二が言ってくれて、僕はトリガーをひいたんだ、」

隣にいる。

そう告げた自分想い届いていた。
あの雪壁で見つめた時間は一方通行じゃない、その眼ざし涙こぼれた。

「僕はあのとき英二を巻きこむの嫌で、だけど、だけど本当は英二と一緒ならここで死んでいいって想ったんだ、」

はたり、

涙一滴ベッドに落ちる。
白い布団に染み青くこぼれて、そして囁くような声が告げた。

「だから指は…僕の指は冷静にトリガーひいたんだ、えいじと…いっしょならって、ぼく…っ、こほんっ」

涙こぼれて声かすれてゆく。
細くなった頬きらきら雫つたう、その光に指のばし拭ってやった。

「周太、俺も同じこと想ってたよ?」

指からむ雫が温かい。
この温もりだけほしかった、いま叶う願いへ笑いかけた。

「俺もね、周太と一緒に死ねたらって想ったよ、だから志願も迷わなかったんだ、」

これは本音、だって最初から期待していた。
顔マスクで隠しても周太だと信じて、だから追いかけた本音に微笑んだ。

「だから周太の気持ち嬉しいよ、もっと聴かせて?」

今ここで想いすべて吐いてほしい。
そして開放され安らいでくれたなら?そんな願いに涙の瞳が告げた。

「僕ね…人を撃ったの今日が初めてじゃないんだ、もうふたりめ…殺してはいないけど傷つけて、なのに死ぬかもって想ったとき英二の隣がいいって、」

はたり、はたっ、

涙こぼれて布団に染みる、その頬ぬぐっても涙あふれて止まらない。
雪ふる窓辺のベッド、ただ静かな涙はそっと呟いた。

「僕はわがままだね…じぶんばかり、っ…こほっ」

初めてじゃない、わがままだ、自分ばかり。
そんな言葉たちに苦悶が傷む、その心の軌跡は自分の胸も抉られていく。
こうして一緒に痛み分けて欲しい、ただ願いごと静かに問いかけた。

「どうして周太、いつも射殺命令に背いたんだ?」

きっと容易じゃない「殺してはいない」ことは。
そのくらい同じ警察官だから解かる、そう見つめる真中で唇ひらいた。

「生きることが償いだって僕は想う、佐山さんみたいに、」

名前はっきり告げて黒目がちの瞳が見つめてくれる。
長い睫あふれる涙はやまない、けれど穏やかな声は噛みしめるよう続けた。

「佐山さん…お父さんの殺害犯にされたラーメン屋のおじさん、あの人の生き方が僕に教えてくれたんだ、後悔して生きることだけが償いになる、」

後悔して生きる。

それは苦しい時間だろう、だからこそ「償い」になる。
その時間のかけら自分も見てきた、そんな想いに静かな声が微笑んだ。

「後悔して生きることだけ、償いのチャンスはそれだけって僕は想う…だからお父さんは最後に安本さんに言ったんだ、佐山さんを殺さないでって、生きて罪を償ってほしいって…だから僕も殺さないって決めて狙撃手になったんだよ、英二が佐山さんと会わせてくれたから…だから解かったんだ、お父さんが佐山さんを救けた意味…っ、こほんっ」

ふたり、あのラーメン屋に座った最初が懐かしい。
あれから二年近くすぎてゆく、そうして辿りついた今に純粋な瞳が見つめた。

「僕ね、入隊テストの時から命令違反したんだ…テスト訓練で倒れた人を助けて、初めての現場でも犯人の利き腕を撃って…すごく怒られたよ、」

蛍光灯あわい白いベッド、黒目がちの瞳まっすぐ見つめてくれる。
何ひとつ隠すことはない、そんな眼差しは静かに微笑んだ。

「命令に背くなって怒られて…でも僕は言ったんだ、生きて後悔することで償わせたい、そうしないと本当には事件は終わらないって…除隊されてもいいって想いながら撃って、僕は誰も殺さないって言ったんだ、いつも…それがお父さんの最後の願いだから、だから僕は誰も殺さない、」

誰も殺さない。

この言葉ずっと聴きたかった、だって穢したくない。
この澄んだ瞳を穢されたくない、この掌を穢してほしくない。
だから自分も負える限り背負いこんだ、その願いに涙拭ってやりながら笑いかけた。

「周太らしくて好きだよ、ぜんぶ、」

ほんとうに好きだ、君のこと。
今聴かせてもらった全てに誇らしくて、けれど泣顔そっと離れた。

「ありがとう英二、でも…もう僕は英二にふれてもらう資格なんかない、」

資格がない、そう告げて泣顔が笑う。
こんな貌は哀しい、この涙ごと抱きしめたくて静かに微笑んだ。

「なぜ?」

問いかけた先、ベッドランプに黒目がちの瞳が見つめる。
涙ゆるやかに頬きらめいて熱うす赤い唇が微笑んだ。

「僕は人を傷つけたんだ、たとえ犯罪者でも、どんな理由があっても人を傷つけたんだ…僕はもう汚れてるから、」

君のどこが汚れてると言うの?
そんなこと自分は欠片も思わない、けれど哀しい瞳は言った。

「それに僕は英二を危険に巻きこんだよ、しかも一緒に死ねるならいいと想ったんだ…僕は英二にふさわしくない、もう英二に傷をつけたくないから、」

だからもう傍には居られない。

そう告げた瞳から涙こぼれて墜ちる、その涙がきれいで響く。
痩せてしまった頬を濡らして光りゆく、ただ見つめていたい涙くちづけた。

「…っ、こほっ」

唇ふれた頬が息を呑む。
息呑んで咳きこんで逃げて、けれど抱きとめ笑いかけた。

「約束したよな周太?なにがあっても俺の隣から逃げないで、辛くてもここにいてよ?」

隣にいてほしい、どうか瞬間まで。

こんな約束ほんとは出来る自分じゃない、それでも願ってしまう。
だって今こんなに幸せだ、その温もりと香を右腕一本で抱きしめた。

「周太の匂いっていいな、ほっとする…深くって優しい、オレンジみたいな香、」

この香ずっと好きだった。
初めて一緒に眠った夜、まだ無自覚だった記憶に笑った。

「俺さ、初めて周太と眠った夜からずっと好きなんだ、周太の匂い…泣きながら一緒にいてもらった夜、憶えてる?」

あの夜ほんとうに自分はみっともなかった。
あの夜を向きあったから今がある、懐かしい恥に懐の温もり頷いた。

「おぼえてるよ…泣いてたね、英二、」
「うん、泣いてたよ俺?みっともないよなあ、あれは、」

言いながら改めてみっともない、そして遠いと想ってしまう。
あのころの自分が今の自分を予想できたろうか?ただ誇らしい想い微笑んだ。

「俺あのころも言ったよな、周太の父さんを尊敬するって。今もっと馨さんのこと尊敬してるよ、知った分だけもっと、」

俺は湯原の父さんを尊敬する。

そう自分は言っていた、あのころは何も知らなかった。
馨の死、馨の父親の死、そして馨の祖父の死、この三つの死がどこから起きたのか?
そうして今も絡みつく腐敗の連鎖は今日の死線を呼んだ、けれどもう終わらせる意志に告げた。

「周太、落着いたら話したいこと沢山あるんだ、聴いてくれる?」

君に話したいこと沢山ありすぎる。
見せたいものがある、渡したいものがある、その全てに君は何を見るだろう?
そのとき隣で共に見つめていたい、そんな願いごとに黒目がちの瞳すこし微笑んだ。

「…ありがとう、僕…ごめんね英二、」

微笑んだ瞳を光あふれて零れる。
濡れてしまう頬そっと唇よせて、涙ぬぐい笑いかけた。

「謝らなくていいよ周太、だって周太は犯人に罪を犯させなかったろ?犯人の手を撃つことで罪を肩替りしたんだ、きっと馨さんも同じだよ、」

きっとそうだ、だって懐の合鍵は温かい。
この合鍵を抱いていた胸は優しかった、それは「日記」で知っている。

……

それでも私は未だ、数冊の本を捨てることが出来ない。
英文学への夢を与えてくれたWordsworth、オックスフォードの日々に買った児童書たち。
あの寂しくとも輝いていた幼い時間たちが今も、絶望の中で光を失わずに自分を見つめている。
その輝きが今はザイルのようにすら思えて解けず、本を捨てることも夢に瞳を閉じる事も出来ない。

……

この鍵の持主がなにを願っていたのか?
その答すべて記された日記帳、それを継ぐべき人に贈りたい。
あのころ読ませられないと想ってしまった過去の現実、けれど時満ちる予兆と笑いかけた。

「周太は強いよ、強くて優しくて、きれいだ、」

君はほんとうに綺麗だ、だって涙も輝いている。

涙の奥から見つめる瞳、黒目がちの瞳は視線まっすぐ凛と澄む。
穏やかなくせに強くて、きれいで、深く澄んだ眼ざしに微笑んだ。

「周太のそういう強い優しさは綺麗だよ、そういう周太に俺はふれてたい…好きだよ周太、」

囁いて肩そっと抱きよせる。
ふるえる肩は記憶よりかぼそくなった、その現実ごと抱きとめ頬よせた。

「好きだよ周太、周太が笑ってくれるなら俺はそれでいい、」

君の笑顔が好きだ、初めて見た日からずっと。

ただ笑顔を見たくて傍にいた、毎日ずっと寮の部屋に入りびたり微睡んだ。
そんな時間が懐かしい、ただ懐かしくて愛おしくて、そして遠くなる予兆を隠している。

「元気に笑ってほしいからさ、周太?今夜はゆっくり眠って早く治せよ、明日また会いにくるから、」

隠して笑いかけて、ほら泣顔すこし笑ってくれる。
この笑顔もっと明るく幸せにしたい、そんな唯ひとつの願いに微笑んだ。

「明日の先には周太、北岳草を見に行こう?今度の夏こそ絶対だ、」

この約束きっと憶えてる、そう見つめたまま黒目がちの瞳が笑った。

「ん、見に連れて行って…僕ちゃんと時間つくるから、」

ほら憶えてくれている。
どうしても叶えたい願い嬉しくて笑いかけた。

「連れてくよ、じゃあまた明日な?」
「ん、また明日…、」

素直に笑って頷いてくれる、この笑顔ただ愛おしい。
愛しくてずっと見ていたくて、それでも立ちあがり踵返すと左腕の包帯ほどいた。

「えいじ?包帯ほどけそうだよ、」

ほどけそう、じゃなくて解いてるんだけどな?
そんな本音きれいに隠して笑いかけた。

「部屋に戻ったら巻き直すよ、おやすみ周太?」
「ん、おやすみなさい…、」

やわらかな笑顔に送られて扉を開ける。
かたん、後ろ手に閉じた廊下のむこう制服姿が見あげた。

「…よく病室が解かったな?」

沈毅な瞳まっすぐ見つめてくる、この眼ざしの行方は。



(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

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