以前、学級担任をしていた頃の話である。
自分は、まだ30歳頃で若かった。(常識もあまりなかった。)
お昼前に、緊急の用があったため、校長室に入っていった。
「校長先生、ご相談があるのですが・・・。」
と言ったその直後、雷が落ちた。
「食事ぐらいゆっくり食べさせてくれ!」
大きな声で叱られた。
ちょうど、検食中(給食のチェック中)だったのである。
今思えば、食事が終わってから相談すれば良かったのである。
せめて、「お食事中にすみませんが・・・」と言えば良かった。
その時は、「すみません、後ほど伺います。」と、小さな声で謝って退室したような気がする。
確かに、食事中は、ゆっくり食べたいものである。
食事の邪魔をした自分は、配慮が足りなかった。
しかし、しかしである。
後になってじっくりと考えると、腑に落ちない点も出てくる。
学級担任をしているときは、「食事をゆっくり食べられる」ということは殆どない。
子供達と楽しく会話をしながら食べるのはおいしく、楽しい時間なのだが、そんなゆっくりとした時間はなかなか取れない。
こんな声が聞こえるときがある。
「先生、○○をこぼしました。」
「先生、○○のおかわりをします。」
「先生、隣のクラスで、○○が足りないそうです。」
等々、その度に対応する。
対応しなくてもすむように、システム化していても、少しは対応しなければならない。
食事が終わったら、保護者からのお手紙に返事を書いたり、家庭学習のチェックをしたりする。
落ち着いて給食を食べるということは殆どできない。
そんな学級担任である自分たちと、その怒鳴った校長先生と比べて考えると、
「給食をゆっくりと食べることができていいなあ。」
と思った。
正直に言って、
「いい気なモノだなあ。気楽だよなあ。」
と思ったのである。
同時に、「決して自分はそんな管理職にはなるまい」とも誓った。
反面教師としては、素晴らしい校長先生だったと言える。
自分は、まだ30歳頃で若かった。(常識もあまりなかった。)
お昼前に、緊急の用があったため、校長室に入っていった。
「校長先生、ご相談があるのですが・・・。」
と言ったその直後、雷が落ちた。
「食事ぐらいゆっくり食べさせてくれ!」
大きな声で叱られた。
ちょうど、検食中(給食のチェック中)だったのである。
今思えば、食事が終わってから相談すれば良かったのである。
せめて、「お食事中にすみませんが・・・」と言えば良かった。
その時は、「すみません、後ほど伺います。」と、小さな声で謝って退室したような気がする。
確かに、食事中は、ゆっくり食べたいものである。
食事の邪魔をした自分は、配慮が足りなかった。
しかし、しかしである。
後になってじっくりと考えると、腑に落ちない点も出てくる。
学級担任をしているときは、「食事をゆっくり食べられる」ということは殆どない。
子供達と楽しく会話をしながら食べるのはおいしく、楽しい時間なのだが、そんなゆっくりとした時間はなかなか取れない。
こんな声が聞こえるときがある。
「先生、○○をこぼしました。」
「先生、○○のおかわりをします。」
「先生、隣のクラスで、○○が足りないそうです。」
等々、その度に対応する。
対応しなくてもすむように、システム化していても、少しは対応しなければならない。
食事が終わったら、保護者からのお手紙に返事を書いたり、家庭学習のチェックをしたりする。
落ち着いて給食を食べるということは殆どできない。
そんな学級担任である自分たちと、その怒鳴った校長先生と比べて考えると、
「給食をゆっくりと食べることができていいなあ。」
と思った。
正直に言って、
「いい気なモノだなあ。気楽だよなあ。」
と思ったのである。
同時に、「決して自分はそんな管理職にはなるまい」とも誓った。
反面教師としては、素晴らしい校長先生だったと言える。