先日車を運転していたら翼のような雲が見えました。その時は鳥のくちばしのようなものも見えたのですがどんどん形が変わって、
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写真が撮れる場所に停車した時はむしろ人間のように見えたのです。
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不意にこんな歌を思い出しました。
昔ギリシアのイカロスは
ろうで固めた鳥の羽
両手に持って飛び立った
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友として
そしてイカロスは太陽に近づきすぎて、熱でろうが溶け墜落して死んでしまいます。
だけどぼくらはイカロスの
鉄の勇気を受け継いで
明日へ向かい 飛びたった
ぼくらは強く生きていく
ゆうきひとつを友として
これが発表されたのは1975年。これは子どもたちへの応援歌なんだろうか?あの頃から違和感を持っていたけど…
おりから6月23日は沖縄の全戦没者追悼式。沖縄戦の司令官牛島中将が自決し、組織的戦闘が終結したのだそうだ。そうか、白旗あげて降伏したから終わったのではなかつたのか。
大した武器も持たず、正しい情報も知らされず、勇気だけは持てと言われて死んでいった人たち。それは、無謀にもできない事に挑んで死んだイカロスになれと言われたようなものではないのか。
今の子どもたちにはこの歌は歌わせたくないと思います。もちろん勇気は必要。だけど生き抜くためには道具も知恵も知識も情報も仲間も愛もーそれも多ければ多いほどいい。
そして鉄のように硬く強く生きるだけがすべてではない。はがねのように鋭くしなやかに、布のように柔らかく優しく、いろんな生き方があっていいと思うのです。
沖縄にある臼砲部隊の慰霊碑を父は一度行きたいといいながら、果たせず逝ったので、代わりに私が行きたいと思ってます。
イカロスの詩、あなたの言葉、思わず、沖縄で梅雨の中ぬかるみを思い砲をはこび、苦戦して、かろうじて生き残った人の手記を読んだことを思い出しました。
わたしの父も南方の島に送られていました。島の周りを敵軍の戦艦に包囲され、飢餓の中を生き抜いて、捕虜になったあと帰ってきました。それも生きるための知識や知恵を駆使したからこそです。今の時代、イカロスになれというのも、自らイカロスになるのもわたしは反対なんです。