と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

心根を正す

2008年11月17日 19時27分44秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 修学旅行3日目です。
 たいへん順調です。
 明日無事に帰って来ていただきたいと祈るばかりです。

 
 さて、昨日は書き込みをしませんでしたが、今朝アクセス解析をいたしましたら、やはりアクセス数がそうとうなものになって、たいへんありがたい限りであります。携帯からのアクセスも多く、事実上の進路決定の時期ですから、参考にしていただいているのだと実感しております。(これはわたくししかわかりません)

 それでこのブログに動画を載せたいと思って、勉強しているのですが、なかなか年寄りには難しい。昔の青年ですので、知識が追いつかないのです。コーデックとかなんとかとか、コンピュータはまったく素人でありますので、情けないことはなはだしいものがあります。一番ダメなのが携帯です。小さくてキーを打つ気がしない。もう新しい機器にはついていけません。新しいタレントをおぼれられないのといっしょです。しかし、昔の生徒は不思議なことに覚えていますけれども。


 それで負け惜しみではありませんが、呂新吾を読んでいたら、「たくさん知っている愚か者と、ひとつしか知らない利口」というような部分があったのです。ちょっとこれは危険性がありますが、たくさん知っているから教養人なのではないという部分に特化して味わっていただきたい文章です。原文では、「君子はその知るべきを知り、その知るべからざるを知らず」というところです。

 一つのことを極めた人は、人物です。
 あれもこれもと総花的に、なんでも知ったかぶりをするのはいかがなものか。

 自戒の意味を込めて「読んで楽しむだけという読み方はするな」ということをも呂新吾に教わりました。

 まったくそのとおりです。実践に応用してこそ本当の読書なのではないでしょうか。ただし、買うだけでもという意味での買書家であってもいいのだと思っています。量を誇るのはまだまだです。しかし、家の中にあらかじめ書籍があるのとないのとでは、これは前提条件が違ってきます。その万巻の書籍の中にある一冊の良い本は読み手の心根を正してくれるからです。生涯の伴侶ともいうべき一冊の書物を徹底的に味わいたい、そう思います。幸いなことにわたくしには見つかりましたが。

 また、呂新吾には、くだらぬ本読みになってはならない、卑小な人物になるなと教えていただいてきました。しかしです。まったく本読みすらしない、毎日を惰性で生きていて、メールと漫画しか興味がないというのでは、くだらぬ本読み以前の問題です。

 ちょっと最後は厳しかったですけれども、わたくしのこころからのお願いです。「心根を正す」読書をしていただきたいのです。大学進学あるいは就職と教養の両方、そして体力養成。そういういわゆる「知・徳・体」の全人教育をやることが本校の必然であり、教職員の願いでもあるからです。

 いい学校にしましょう。 

 また明日。
 
 


コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/