あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

流木で作ったバイオリンコンサート

2013-07-26 00:34:56 | くらし
 10日ほど前の地元新聞紙のコラム欄にこんな書き出しで始まる記事が載りました。
 「人々がそっと見守る中、そのバイオリンはメロディーを奏で始めた。・・・・」
 そのバイオリンとは、



 東日本大震災の津波で流された家の、梁や柱から作られたバイオリン。裏には、陸前高田市の奇跡の1本松が描かれています。
 このバイオリンを千人の奏者が引き継ぎ、自然への畏怖や命の尊さを語り継いでいこうというプロジェクトが国内外で進行中です。
 
 コンサート前のビデオ映像によると、このバイオリンを作ったのは、ストラディバリウスなどの修復を手がける中沢宗幸さんという方で、中沢さんは、「あのがれきの山は、ごみではなくて思い出の山」という奥様の言葉に心動かされて作ったと言います。今では4台に増え、一つは海外でリレー演奏中だとか。

 その「千の音色でつなぐ絆コンサート」168番目の奏者は、地元の、大野香織さん。フルート奏者の三谷一恵さんとともに、優しく温かな演奏を聴かせてくれました。



 ブログに載せるてもいいですよと言ってくださいましたが、やっぱり全身を載せるのは遠慮しておきます。
 
 それにしても、愛媛初の「絆コンサート」が、県のひめぎんホールでもなく、市の総合文化会館でもなく、田舎の片隅の小さなお寺とは!? 東京では美智子皇后さまも演奏を聴かれたそうですが。
 プロデュースしたお寺の住職さん、尼僧さんですが、とてもエネルギッシュな方で、「バイオリンが届いた日は、普段鍵をかけたことのないお寺に鍵をかけ、バイオリンをソファの下に隠しておいた」と笑わせました。

 浄明寺というお寺の境内に作られた、小さな小さなホール。サマーディホールと名付けられたその場所は、グランドピアノと折りたたみパイプいす30台も並べると、もう身動きできないほどです。
 壁には美しいステンドグラスがはめ込まれています。



 演奏前、音合わせのために奏でたバイオリンの一音、それを聞いてわたしは驚きました。 バイオリンって・・・・
 演奏者の息づかいまでが聞こえるそのホールでは、バイオリンの音量は、マイクを通したときのように大きく、音色は今まで聞いたどのバイオリンよりも深い響きを持っていました。大野さんも、「このバイオリンは、いつもわたしが弾いているバイオリンとは全然音が違います。そして甘い香りがします。」と言っていました。
 
 タイスの瞑想曲、G線上のアリアといったクラシックの名曲から、日本の四季の歌、はなみずきなどのはやりの歌まで、なじみ深い親しみやすい曲ばかりでした。それもフルートが入るとまた新鮮な響きで楽しく、時間があっという間に過ぎていきました。アンコールは、もちろん、「千の風になって」。 西条市は、秋川雅史さんの出身地ですから。

 演奏後、これを買ってきました。

 わかるかしら。 陸前高田町で倒れたの7万本とも言われる松の木から作ったお守りストラップ。 中央の大きな玉に梵字のように描かれているのは、Rという文字です。
 Requiem 鎮魂
 Revival 復興
 Reverse 再生
の意味が込められています。

 そうそう、流木で作られたバイオリンにもあの奇跡の1本松の一部が使われています。たった1本残った松もとうとう枯れて、今はモニュメントとして残されていますが、その際一部を切り取ってバイオリンの魂柱にしているそうなのです。魂柱とは、バイオリンの空洞部分にはめ込まれた小さな棒で、表板の振動を裏へ伝える役割をしています。いわばバイオリンの音色を左右する大切な部分。ここにも東北の復興への願いが込められています。

 バイオリンは300年、400年たっても演奏することができ、音色もよくなっていくのだとか。きっちりと千人の演奏者がリレーするというのではなく、千人を超えるたくさんの人、後世の人々にも弾いてもらって、このバイオリンとともにあの震災の記憶も人々に語り継がれることを願っている・・・・。 メッセンジャーの大庭泰三さんの言葉でした。

 その多くの人々の中にわたしもーこんなコンサートに聴衆の一人として参加できたことに感謝です。
 
  
コメント (2)
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