どうも寒暖の差が激しくて、体調が今一歩というところですから、今日は書き込みを中止しようかと思ったのです。しかし、考えてみれば在校生諸君への授業みたいなものにもなってきましたので、生徒に会うと書きたくなってしまいます。
さて、今日は、「高い次元の人物は、低い次元のリーダーには絶対に位置することはない」というメモを目にして、慙愧に堪えない思いをいたしました。県銚には本当にわたくしなどよりも高い次元の先生方がたくさんおられるからです。これはこれからの人生を送るための基本方針であり、自分への戒めの言葉です。
書いたのは、呂新吾という明代末期の中国の思想家で、呻吟語という書物の作者です。学校に、家に置いていつも拝読させていただいております。
そして、ちょっとノートを眺めていたら、上記のメモが書いてありました。よほど印象に残ったのでしょう。
反省の材料としてメモしたものだろうとも思いましたが、原文では「深沈厚重はこれ第一等の資格」という部分です。
深みと、厚みと、重みが無くては三流の人物にすぎない、というように解釈できますでしょうか。
で、このブログに書くために再度ノートと本をわずかな時間ですが、読み返してみました。
そうしたら、聡明才弁タイプの人間には誰もついていかないとか、将たるものは自己犠牲できなければならないとも書いてありました。ノートに。
自己犠牲とは、どれだけ全体のために尽くせるか、ということです。全体の利益を考えて判断しているかどうか。だからつまらない私的な欲得には応じないわけです。
他にもいろいろなメモがあって、本当に書きつくせないほどです。このブログに時々書いて紹介していきたいとも思っていますが。
さて、今日は、「高い次元の人物は、低い次元のリーダーには絶対に位置することはない」というメモを目にして、慙愧に堪えない思いをいたしました。県銚には本当にわたくしなどよりも高い次元の先生方がたくさんおられるからです。これはこれからの人生を送るための基本方針であり、自分への戒めの言葉です。
書いたのは、呂新吾という明代末期の中国の思想家で、呻吟語という書物の作者です。学校に、家に置いていつも拝読させていただいております。
そして、ちょっとノートを眺めていたら、上記のメモが書いてありました。よほど印象に残ったのでしょう。
反省の材料としてメモしたものだろうとも思いましたが、原文では「深沈厚重はこれ第一等の資格」という部分です。
深みと、厚みと、重みが無くては三流の人物にすぎない、というように解釈できますでしょうか。
で、このブログに書くために再度ノートと本をわずかな時間ですが、読み返してみました。
そうしたら、聡明才弁タイプの人間には誰もついていかないとか、将たるものは自己犠牲できなければならないとも書いてありました。ノートに。
自己犠牲とは、どれだけ全体のために尽くせるか、ということです。全体の利益を考えて判断しているかどうか。だからつまらない私的な欲得には応じないわけです。
他にもいろいろなメモがあって、本当に書きつくせないほどです。このブログに時々書いて紹介していきたいとも思っていますが。