萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第68話 玄明act.8-side story「陽はまた昇る」

2013-09-06 18:13:37 | 陽はまた昇るside story
Thy eternal summer shall not fade, Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade 



第68話 玄明act.8-side story「陽はまた昇る」

Who are you?

「君は、馨さんの血縁者なんだろう?目許と笑い方と英語の発音が似すぎてる、君は誰なんだい?」

明朗な聲が真直ぐ英二を見つめて、三十一年前の証人が問いかける。
明敏な瞳はただ祈りを映して温かい、過去を探して希う眼差しは涙ひとつ零した。

「馨さんの本を私の前で開いて、あの詩を朗読したのもワザとだろう?君と馨さんとの関係を気づかせようってして…君は、誰なんだい?」

大らかに笑ったまま日焼の頬を光が伝う。
涙あふれるまま拭いもせず壮年の学者は泣いている、その貌は無垢のまま温かい。
飾らない偽らない、ただ篤実な視線はどこか敬愛する医師とも似ていて誤魔化せない感情が湧きあがる。

―俺、この人を好きだって想いはじめてる、

こんなふうに笑って涙を流す、そんな心と頭脳は健やかにまばゆい。
やっぱり馨のアンザイレンパートナーだと納得させられる明敏と意志が田嶋にはある。
今も英二のことを観察して探りながら、けれど最初から信じようと決めてしまっている無防備は大らかに温かい。

―こういの逆に反則だよな?

なんだか可笑しくて悔しくて微笑んでしまう。
自分が仕掛けていった痕跡をきちんと辿りながら推理する、そんな頭脳は一流の学者らしい。
それは自分にとっても計算の範疇だった、けれど本音から涙こぼして真正面から訊いてくるのは予想外だ。

田嶋紀之 東京大学文学部教授 人文社会系研究科フランス語フランス文学研究室担当

彼は晉の最期の愛弟子だった。
彼は馨の学友で親友で、アンザイレンパートナーだった。
天才と謳われた学者の継承者、英才の誉れ高い男の無二の友人でライバル、その誇りは当然高いだろう。
だから人前で、誰とも解らない若造の前で本音から涙こぼして質問するなどはしない、そんな先入観が覆される。

―こんな俺でも信じたくなる、全部話せたらなんて…困るよな?

大らかで明るい精神に緻密な思考、そんな相手の無防備は逆に自分を追い詰めてくれる。
田嶋の精神も頭脳も高潔と英才を謳われた馨に相応しい、そして自分にとって厄介な相手だ?
こんな相手には困らされながらも、やっぱり嬉しいのは馨の日記を読んでしまった所為だろう。

……

今朝は突然、庭に嵐がやってきた。
tempestやstormと言うよりもtornado、僕を巻きこんで陽気に笑わせる。
嵐の話題はmountain air、穂高連峰をラテン語で日記するのだと告げに午前5時半の庭に吹きこんだ。
そんな彼がやってきた所為で静かだった庭の森は一瞬で大雨が煌めいて、架かった虹に詩まで謳いだした。

Thou art more lovely and more temperate.
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,

 貴方という知の造形は 夏よりも愉快で調和が美しい。
 荒い夏風は愛しい初夏の芽を揺り落すから、 
 夏の限られた時は短すぎる一日だけ。
 天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
 時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、
 清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
 偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす。
 けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
 清らかな貴方の美を奪えない、
 貴方が滅びの翳に迷うとは死の神も驕れない、

Shakespeare's Sonnet18、紀之って男はこういう男だと思う。
だから僕は幸運だと想った、夏よりも愉快な男と過ごす夏はきっと陽気な幸福に充たされるから。
こういう男とアンザイレンザイルを組んで登る山は、たぶん今まで登ったどの山よりも高潔で眩しい。

……

田嶋と馨が共に学び山を登った時間は4年程、それは短かい時間かもしれない。
それでも大学2年の夏に馨が記した想いは確かに伝わって今、三十年を超えても色褪せない。
馨と田嶋、このアンザイレンパートナーたちが紡いだ真実の証拠を英二はそっと膝から取り上げた。

『MEMOIRS』 Kaoru Yuhara

深緑いろ美しい絹張りの装丁は、馨と田嶋が共に登った山嶺を映して午後の陽射しに目映い。
アンザイレンパートナーへの気持ちを籠めてくれた色、そんなふう周太はこの一冊に微笑んでいた。
あのとき朗読してくれたトーンを唇にうかべて、この胸に提げた合鍵の俤に笑って英二はページを開き、口遊んだ。

「Thou art more lovely and more temperate. Thy eternal summer shall not fade, Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade」

この部分がきっと、馨が最も親友に想った詞だろう。
いつも隣で笑いながら想い、遠く離れた時間に想い、唯一のアンザイレンパートナーに無事を祈っていた。
この詩に謳うようずっと共に登り続けたかったろう、その願いへ遥か歳月を超えて英二は綺麗に笑いかけた。

「この詩に田嶋先生を想ってたんですよ、夏より愉快なアンザイレンパートナーだって…二年生の夏、あなたが朝早く家に来た時からずっと、」

紺青色の日記帳に大学2年の夏は、ラテン語と英語とフランス語と、そして母語の日本語で綴られていた。
馨が遣っていた言語の全てを遣って記した想いはきっと、馨の心全てを籠めたかった意味かもしれない。
そう告げてあげたなら、文学者の田嶋には馨の想いは誰よりも解かるだろう。

―でも日記のことは話せない…あの真実は未だ、惨酷すぎて、

今は馨の日記という存在を誰に語ることも出来ない。
馨が斃れた現実は馨を愛する人にとって愛情と記憶の分だけ惨酷すぎる。
だから誰にも語れない、それでも周太はもう真相に気が付き始めていて、それでも微笑んでいる。

―馨さん、本当に周太はすごい男ですね?田嶋先生もきっとそうです、でも、言えません、

馨の運命が連鎖の束縛に絡まれ始めた時、いちばん近くに田嶋はいた。
だから真実を知れば自身を責めてしまうだろう、そう解かるからこそ言えない。
そして知られない事は馨にとっても本望だろう?そんな想い微笑んだ前で明敏な瞳が涙と笑った。

「私だって想ってるさ、馨さんのこと夏より眩しい綺麗な男だってずっとな?だからその詩を載せたんだ、だから護りたいんだよ、」

窓ふる光に日焼の頬を雫きらめいてゆく。
ぽとん、顎から墜ちた雫はティーカップに波紋を描いてマスカテルの芳香が立つ。
もう冷めかけたはずの紅茶、けれど香だけは瑞々しいまま古書の空気を潤わせて、明朗な声が微笑んだ。

「私はな、高校時代まではずっとトップで登ってたんだ。だけど大学に入ってからはセカンドで、馨さんのビレイヤーに徹したよ。
馨さんは文学者として山ヤとして最高だ、そういう男を自分が支えて護れるって嬉しかった、馨さんは俺のプライドなんだ、だから…っ」

嗚咽に声が止まって、涙ひとつ琥珀色にクラウンを描く。
もう冷めてしまったカップを両掌に包んだままで田嶋は大らかな泣顔で笑った。

「俺は自分が赦せないんだよ?文学の研究も山も、いちばん馨さんの近くにいるって事が俺の自慢だったのに、何も気づけなかった、
俺は馨さんのビレイヤーの癖に何ひとつ援けられなかった、悩んでるなら話させてあげたかった、なのに何も聴けなかった俺が赦せない、」

俺が赦せない、そう告げながら零れる涙は自分も解かってしまう。
いま自分も周太を援けたくて、けれど想うようにできない自分に苛立つ時がある。
そんな自分だからビレイヤーとして光一を支えて護る方法すら誤ってしまった、その後悔が目の前の男に傷む。

―俺も話させてあげられなかった、周太にも光一にも独りで泣かせて、

唯ひとり伴侶になりたい相手も、唯ひとり共に最高峰に立ちたい相手も、自分は結局護れていない。
だからこそ今この男の傷みが鼓動を抉ってしまう、それでも冷徹な意志の向こうで田嶋は真直ぐ尋ねた。

「教えてくれ、どうして馨さんは何も言わないで消えてしまったんだ?君は馨さんとそっくりの目で、全て知ってるって貌してる、」

馨と同じ目で、全てを知っている貌。
そう呼びかけて馨のアンザイレンパートナーが自分に問う。
その眼差しに哀しい傷の深みを見つめるままに、低く透る声は涙と微笑んだ。

「君は馨さんと表情がそっくりだよ、それを自分でも知ってるんだろう?だから俺の前に現われたんだろ、君の知ってる事を確かめにさ、
昔のことを俺から聴き出しに来たんだろう?その質問ぜんぶ答えるから教えてくれよ、馨さんが俺にも話さなかったのは何故だ?答えてくれ、」

Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、

そんな詩の一節のままに、学者で山ヤの男は微笑んで泣く。
いま吐露する問いかけは三十年を超えて自分に尋ねてくれる、その想いが鼓動に響く。
後悔、哀惜、敬慕と真情、誰より護りたかった相手に伝えたかった全てを田嶋は笑い泣いた。

「お願いだ、答えてくれ、教えてくれ、馨さんが消えたのは何故なんだ?なぜ話してくれなかったんだ、俺が頼りなかったのか?
なぜ独り抱え込んで消えたんだ、たった一人のアンザイレンパートナーだって信頼は俺に無かったのか?お願いだ応えてくれ…お願いだ、」

唯ひとりのアンザイレンパートナー、そう想う意味は自分には解る。
同じ山ヤで男として田嶋の苦悶も馨の願いも解ってしまう、だからこそ伝えられる言葉に英二は微笑んだ。

「あなたを信じているから消えたんです、あなたの笑顔が大好きだから、」

But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
清らかな貴方の美を奪えない、
貴方が滅びの翳に迷うとは死の神も驕れない、

そう信じて願うからこそ馨は愛する永遠の夏から姿を消した。
たとえ姿を消しても滅びることは無い、そう信じた想いを英二は日記帳の記憶から紡いだ。

「唯ひとりのアンザイレンパートナーだから信じたんです、どんなに離れても何があっても、約束は終わらないと信じて消えたんです。
知らないことが約束もあなたも護るから言わなかった、何も言わなくても約束を護る男だと信じられるから、黙って消えられたんです、」

紺青色の日記は警視庁任官2年目の夏、ちょうど今ごろ綴られた想いは信頼だった。
唯ひとりのアンザイレンパートナーに信頼は深い、だからこそ沈黙のまま消えても約束は潰えない。
そんな願いを今ここで言葉に変えて伝えられた相手は深呼吸ひとつ、大らかな笑顔のまま泣き崩れた。

「そんなの残酷だ…っ、馨さんの大馬鹿野郎っ!」

残酷だ、馬鹿だ、

そう応えて山ヤの文学者は慟哭する。
どこまでも明るいままで涙あふれる瞳は誇らかで、哀しくて、深い。
いま十四年を超えても涸れない涙は傷ごと綺麗で、そんな男の姿に詩の一節が愛おしい。

“Thy eternal summer shall not fade” 貴方と言う永遠の夏は色褪せない 






(to be continued)

【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」より抜粋】

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