合間を縫い、海山代表曽木さんと猛暑の東京へ。
新幹線の車中、これまでの3年をなんとなく振り返りながら、今後打ちたいなぁという布石の妄想。
本日も四万十・畦地総長のご縁でパソナ本社会議室をお借りして会議。
一番最初は来年2015年の春をメドに、新聞BAGコンクールをニューヨークでやろうという方針を昨年立てました。
統括デザイナー・プロデューサー梅原先生が生み落とした新聞BAGの価値を広める、
東北目線では手仕事でさらなる自立支援や復興の助けが必要な人達へ仕事の裾野を広げるための。
それはブレず変わらず。道程が東北、四万十を基点に色々と、目まぐるしいスピードで変わってることもあり
すりあわせや情報交換する時間でした。
今回は春にN・Yでお世話になったインストラクター秦さんも同席。
濃厚な会議を終えたあとは濃密な懇親会。
軽く食べながら飲んだあとは前回に引き続きパソナ森田さんとお知り合いじゃないと入れない(笑)、
丸ビル内通称「MORITAラウンジ」にて二次会。
今回、すごくいい時間でした。
地域を超えてひとつの目標というのか何かボヤッとしてるけれど確かな目指す何かを共有できた気がします。
コトバにするとわかりやすいかもしれないけれど、出来ないもの。
ここまでも、簡単なことではなかったです。
震災という出来事でスイッチが入り、新聞BAGというものを通して通ずる価値観を軸に繋がった地域同士。
復興の手助けをする、仕事を作る、地元を作る、発信する、、、、、内と外、協力すれば大きなチカラに
そう思うのは簡単だけれど、なかなか難儀。
日常の状況も違えば風土も違うし、影響の大きい小さいというよりもお互いにゆずれないものがあるしそれは尊重すべき「違い」でもある。
けど根本は「人 対 人」。
きっと新聞BAGという価値観はあってもそこが「あ、合わね~な」と思っていたら辞めていたと思う。
昼の会議でも、やるべき仕事というのかPROJECTとして次のステップが、それぞれ目の前にしてきたもの見てきたものは違ってるんだけど、
一つの梅原JAPANとして「新聞BAGをどう育てるのか」という部分でおんなじところに落ち着いていく流れでもありました。
3年という時間の蓄積があってこそ。そう思いました。
共有すべき軸はブラさず、それぞれの地域でそれぞれの人で、必死に全体を考えようとしてきたから。
それが今日、符合したきがしました。
そんなところを、キチンと人対人で付き合ってこれたからこそ今がある。
改めて学びの多いチーム四万十の御大の方々には感謝だし、そばに居て脇をドついてくれる曽木さんにも感謝だな、とシミジミ思いました。
そんなことを感じたら、ついつい呑み過ぎてしまい夜中まで頭痛と東京猛暑、
それと、梅原先生からビックリ恐縮とんでもなく嬉しい発言も飛び出しちゃったのもあり、で寝れませんでした。。。。
今後が楽しみだ。