よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

インターン最終日&明大中野生徒のみなさんの感想文「”いい塩梅"が未来を作る」と感じた日。

2014年08月22日 | Weblog


夕方、雨の中でテントを張りなんばん炭焼きしていると、雷が近づいてきたので幕を四方に張り見つからないように光りものを隠した。

すると激しい雷雨! そして、嵐の強風! に加えてヒョウまで降ってきた!

なんつう天気。。。おかげで中断せざるを得なくなり、9じまでかかっちまった。。。。





東京・食糧学院で栄養士を目指す女子3人のインターン研修も最終日。




ラストの研修地は地元のおいしいハム屋さんジャンボン・メゾン

地元の直売所の仲間でもあり、私も田舎に戻って以来気を張らずにお付き合いさせて頂き、色々と学びの多い会社。

社長は40代後半までは農業をやっており、そこから起業して今では地元百貨店でトップギフト販売を誇る企業です。

ドイツのハムをすごく勉強して商品開発をしてきましたが、社長曰く「地元の人、日本の人がおいしいと感じる"和ハム"がウチの味」

そこがおもしろいし、なんか良かったです。





インターン。

あっという間でした。たのしかった、というのが初めて受け入れた率直な感想。

サバとマンガが大好きなTちゃん、

保育士から転職を目指すムードメーカーMちゃん、

イスラエルの日本大使館を退職して食を学ぶNさん。

みんな年齢も違う、考え方も違う、目指す位置も場所もさまざまだけれど、

「毎日の食、が生きる基本だからこそ、大事に考えたい。」

というメッセージは共通で、そんなところが私達ともぴったんこに共有できることでもある。

きっと根底で何かをみんなが感じるタイミングなんだろうなと思います。


女子ということで、宿泊受け入れに協力してもらった海山・曽木さん黒田さんにも感謝。

体験を歓迎してくれた仲間にも感謝。

そして、食糧学院・ふなき先生、縁をつないでくれた仙台・キャリア支援ネットワーク社長・佐々木のオジキにも感謝。



どうしていいかわからなかった中、ええとこ見せようと思っても見栄えのいい工場や広大な農場もあるわけでもないもんで、

それなら出来ること。「点」ではなく、

自分がモノづくりをする生の現場を見てもらい、

自分のモノをづくりに共感してくれる仲間と触れ合い、

そんなモノづくりがたくさんうごめいている空気を感じて欲しい。

そう思いました。

移動もあったりで慌ただしかったかなとも思うけれど、自分らしさは伝えられたかなと思えました。

あらためて、ありがとうございました。





昨日新聞BAGを体験してくれた明大付属中学・高校(今回の企画模様アップされています)の生徒も今日帰京。

朝インターンのみんなと道の駅で待ち合わせて見送り。

社長にも無理を申し上げ、震災当時の道の駅の取り組みの話を頂きました。

そして、JTBの村岡さん、先生に手紙を頂きました。

昨夜、生徒の皆さんが眠い目をこすりながら振り返った文章。

感動してしまった。

すばらしい。

何点か。





















自分のその当時、を振り返ってしまうと恥ずかしいくらいでした。





昨日、ワークショップ前1時間話をしましたが、終えると先生からも、そして海山代表・曽木さんからも初めてお褒めを頂きました。

身の丈。

震災以来ずっと、本業も より一層! 起業した海山も より一層! 

単純なので、そう思うあまりチカラが入りすぎてしまっていたのかなと今年になって思ってきました。

教えてくれたのは自分の周りの人々。

だから、話すことに慣れた、以上に、自分の中がスッキリしたから、より伝わるようになってきたのだと思う。



ワークショップの中で「チャンスとして震災を捉える」という事を話しました。

それは単純に言えば震災が起こったことで良くも悪くも注目される事を利用する、という意味もあります。

その上で、まさに東北の自分たちがどう考えてどう変えていくのかどう動いていくのか、がとっても大事。

中、みんなで起業した海の手山の手ネットワークやほっかぶりJAPANというフィールドもその一つで、

新聞BAGをコミュニケーションの入り口として、今回で言えばJTBという大企業や首都圏の学校のような、

地元、たっくさんの地域、たっくさんの企業、立場もさまざまな人たちとつながって活動が広がってきた。

そして、自分の全部、というのではなく生業に向かう本気、とはまた違った本気でのぞめるたのしめる場所が作られてきた。

自分にウソをつかないところで、

自分の生業も伸ばしたい。

震災を経て、地元も伸ばしたい。

地元の仲間、知らないくても同じ地域で復興がんばる人たちとも共闘したい。

そんなことをいろ~~~~んな立場を越えて地域を越えて交われ、進んできたこの3年はまさに財産。



思い出すのは自営業をやるぞ、と方向転換する時期、東京でキッカケをくれた恩師H田さんが常々口にしていたコトバ。

「いいか、ジャン!(当時の愛称)、”会社人間にはなるな。社会人であれ!”」

こういうことなんだ、と今実感として思える。



んでもまだまだ終わりじゃない。


日々、妄想は膨らむばかり。

ネタも増えるばかり。


おちつけ、おちつけ。。。