こんなふうに並んでいると、花に劣らず美しいと思ってしまいます。 これは何でしょう。
ヒントなんかなくても分かるとは思いますがー
悲しげに、いや恥ずかしげにうなだれているこの植物のものです。
本当は重みで耐えきれないんですよね。
うなだれたひまわりのところから鳥が飛び立ちました。 おいしいものがあるところをよく知っています。形のきれいなうちに収穫をしました。
これはほんの一部です。
花が咲いたときぱふぱふさんにコメントを頂いて、ニコニコマークの種を作ってみたのですが・・・・成功してたんですよ。 成功してたんですがとるのが遅すぎて顔がくずれてました。
これ、パーフェクトです。 つまり全部の花に虫が訪問したということですね。
ところがこちらは、ぱらぱらとしかできていません。 ゴージャスなゴッホのひまわりの種です。
花が枯れたところ。 花びら1枚がひとつの花です。 こんなにもしゃもしゃとたくさんあったら、どの蜜をもらってどこはまだもらってないのか分からなくなってしまいますね。 黄色い花にはまだ蜜が残っているんじゃないかしら。お~い、はちさ~ん。
褐色のひまわり。
はちさーん、これもまだ真ん中は花粉がありそうよ~ 。
ミニひまわりはすでにほとんど種が残っていません(落ちてしまったか、食べられてしまったか)。 食べるのは鳥だけではなくて、イモムシなども種の中に潜んでいるのですよ。
ひまわりは昔2年生の理科教材でした。 種を蒔いたら、芽生えからずっと観察記録を書いて、背丈を測り、葉の大きさを測り、種の数を数えて、絵をかいて、・・・と、理科だけでなく他の教科でも活用できるすてきな教材です。
自分たちで育てたひまわりの大きな葉の長さを測るとなると、勉強嫌いの子でも喜んで取り組みましたね。
たくさんの種は10個ずつひとまとめにしながら数えます。 ひとつひとつ間違いなく数えるという面倒な作業も、いくつあるかなあという期待を持って、仲間たちと根気よく数えていました。 だから100個以上の種のあるひまわりでは、10進法が学べるのです。
理科のねらいとしては、たった一粒の種からこんなにたくさんの子孫を残す、それに気づかせることも大切なことではありましたが、今思うと、その種がすべて次世代に生き残るわけではなくて、虫が食べ、鳥が食べ、人間も食べて、実に多くの命を養っているということにもっと気づかせるべきでした。
家庭科室のフライパンを借りて煎って食べるもよし、 種を冬までおいて鳥に食べさせるもよし、ここまで活動して子どもたちはひまわりのめぐみと命の連鎖を実感できたのではないかと、ちょっと反省。 もちろんそこまでしなくても良かったわけですが。
人間の営みを、環境を含むトータルなものとして考える人間を育てることが、これからの教育にはとても大切なことのように思います。