あちこちでびわの黄色い実が目立つようになりました。農家では、庭の隅に1本とか、畑の隅に1本とか、土地さえあればびわの木と柿の木を植えるというのが普通だったようです。
むかしはびわは子どもたちのよいおやつだったと思います 。でも、うちに柿の木はありましたが、びわはありませんでした。そういえば、亡くなった父が晩年言っていましたが、父が子どもの頃びわを食べ過ぎてお腹をこわしたんだそうです。怒った父親(私の祖父)はびわの木を切ってしまったんだそうです。頭の緩くなった父のことだからと、聞き流していましたが、本当だったのでしょうね。

我が家のびわは2本。1本は大きめの実で見かけはいいのですがちょっと酸っぱい。大きな木で、ときおりキジが鳴いていたりします。


2本目は、3軒の土地の境に会って誰のものだかわからなかった木。じつはこれが小さいけど甘いので、わたしはこっそり食べていました。ところが夫のいうにはこれはうちのだと。もともと親戚の土地だったのですが、その家族が都会に移り住んだのでうちが買い受けました。なので、家の物になったんですと。

すでに終盤です。落ちずにしなびるのも多いのです。
味音痴(だと私は思ってる)夫ですが、2本目の木のびわを食べながら、元々家にあった木より、こっちの方がうまい、と言ったのです。誰が食べてもそうか。
どうして、味がちがうん?
品種が違うんじゃないか? おやじがどんなんでも植えたんじゃろ。
なるほど、びわにもおいしい品種とそうでない品種があるんだー当たり前のことなのにその発想がなかったわたしでした。そして、びわを植えたのが義父(子どもたちにとってはじいちゃん)だったことに感慨深いものがありました。
というのも、最近若い人が、おじいちゃんが栽培している木の実を利用してジャムを作ったり、フルーツを使ったお菓子を提供するカフェを開いたりしています。また、ひいおばあちゃんの住んでいた家を改造してお菓子を作る工場にしたり、パン屋さんに改造したり・・・・なんだかぬくもりのある商品に思えませんか?
そのどれもが人気で、遠くからも買いに来たりします。家はもちろん、果樹も大切な財産。それを子どもではなく孫世代の若い人が価値を見いだし有効に活用しているということに、田舎の将来の明るさを感じます。
さて、びわ農家さんから大きなびわを頂きました。どれも傷物だったり規格外の大きさで出荷できないんですと。
こんなにきれいなのに。娘も夫も私も、一口食べて「おいしい~」と目を丸くしました。

3種類のびわ、並べてみました。

左のプロの作ったびわはさすがに大きい、そしてとてもおいしいです。けど、売っているのはもっと大きいのよねえ。
まん中、家の酸っぱいびわ
完熟して落ちたのを、きれいなのを選んで拾って食べています。めざとい虫との競争です。甘みが増して適度に酸味があって、なかなかおいしいのです。
右、小さいけれど甘いびわ。おいしいんだけど、種の方が多い位なので食べ応えがないのが難点です。
他のびわはどうなんだろう? 多分拾っても差し支えないだろうと思われる木のを食べてみました。昔だったらけっこうおいしいおやつだったでしょうね。でも、プロの味にはかないませんでした。
