萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第84話 整音 act.15-side story「陽はまた昇る」

2016-04-11 22:30:00 | 陽はまた昇るside story
with holy mourning black 黒の記憶
英二24歳3月



第84話 整音 act.15-side story「陽はまた昇る」

コーヒーの香、思い出すのはあの朝の横顔。

ほろ苦い甘い湯気、あのとき初めてコーヒーを好きになった。
それまでも嫌いじゃない、けれど心が笑った初めては君の一杯。

『…コーヒー淹れてくる、』

すこしつっけんどん、でもほんとうは君は泣いていた。
涙のあと薄赤い瞳、おだやかな声、ふてくされたようで羞んだ笑顔、幸せが痛んだ時間。
何度あれから淹れてもらったろう?数えきれない深い黒いろ一滴、カップの縁に見つめて微笑んだ。

「驚いた貌してるね、中森さん?」

馥郁ゆれる窓辺、ネクタイ端正なニット姿がカップ見つめる。
銀色やわらかな髪かきあげて、古く清潔な台所の主人はため息吐いた。

「おいしくて驚いています、英二さんがコーヒーを淹れることも驚きましたが、」

意外だ、どういうことだろう?
そんな眼に愛犬そっと撫でながら笑った。

「まずかったら輪倉さんにも祖父にも出していないよ、それなり自信ないとさ?」
「そうでしょうね、でも英二さんが台所をされようとは、」

驚きの率直な視線が見つめてくれる。
この有能な家宰に笑いかけた。

「周太に教わったんだよ、山でも警察でも役立ってる、」

あの優しい手が教えてくれた、そして贈られた時間どれだけ積もる?
数えて啜りこむ馥郁ほろ苦いより甘い、懐かしい俤の香に深い声は訊いた。

「だから克憲様と輪倉様にお出ししたのですか?山と警察の時間を見せるために、」
「うん、俺の意地みたいなものかな、」

素直に笑った唇、あまい湯気が熱い。
深い苦みごと甘い記憶に穏やかな瞳が笑った。

「意地の一杯ですか、私に淹れてくれたのも?」

深い明るい瞳が笑ってくれる。
老いても変わらない眼ざしに真直ぐ応えた。

「そうだよ、周太のこと認めさせたいから、」

認めさせたい、もし先が無いとしても。

―もう逢えないとしても周太、誰にも貶されたくないよ?

あのひとに焦がれる、この想い否定なんてさせない。
だって忘れられない、唯ひとり募る鼓動に笑いかけた。

「中森さん、ほんとは俺どうしても周太が欲しいんだ、こんなの間違ってるって何度も考えたけど本気だよ?」

欲しい、なんて想い自体が過ちかもしれない。
こんな等身大ただ笑った。

「男同士で結婚なんてバカだろって自分で想ってるんだ、だけど一緒にいられるなら俺はバカでいたい、この家の全部を背負わされてもいい、」

この家を背負う、そんな束縛が大嫌いで離れた。
けれど欲しい、唯ひとつ願う真中で深い明眸が微笑んだ。

「彼の傍にいたいから、鷲田の家を継ぐのですか?」
「そうだよ、怒る?」

答え訊き返しカップ口つけて、馥郁そっと熱い。
記憶とは違う味、それでも懐かしい朝と率直に笑った。

「周太を初めて抱いた朝、初めて周太がコーヒー淹れてくれたんだ。あの一杯で決まったよ、俺の居場所は周太の隣だ、」

あの隣がいい、どうしても。

たとえ叶わなくても願っている、最期あの場所に帰りたい。
そう気づいてしまった時間を一杯のコーヒー微笑んだ。

「俺だって諦めようとしたんだ、他の男を抱いてもみたよ?でもやっぱり周太がいい、周太を幸せにできるなら祖父と同じことも出来るよ、」

ずっと逃げていた、けれど戻った理由は一つだけ。
ただ笑った窓辺、かたん、扉かすかな音に笑いかけた。

「輪倉さん帰るみたいだな、顔だしてくるよ、」
「私もお見送りを、」

ニットの腕もカップ置いて、その横顔すこし首かしげる。
窓明かり銀色の眉はじいて、ふりむき微笑んだ。

「ようするに英二さん、顕子様との交渉に協力しろと?」

ドアノブ握り振りかえる、その問いかけ綺麗に笑った。

「ただ解かってほしいだけだよ、」

理解されたい、そう願うのは甘えだろうか?
想い愛犬を撫でる傍、深い明眸ふっと笑った。

「無欲なおねだりですね、困った方だ?」
「そんなに困らなくて良いよ、」

笑って出た廊下のむこう扉が開く。
スリッパの足すぐ履き替えて、降りた玄関にスーツ姿が微笑んだ。

「宮田さん、見送りなんて恐縮ですよ?怪我されているのに、」

向けてくれる顔は落ちついている。
祖父とのコーヒー1杯に何を話したろう?知りたくて笑いかけた。

「気にしないでください、犬に庭を歩かせたいので、」
「なるほど、ではご一緒に、」

話すまま家宰が玄関扉を開く。
すこし振り向いた先、ガラス広やかな窓にそっと笑った。

―気になるんだな、あのひとも?

肩ごしの視界に安楽椅子が映る。
ジャケット姿は座ったままで、すれ違う家宰に微笑んだ。

「中森さん、祖父を逃がさないでくれる?」

このあと話がある。
逃したくない機会に愉しげな瞳が応えた。

「私だけ尋問されるのは御免ですから、」
「うん、よろしく、」

笑って歩きだした庭、ジャーマンシェパードの瞳が見あげる。
遊ぼうよ?そんな視線に植込みのボール拾い、愛犬に笑いかけた。

「ヴァイゼ、ほらっ、」

赤一点、放物線おおらかに弧を描く。
投げられた目標にひと声吠えて、大きな黒犬は駆けだした。

「これは見事な走り方だ、警察犬の訓練されたことが?」
「父犬は警察犬でした、」

応える白い空の下、黒艶やかに芝生を駆ける。
緑あわい庭を行きながら初老の横顔はため息笑った。

「いやあ…あいかわらず君のお祖父さんは怖いな?」

その「面会」は緊張だった。
そんな貌つい可笑しくて笑った。

「元上司は怖いですか?」
「元と言えれば気楽かもしれないな、君も解かってて会わせたのだろう?」

くだけた口調は解けた緊張、その弛みに笑いかけた。

「私はただの警察官ですよ?」
「ただのとは今更だよ、救助隊員としても警察官としても優秀だそうだね?」

話してくれる言葉に「面会」の会話が解かる。
そんな質問に微笑んだ。

「祖父がなにか話しましたか?」

コーヒー1杯30分程、そこで何を話したろう?
花の香あわい小道で山好きの男は笑った。

「君の自慢話をされたよ、君が登った山の名を挙げながらね?ほんとうに可愛がっておられる、」

それが本当なら、期待すこし出来るのだろうか?

「お恥ずかしい話ですみません、」

すぐ笑いかけて、だけど言葉がめぐる。
これも計算なのだろうか、それとも本音の言葉?

「いや、ああいう鷲田さんの貌を見られたことは愉快だよ?緊張は相変わらずだがね、」
「祖父の雑談につきあわせましたね、お忙しいのにすみません、」
「君が謝ることは無い、こちらから押しかけたのに美味しいコーヒーまでありがとう、」

会話の足もとパンジーが香りたつ。
青紫、白、黄色、紫紺に黒紫、それから濃やかな深紅の花。
風ゆれる花の香に記憶いざなう、ほら、もう一人の祖父が花に笑む。

『英二、パンジーの詩を知ってるかな?』

穏やかな笑顔、真直ぐな瞳、凛々しい口元は高潔だった。
あの祖父に憧れて追いかけて、それなのに今いる此処はどこだろう?


(to be continued)

【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】

英二どうするんだ?↓って気になったら
にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村

blogramランキング参加中! 人気ブログランキングへ FC2 Blog Ranking

PVアクセスランキング にほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山岳点景:森の春賦― Lysichi... | トップ | 山岳点景:銀河の尖塔―Nobeya... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

陽はまた昇るside story」カテゴリの最新記事