まつり明け。
ゆっくりと休みたかったけれどそうもいかずに通常。明日こそ身体を休めたい。。。
昼過ぎ、昨年メデタク教師採用試験に合格した小学校教師・同級生Jが来訪。
仕事でレポート作成をするためお米作りについての話が聞きたいということで、
私よりも我が家で「米=親父」なので親父に時間を作ってもらって同席。
お米の作業、についての話が主題ではあったけれど、親父が昔はねぇ・・・と話したことにはこれまで聞いたことのない話もあったな。
米の生産が十分ではなかったころ、当然値段も高く、親父も跡を継ぐ頃は専業農家として事業を伸ばそうかという人が沢山いたらしい。
農業という仕事へのみんなのテンションも高く、日本の主食を作っているという誇りもあれば、
手仕事が主だった当時は周りとの切磋琢磨も楽しく「田の草取り競争」なんてやったり、活力にみなぎっていた、とのこと。
農協が誕生して、生産、販売の役割分担も生まれ、農業経営という側面でも農家が支えられ、さまざな面でシステム化していった。。。
それから数十年。
食生活も変わり、米もあまり気味。値段も下がり
生産に一生懸命に専念することで成り立っていた生活が崩壊し、
うまくいっていたはずのシステムがゆがんできた。
第一種兼業農家は数えるほどでいまや周りは勤め人の第二種兼業農家が圧倒的な世の中だ。
6次化産業といえば聞こえはいいけれど、その中で「農業」を軸に生活を作ることは、
それまで専念外だったことも自分でやらないと成り立たない、ということでもある。
一方、
親父は「「直売所」が数多く出来た流れは、これから新しく「農業」という選択肢を選ぶキッカケになるのではないか」という。
お客さん、買うという場面には直接関係ないところで出来たルールの中での流通に合わせなくてはならなかった農業に、
「自分で」主体的に考えられる選択肢ができたことは大きい。
みんな手作業手仕事アナログワークから生み出されたものが効率化・システム化を目指す。
そして完成かな、と思ったところに歪みが出来て揺り戻しのような混沌の時期が来る。
だからこそ、自分のような者が農業で食べれてるんだなと、時々思います。
炭焼きやっていたころ、教えてくれたじいちゃんも言ってたなー。
「世の中50年サイクルだ。おらの小せー頃は炭は大事な燃料。
そっからエネルギーが石油に変わって炭なんか見向きをされないと思ったら、
自然のサイクルに合った炭が見直され始める。おもしれーな。」
Jの学校の児童が、
「農業がダメだダメだ、だじゃなくって米がダメなら野菜、いろいろ工夫して専業目指せばいいじゃないかーーー!」
って言ってたらしい。
農業だけではなくって、あらゆるところが 転換期 なんだろなと感じる。
自分の為に、自分だけじゃないところの為に、これから後半の人生はとても大事な気がします。