午後四時前、ようやくわたしの行きたかったところに到着。

閉館が五時かもしれないと焦っていたのですが、六時閉館で、ゆっくり見ることができました。


佐田岬の先端に夕日が沈んでいくところでした。






閉館が五時かもしれないと焦っていたのですが、六時閉館で、ゆっくり見ることができました。
土門拳(1909-1990)
戦前、戦中、戦後、復興、高度成長と、日本社会全体が目まぐるしく変化していく中、強烈な個性とこだわりを持って、一貫してそこに生きる日本人や現実社会を撮り続けました。(パンフレットより)
けど紹介できる資料がなにもありません。手元にあるのは入館時にもらったパンフレットと目録のみ。図録はすでに売り切れていました。なにしろ、明日が最終日という日に来たのですから。
宣伝でたびたび目にしたこの写真。

実物はF40号の大きさでしようか。縦90センチの大作です。そこまでの引き伸ばしに耐えられる撮影技術にも感嘆しますがー
目深にナース帽をかぶり、粗末なマスクをし、目元しか見えないその少女は観音様と同じ顔をしているなと思いました。その眼差しの清らかさ、美しさ。
それが従軍看護婦として出征する前の写真だと、ここへ来て解説を読んで初めて知りました。
知ってから、彼女の眼差しはわたしの中で、今も戦争の最中にあるウクライナへ、コロナ禍の最前線にいる医療関係者の姿にと重なりました。一昔前の写真ではない、普遍の価値を持つ写真だと思いました。
孫たちには少々難しかったかもしれませんが。
帰り道、朝少々の事でゴネて出発を1時間も遅らせてしまつたトラオが、反省したように「出発が遅れんかったら、もつと早く帰れた?」と聞いてきました。
遅くないよ。夏だったらまだ明るい。
そう、帰りが1時間遅れたおかげで、わたしたちは素晴らしい景色をみることができたのです。
本当なら山の中の高速道路を行くはずでしたが、食事時間優先で目的地を変更した結果、ナビは海沿いの国道378号線を案内してくれました。
ずっと西に海を眺めながらのドライブは快適で、帰りもこの道から帰ろうと決めていました。大洲市長浜町から伊予市双海町あたりまでのこの道は、夕焼けこやけラインと呼ばれています。時間もちょうど日没前。

佐田岬の先端に夕日が沈んでいくところでした。


佐田岬に並ぶ風力発電機がうっすらとみえました。

しばらく走ってもう一度車を止め

しばらく走ってもう一度車を止め


すっかり日が沈んで残照の双海シーサイド公園駐車場からまた眺めて

ここから少し走って高速道路に乗り、伊予サービスエリアでお買い物。

ここから少し走って高速道路に乗り、伊予サービスエリアでお買い物。
すっかり日が暮れて、サービスエリアからは松山市の夜景がきれいにみえました。

ね、トラちゃん、来てよかっただろ?
うーん
反抗期って言葉知らんの?ってわめいていた朝の不機嫌が嘘みたいでした。