あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

登山気分の山歩き5 消えていく痕跡   

2022-03-22 09:29:31 | 山登り・里山歩き
 杉の花粉をあびてアレルギーを引き起こしてしまったトラオ。
「もう、昭和人はぁー」ぷりぷり怒りながら山を下ります。
 おやおや、平成生まれにかかったら昭和以前は縄文人並みなんだねえ。
「こんなに木を植えるけん花粉が飛ぶんよ。」
 それはそうだけど・・・・終戦後、木材の需要を見込んでこぞって杉や檜を植えました。地域で部落山という山を共同所有していて、みんなの共有財産として木を植えたのです。自分たちのためではなく子供や孫の世代に収入を得られるようにと。木がある程度大きくなるまでは下草を刈って世話をしなければなりません。刈払い機などなかった時代、柄の長いエガマという鎌で急斜面のススキなどを刈っていくのです。弟が高校生のころ、アルバイトで下草刈に行ったりしていました。 相当な重労働だったと聞きました。 そんな話をトラオにしてやりました。トラオにとっては負の遺産としか思えないだろうけど、敗戦後、日本中が必死に平和で豊かな生活を築こうとしていた父母世代の苦労も願いも知っている私は、木を植えたことを全否定はできません。 
 
 そして、この道
 
 
 狭くて急な道だけど、なんと丁寧に造られていることか。
 山側に石を積み上げて土地を平らにし、そこに畑を作り家を建てていたらしいです。こ道は曽我部家からさらに上まで続いているそうです。
 ほどなく後から下りてきた者が追いつきました。。
 「トラオ、ばあちゃんを急かしたらいかんよ。」トラオパパはいつも気遣ってくれます。
 いやいや、あおり歩きなんかしてないよ。この道のおかげで楽々と歩けました。そしてトラオも下に降りたらかゆいのが楽になった、と機嫌がよくなりました。 
 
 みんなで厳しかったであろう山の暮らしをあれこれ想像しながら歩きました。
 学校へ通うのも、たまの買い物も、病気になったときも、この道を歩いていかなければならなかったのでしょう。 買い物に行ったら思い荷物を持って歩かなければなりません。
 郵便屋さんも運送屋さんもたいへんだねえ。歩いて家まで届けるんだろう? 今でも郵便配達員はいて、山の中に点在する民家などに歩いて届けています。
 最初にここに住み着いた人はなぜここを選んだんだろう? 解けない疑問です。
 
 下のほうに降りてくると、シキミやお茶を栽している畑がいくつもありました。この辺りでは、日本でここだけという独特の製法でお茶を作っていたそうです。それは石鎚黒茶と呼ばれ、今はふもとの地域の人々に受け継がれて産直市などでも売られています。大変体にいいお茶だそうです。

 
 そのお茶の木も放置されてつる植物に覆われているところが多くみられました。こうして徐々に徐々に人々の暮らしていた痕跡は自然の中に消えていくのでしょう。

 
 出発点まで降りてきました。そこで初めて気づいたのですが、すでに廃屋になっているこの建物は、

 
 山から下りてきた人をむかえるように立っていました。
 幅広い間口や大きな冷蔵庫から、おそらく村の暮らしを支えるお店だったのだろうと思われました。

 
 道の下を流れる川の水は透き通って



 大きな岩がごろごろ

 
 美しい渓谷の景色でした。
 
 
 記念碑が建っているのですが、字が読めません。



 
 渓谷の上に橋がかかっていて、向こうに神社が見えました。
 


 もしかして影が6つない?
 いえいえ、ちゃんと5人ですよ。
 
 
 参道に建てられた標柱。平成13年に改修工事か何かが行われたのでしょうか。
 
 すごい! ここで養蚕がされていたんだねえ。 

 
 組合があるほど養蚕が盛んだったなんて・・・・そんなに遠い昔ではないのに一度も聞いたことのない事実でした。
 
 その先にあるお宮までは行きませんでした。ただ、すがすがしく手入れされた参道に、人々が今も大切にしていることがうかがえました。途中にあった祠もそうですが、山を下りても、この村に心を残している人がいるのだろうなあと思いました。


 
 私の手元に一冊の本があります。西条市に住む写真館のご主人が、長年、消え去りつつある石鎚のふもとの集落を訪ね歩いて写真で記録した本です。
 
 


 
 
 その中に曽我部さんご夫婦のことも書かれています。ご夫婦で畑仕事をしていた時に写したというご夫婦は穏やかに笑っておられました。ブランド品だ、グルメだと次々と新しいものを追い求める現代人からすべての虚飾をはぎ取り、欲を削り取って、自然の一部として生きていたらこういういい笑顔になるのでしょうか。私はそんな生き方はとてもできないけれど、自然の中では、生きていくことそのことが尊い、こう思った日でした。
 ちなみに、その本によると、分散する集落にはモノレールが架設されていて重い荷物はそれを使って運んでいたようです。

 車に乗り込んで数分行くと石鎚小学校跡がありました。ちょっと寄ってみる?と車を止めて坂を降りようとしたら足元にまた例のものが。そして先に歩いていた娘が
 「あ! さる!」と叫びました。声に驚いたのか数匹の群れが茂みに逃げ込んでいきました。慌ててスマホを構えてようやく1匹の姿を捉えました。

 
 校舎はすでになく、運動場だったらしい広場があるだけでした。
 
 娘(今日の山歩きも)面白かったねえ。
 私 うん。だけど、あの道を登るのは、もういいかな。この辺に車で来るのはいいけど。
 娘 しんどかった?
 
   だって、サルのうんちだらけだろ?  
  そっちか~い
                                  登山気分の山歩きシリーズ 終わり
 
コメント (2)
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