Nor lose possession of that fair thou ow'st―不滅の意志
第68話 玄明act.7-side story「陽はまた昇る」
君は、誰なんだい?
低く透る声の問いかけに、そっとワイシャツの胸元へ指ふれる。
指先の小さな輪郭は鼓動の上で温かい、この温もりに俤を鼓動へ籠めて英二は微笑んだ。
「パリ第三大学に湯原先生のご友人がいますよね、田嶋先生はお会いしたことがありますか?」
君は誰なんだい?
その答えは秘密に噤んだまま質問で笑いかける。
相手の意図をはぐらかす、けれど真直ぐ見つめる向こう日焼あわい頬を涙が伝う。
窓ふる午後の光きらめく軌跡を拭いもせず、その瞳に英二を映して田嶋は応えた。
「パリ第三大学なら湯原先生のご友人は何人かいるがな、先生の弟子として学会の時とかご挨拶に行くよ。そんなことを訊く君は誰なんだい?」
自分は誰なのか?
そう重ねて問われて、秘密と事実の相克が微笑んでしまう。
この事実を知る人間は自分と祖母の顕子だけ、あとは菫色の瞳したガヴァネスが気づいたまま黙っている。
―この紅茶もスコンも菫さんの味と似てる、馨さんも教わったから、
お父さんが小さい頃に食べたのと、同じレシピで作ったんだ…昨日、教わってきたの
お父さんも小さい頃に一度だけ宮田のお家に行ったらしいよ?そのとき菫さんにレシピを貰ったんだって、
七月の葉山へ行った翌日、そう周太は母親の美幸に話している。
あのとき周太が焼いたオレンジ・ガトーショコラは英国人のガヴァネスが作る味と似ていた。
そんな事から解ってしまう、きっと彼女も周太と馨と自分の血縁関係に気がつきながら沈黙を守っている。
こうした暗黙の秘密を今ここで話すつもりは無い、その意志のままに英二はティーカップに口付け啜り、綺麗に微笑んだ。
「1981年に亡くなられた助教授の方には、お会いしたことがありますか?」
1981年の初夏、パリ第三大学の助教授が一人死去した。
この「事実」をどこまで把握しているのか、知ろうとしたのか?
それを知りたくて見つめた向こう明敏な瞳かすかに揺らぎ、低く透る声が尋ねた。
「Durand、デュラン博士のことか?」
「はい、」
即答に頷いた真中で、日焼顔かすかに躊躇い揺らがす。
何かを気づいている、そんな空気から明朗な声は低く答えてくれた。
「私が学生だったとき、講演でいらした時に会ってるが…なぜデュラン博士のことを?」
1980年以前、フランス出身の文学者は幾度か来日している。
それは馨が遺した日記帳にも記述があった、けれど馨が知らない事実を確かめたい。
その事実を目撃していた可能性がある男に、英二は穏やかな笑顔と声のまま尋ねた。
「デュラン博士がいらした時も、こうして田嶋先生がお茶を淹れたんですか?」
「ああ、馨さん…湯原先生の息子さんが忙しい時は、私が淹れてたからな、」
明敏な瞳はすこし途惑うよう自分を映しながら、けれど正直なまま話してくれる。
その言葉に推定通りの事実を見つけて英二は綺麗に笑いかけた。
「この研究室でお茶をされたなら、湯原先生の他のご友人も同席されたんでしょう?紅茶一杯を淹れるのも緊張しそうですね、」
何げない言葉に微笑んで琥珀色に口づける。
ふれる湯気はマスカテルフレーバーが優しくて木洩陽のテラスを想いだす。
こんな香にすら懐かしい笑顔を想いながら、それでも計算高い頭脳に愉快そうな回答が聴こえた。
「私は緊張ってあまり知らんがな、でもナンカ緊張させられる人って確かにいたぞ?」
なぜか緊張させられる。
そう田嶋に言わせる相手は限られているだろう。
公開講座から今までの3時間ほど見てきた田嶋の内面は、広やかに明るく自由でいる。
些細なことには拘らない明朗なマイペース、そんな男が「緊張させられる」相手は滅多にいない。
だからきっと、そうだろうな?
「田嶋先生でも緊張するってあるんですね、」
何げない相槌に今、自分は他意の無い綺麗な笑顔でいるだろう。
そんな笑顔の前で明敏な瞳は懐かしげに、可笑しそうに笑った。
「ああ、一人だけだがな?ってさ、私が緊張するって意外な癖にコンナ質問したのかい?」
「はい、意外だから訊いてみたくて、」
何げない相槌と愉しげに笑いながら英二は深緑色の本を閉じ、スラックスの膝に置いた。
その手元に明敏な眼差しが向いている、その視線を掬うよう綺麗に笑いかけた。
「先生を緊張させた方って、どんな方なんですか?」
「うん?ああ、感じの良い人だったな、」
問いかけに笑った日焼顔が懐かしげに和む前、ティーカップのハンドルを右手につまむ。
そのテーブルの下、密やかに左手はスラックスのポケットでそっとスイッチを押した。
かちり、
微かな手ごたえが指先だけに鳴る、そして振動わずかに起きてゆく。
窓外のかすかな喧騒に音は隠されたまま小さな機械はポケットのなか作動する。
そんなテーブルの上で向かい、大らかな掌にティーカップを包みながら田嶋は口を開いた。
「湯原先生とは同期で運動会も一緒だそうでな、お役人サンで法科出身なのに気さくでさ?話し易いカンジで、笑顔の良い人だったよ。
だけどナンでかな、威圧的ってワケでも無いのにさ、妙に緊張したもんだよ?この私でも緊張するんだなって、いつも可笑しかったな、」
率直なトーンの声は懐旧と可笑しそうに笑っている。
けれど告げられた鍵たちに過去は今、三十一年を超えて扉を開く。
運動会は、この大学独自の呼称で他大学の体育会に該当する。
いわゆる部活動、この「運動会も一緒」だったのは何の部活なのか?
それを田嶋も知っているだろう、けれど、その先にある真相は気づいてはいない。
きっと誰も気づけなかった、そんな事実を見つめながら英二は過去へと笑いかけた。
「役人って、官僚の方だと田嶋先生でも緊張するんですか?」
「いや?他の人には別に緊張しなかったぞ、でも職種とかあったのかもしらんな、」
答えながら日焼顔はティーカップの湯気に笑っている。
ただ懐かしい記憶を楽しむ、そんな他愛ない笑顔は可笑しそうに教えてくれた。
「その人な、警察庁のお偉いサンだったんだよ。本部長だかナンだかって言ってたがね、やっぱり警官ってナントナク身構えるのかもな?
俺がここで世話になってる間なんどか来ていたけど、ナンカ妙に緊張してなあ?落着かなくって、茶を出したら隅で目立たんようにしてたよ、」
やっぱり「あの男」だ?
予測した通りの事実が扉から現われだす、その姿に冷徹の瞳が披く。
こんな事実は無い方が良い、けれど在る現実に英二は綺麗に笑いかけた。
「そんなに馴染めない方だったのに、いつも田嶋先生がお茶出しされていたんですか?」
「うん?そういえば、どういうワケかいつも俺だったな?」
懐かしげな笑顔のまま田嶋は少し首傾げこんだ。
今あらためて自身で気づいた、そんな眼差しが英二を映して明朗な声は言った。
「客が来ると大概は馨さん…湯原先生の息子さんが紅茶を淹れてたがな、その人が来る時はいつも馨さんが居ない時ばかりだったんだ。
で、私が代りに茶汲みしてたんだよ。そういうコトも多かったから、湯原先生と馨さんが私に紅茶の淹れ方を教えてくれてな、上手くなった、」
いつも馨が居ない時に「あの男」は来訪していた。
その不在は恐らく研究室の主が意図したものだったろう。
―晉さんは護ろうとしていたんだ、成長した息子の姿を見せたくなくて…気づいていたから、
きっと晉は「あの男」の意図に気づいていた。
だから息子の馨を会わせたくなくて、訪問の度ごと研究室から不在にさせている。
そして自分の危険にも気づいていた、だからこそ信頼できる同席者を常に置いたのだろう。
それは晉にとって容易い判断では決められない、それでも信頼に応えられる男が今この前に居る。
やっぱり田嶋は過去への鍵を持っている、その鍵を回すよう英二は綺麗に笑った。
「デュラン博士がいらした時は、すごく緊張されたんじゃないですか?警察庁の方だけでも緊張するのに、世界的な仏文学者も一緒なら?」
一緒なら?そう問いかけた先で明敏な瞳は素直に笑いだす。
懐かしい風景を見つめたまま可笑しそうに田嶋は、過去を口にした。
「ああ、いつも流石の私も参ったよ?デュラン博士は湯原先生の親友でライバルだからな、やっぱり失礼があったらマズイだろう?
そういう時に限って馨さんがナンカしら忙しくって途中で離席しちゃうんだよ、それから例の警官サンが来るから正直なとこ困ったモンだ、」
ほら、やっぱり「あの男」はデュラン博士と接触してる。
それも一度だけでは無いと田嶋の言葉は告げて、その度ごと馨は離席している。
こうした過去の事実たちは、自分の鞄に入れてある一冊が「記録」なのだと裏付けてしまう。
そんな思案に露わされてゆく真相は昏く愚かに哀しい、そして熾きだす怒りに微笑んだ前で田嶋は笑った。
「それでもデュラン博士にはサインもらったりしたよ、有名な学者な上に貴族の血筋らしいのにな、気どり無くって優しくて、私も好きだった。
だからな、デュラン博士と先生と3人だけの時はまだ良いんだけどさ、警官サンが来る度にナンカしら私は失敗したよ、受皿を忘れたりな?」
受皿を忘れたりな?
そう告げられた言葉に英二は右の手元を見た。
そこにあるティーカップも受皿は無い、こんな今の符号に笑ってしまった。
「田嶋先生、僕に受皿を出さなかったのはワザとなんですか?」
大らかで拘らない性格の田嶋、だからティーカップの受皿も出さない。
そんなふうに自分は田嶋を見取り、馨と正反対の性格なのだと可笑しかった。
けれど見込み違いがあるらしい?そんな気づきと笑いかけた向こう明敏な瞳は愉快に笑った。
「半分は無意識だぞ?君を見てから本当に緊張しちまってるからな、でも途中で気づいて、ワザとそのままにした分ダケは余裕あるぞ、」
明快な声は率直に応えてくれる、そのトーンは大らかに温かい。
たぶん同じ緊張でも違う種類だと感じてくれている、そんな空気に田嶋は真直ぐ尋ねた。
「君は、馨さんの血縁者なんだろう?目許と笑い方と英語の発音が似すぎてる、君は誰なんだい?」
真直ぐな眼差し、声、想い、そして願い。
そんな問いかけは隠した真実にすらストレートに響く。
あの三十一年前の事実を知る男が自分に問いかける、その答えは自分こそが知りたい。
Who are you? ― 自分は、誰だ?
(to be continued)
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第68話 玄明act.7-side story「陽はまた昇る」
君は、誰なんだい?
低く透る声の問いかけに、そっとワイシャツの胸元へ指ふれる。
指先の小さな輪郭は鼓動の上で温かい、この温もりに俤を鼓動へ籠めて英二は微笑んだ。
「パリ第三大学に湯原先生のご友人がいますよね、田嶋先生はお会いしたことがありますか?」
君は誰なんだい?
その答えは秘密に噤んだまま質問で笑いかける。
相手の意図をはぐらかす、けれど真直ぐ見つめる向こう日焼あわい頬を涙が伝う。
窓ふる午後の光きらめく軌跡を拭いもせず、その瞳に英二を映して田嶋は応えた。
「パリ第三大学なら湯原先生のご友人は何人かいるがな、先生の弟子として学会の時とかご挨拶に行くよ。そんなことを訊く君は誰なんだい?」
自分は誰なのか?
そう重ねて問われて、秘密と事実の相克が微笑んでしまう。
この事実を知る人間は自分と祖母の顕子だけ、あとは菫色の瞳したガヴァネスが気づいたまま黙っている。
―この紅茶もスコンも菫さんの味と似てる、馨さんも教わったから、
お父さんが小さい頃に食べたのと、同じレシピで作ったんだ…昨日、教わってきたの
お父さんも小さい頃に一度だけ宮田のお家に行ったらしいよ?そのとき菫さんにレシピを貰ったんだって、
七月の葉山へ行った翌日、そう周太は母親の美幸に話している。
あのとき周太が焼いたオレンジ・ガトーショコラは英国人のガヴァネスが作る味と似ていた。
そんな事から解ってしまう、きっと彼女も周太と馨と自分の血縁関係に気がつきながら沈黙を守っている。
こうした暗黙の秘密を今ここで話すつもりは無い、その意志のままに英二はティーカップに口付け啜り、綺麗に微笑んだ。
「1981年に亡くなられた助教授の方には、お会いしたことがありますか?」
1981年の初夏、パリ第三大学の助教授が一人死去した。
この「事実」をどこまで把握しているのか、知ろうとしたのか?
それを知りたくて見つめた向こう明敏な瞳かすかに揺らぎ、低く透る声が尋ねた。
「Durand、デュラン博士のことか?」
「はい、」
即答に頷いた真中で、日焼顔かすかに躊躇い揺らがす。
何かを気づいている、そんな空気から明朗な声は低く答えてくれた。
「私が学生だったとき、講演でいらした時に会ってるが…なぜデュラン博士のことを?」
1980年以前、フランス出身の文学者は幾度か来日している。
それは馨が遺した日記帳にも記述があった、けれど馨が知らない事実を確かめたい。
その事実を目撃していた可能性がある男に、英二は穏やかな笑顔と声のまま尋ねた。
「デュラン博士がいらした時も、こうして田嶋先生がお茶を淹れたんですか?」
「ああ、馨さん…湯原先生の息子さんが忙しい時は、私が淹れてたからな、」
明敏な瞳はすこし途惑うよう自分を映しながら、けれど正直なまま話してくれる。
その言葉に推定通りの事実を見つけて英二は綺麗に笑いかけた。
「この研究室でお茶をされたなら、湯原先生の他のご友人も同席されたんでしょう?紅茶一杯を淹れるのも緊張しそうですね、」
何げない言葉に微笑んで琥珀色に口づける。
ふれる湯気はマスカテルフレーバーが優しくて木洩陽のテラスを想いだす。
こんな香にすら懐かしい笑顔を想いながら、それでも計算高い頭脳に愉快そうな回答が聴こえた。
「私は緊張ってあまり知らんがな、でもナンカ緊張させられる人って確かにいたぞ?」
なぜか緊張させられる。
そう田嶋に言わせる相手は限られているだろう。
公開講座から今までの3時間ほど見てきた田嶋の内面は、広やかに明るく自由でいる。
些細なことには拘らない明朗なマイペース、そんな男が「緊張させられる」相手は滅多にいない。
だからきっと、そうだろうな?
「田嶋先生でも緊張するってあるんですね、」
何げない相槌に今、自分は他意の無い綺麗な笑顔でいるだろう。
そんな笑顔の前で明敏な瞳は懐かしげに、可笑しそうに笑った。
「ああ、一人だけだがな?ってさ、私が緊張するって意外な癖にコンナ質問したのかい?」
「はい、意外だから訊いてみたくて、」
何げない相槌と愉しげに笑いながら英二は深緑色の本を閉じ、スラックスの膝に置いた。
その手元に明敏な眼差しが向いている、その視線を掬うよう綺麗に笑いかけた。
「先生を緊張させた方って、どんな方なんですか?」
「うん?ああ、感じの良い人だったな、」
問いかけに笑った日焼顔が懐かしげに和む前、ティーカップのハンドルを右手につまむ。
そのテーブルの下、密やかに左手はスラックスのポケットでそっとスイッチを押した。
かちり、
微かな手ごたえが指先だけに鳴る、そして振動わずかに起きてゆく。
窓外のかすかな喧騒に音は隠されたまま小さな機械はポケットのなか作動する。
そんなテーブルの上で向かい、大らかな掌にティーカップを包みながら田嶋は口を開いた。
「湯原先生とは同期で運動会も一緒だそうでな、お役人サンで法科出身なのに気さくでさ?話し易いカンジで、笑顔の良い人だったよ。
だけどナンでかな、威圧的ってワケでも無いのにさ、妙に緊張したもんだよ?この私でも緊張するんだなって、いつも可笑しかったな、」
率直なトーンの声は懐旧と可笑しそうに笑っている。
けれど告げられた鍵たちに過去は今、三十一年を超えて扉を開く。
運動会は、この大学独自の呼称で他大学の体育会に該当する。
いわゆる部活動、この「運動会も一緒」だったのは何の部活なのか?
それを田嶋も知っているだろう、けれど、その先にある真相は気づいてはいない。
きっと誰も気づけなかった、そんな事実を見つめながら英二は過去へと笑いかけた。
「役人って、官僚の方だと田嶋先生でも緊張するんですか?」
「いや?他の人には別に緊張しなかったぞ、でも職種とかあったのかもしらんな、」
答えながら日焼顔はティーカップの湯気に笑っている。
ただ懐かしい記憶を楽しむ、そんな他愛ない笑顔は可笑しそうに教えてくれた。
「その人な、警察庁のお偉いサンだったんだよ。本部長だかナンだかって言ってたがね、やっぱり警官ってナントナク身構えるのかもな?
俺がここで世話になってる間なんどか来ていたけど、ナンカ妙に緊張してなあ?落着かなくって、茶を出したら隅で目立たんようにしてたよ、」
やっぱり「あの男」だ?
予測した通りの事実が扉から現われだす、その姿に冷徹の瞳が披く。
こんな事実は無い方が良い、けれど在る現実に英二は綺麗に笑いかけた。
「そんなに馴染めない方だったのに、いつも田嶋先生がお茶出しされていたんですか?」
「うん?そういえば、どういうワケかいつも俺だったな?」
懐かしげな笑顔のまま田嶋は少し首傾げこんだ。
今あらためて自身で気づいた、そんな眼差しが英二を映して明朗な声は言った。
「客が来ると大概は馨さん…湯原先生の息子さんが紅茶を淹れてたがな、その人が来る時はいつも馨さんが居ない時ばかりだったんだ。
で、私が代りに茶汲みしてたんだよ。そういうコトも多かったから、湯原先生と馨さんが私に紅茶の淹れ方を教えてくれてな、上手くなった、」
いつも馨が居ない時に「あの男」は来訪していた。
その不在は恐らく研究室の主が意図したものだったろう。
―晉さんは護ろうとしていたんだ、成長した息子の姿を見せたくなくて…気づいていたから、
きっと晉は「あの男」の意図に気づいていた。
だから息子の馨を会わせたくなくて、訪問の度ごと研究室から不在にさせている。
そして自分の危険にも気づいていた、だからこそ信頼できる同席者を常に置いたのだろう。
それは晉にとって容易い判断では決められない、それでも信頼に応えられる男が今この前に居る。
やっぱり田嶋は過去への鍵を持っている、その鍵を回すよう英二は綺麗に笑った。
「デュラン博士がいらした時は、すごく緊張されたんじゃないですか?警察庁の方だけでも緊張するのに、世界的な仏文学者も一緒なら?」
一緒なら?そう問いかけた先で明敏な瞳は素直に笑いだす。
懐かしい風景を見つめたまま可笑しそうに田嶋は、過去を口にした。
「ああ、いつも流石の私も参ったよ?デュラン博士は湯原先生の親友でライバルだからな、やっぱり失礼があったらマズイだろう?
そういう時に限って馨さんがナンカしら忙しくって途中で離席しちゃうんだよ、それから例の警官サンが来るから正直なとこ困ったモンだ、」
ほら、やっぱり「あの男」はデュラン博士と接触してる。
それも一度だけでは無いと田嶋の言葉は告げて、その度ごと馨は離席している。
こうした過去の事実たちは、自分の鞄に入れてある一冊が「記録」なのだと裏付けてしまう。
そんな思案に露わされてゆく真相は昏く愚かに哀しい、そして熾きだす怒りに微笑んだ前で田嶋は笑った。
「それでもデュラン博士にはサインもらったりしたよ、有名な学者な上に貴族の血筋らしいのにな、気どり無くって優しくて、私も好きだった。
だからな、デュラン博士と先生と3人だけの時はまだ良いんだけどさ、警官サンが来る度にナンカしら私は失敗したよ、受皿を忘れたりな?」
受皿を忘れたりな?
そう告げられた言葉に英二は右の手元を見た。
そこにあるティーカップも受皿は無い、こんな今の符号に笑ってしまった。
「田嶋先生、僕に受皿を出さなかったのはワザとなんですか?」
大らかで拘らない性格の田嶋、だからティーカップの受皿も出さない。
そんなふうに自分は田嶋を見取り、馨と正反対の性格なのだと可笑しかった。
けれど見込み違いがあるらしい?そんな気づきと笑いかけた向こう明敏な瞳は愉快に笑った。
「半分は無意識だぞ?君を見てから本当に緊張しちまってるからな、でも途中で気づいて、ワザとそのままにした分ダケは余裕あるぞ、」
明快な声は率直に応えてくれる、そのトーンは大らかに温かい。
たぶん同じ緊張でも違う種類だと感じてくれている、そんな空気に田嶋は真直ぐ尋ねた。
「君は、馨さんの血縁者なんだろう?目許と笑い方と英語の発音が似すぎてる、君は誰なんだい?」
真直ぐな眼差し、声、想い、そして願い。
そんな問いかけは隠した真実にすらストレートに響く。
あの三十一年前の事実を知る男が自分に問いかける、その答えは自分こそが知りたい。
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