受験勉強、大変だと思います。
あまり煽ってもしょうがないでしょうけれども。
世の中には、ある意図の下に、煽情的に煽りまくって話題にしている面もありますから。これについては十分警戒をしながら生きてきましたが、なかなか困難な部分もたくさんあります。わたくしの家族も、マスコミとまったく寸分違わない意見を言うことがあって、そういうのはもう止めようとわたくしのほうから言うことがあります。つまり、他人の受け売りしかできないのです。それは自分で考えたことにはならないわけです。マスコミが絶対に真理かと言うと、それはそれでいろいろな可能性があると思っていますので。
そういう話題については避けましょう。
今起きている問題、すなわち時事問題についてはなかなかこういう場所には書けないのです。そういう問題に関心がないのではありません。発言できないということです。
さて、静寂さの中で思考をめぐらせていると、いろいろな可能性が見えてきます。
わたくしの場合は学校の来季の構想であったりします。
そして、そういう静寂な場所で、思いをめぐらせてから、やおらコンピュータで処理を始めます。構想にいいのは、マインドマップ法と言われるソフト(フリーのソフト)でまとめたり、アクセスというデータベースソフトでまとめたりします。
入力しながら考えるわけです。
その際も、利己心を捨てます。あくまで公共の立場で考えていきます。
世間には自分のことしか考えない人もなかなか多く、いつからこんな風になってしまったのかと慨嘆しているのですが。詳細はここで書くわけにはいきません。
しかし、これだけは言えます。
利己心から全てを見るのは、次元が低くなる可能性がある、と。
勉強しましょう。
勉強しなくちゃなんにもわかりません。
さっきまで、理性という言葉の概念規定を考えていました。いろいろと昨夜読んでいまして、迷路にはまってしまいました。ちょっと考え方が違うと、まったく別の文章になっていたものですから。
カントと別の学者の文庫のノートをちらちら眺めながら。
まったく違う考え方に慄然となりました。
と、ここまで書いてきて、何を書いているのかご理解いただけないかもしれないと気がつきました。(笑)
言いたいことは、知らないことが多いなぁと慨嘆していました、ということだけなのです。
もう60近いのに、なんたることだと。言葉一つ一つの概念規定すらできないまま齢を重ねてきてしまったのだということです。
ほんとうに知らないことが多く、恥の多い一生だったと思います。でも、これから取り返していきます。
いのちの続く限り。
そういう意味ではわたくしもまた老いたる高校受験生なのかもしれません。
では・・・・・
あまり煽ってもしょうがないでしょうけれども。
世の中には、ある意図の下に、煽情的に煽りまくって話題にしている面もありますから。これについては十分警戒をしながら生きてきましたが、なかなか困難な部分もたくさんあります。わたくしの家族も、マスコミとまったく寸分違わない意見を言うことがあって、そういうのはもう止めようとわたくしのほうから言うことがあります。つまり、他人の受け売りしかできないのです。それは自分で考えたことにはならないわけです。マスコミが絶対に真理かと言うと、それはそれでいろいろな可能性があると思っていますので。
そういう話題については避けましょう。
今起きている問題、すなわち時事問題についてはなかなかこういう場所には書けないのです。そういう問題に関心がないのではありません。発言できないということです。
さて、静寂さの中で思考をめぐらせていると、いろいろな可能性が見えてきます。
わたくしの場合は学校の来季の構想であったりします。
そして、そういう静寂な場所で、思いをめぐらせてから、やおらコンピュータで処理を始めます。構想にいいのは、マインドマップ法と言われるソフト(フリーのソフト)でまとめたり、アクセスというデータベースソフトでまとめたりします。
入力しながら考えるわけです。
その際も、利己心を捨てます。あくまで公共の立場で考えていきます。
世間には自分のことしか考えない人もなかなか多く、いつからこんな風になってしまったのかと慨嘆しているのですが。詳細はここで書くわけにはいきません。
しかし、これだけは言えます。
利己心から全てを見るのは、次元が低くなる可能性がある、と。
勉強しましょう。
勉強しなくちゃなんにもわかりません。
さっきまで、理性という言葉の概念規定を考えていました。いろいろと昨夜読んでいまして、迷路にはまってしまいました。ちょっと考え方が違うと、まったく別の文章になっていたものですから。
カントと別の学者の文庫のノートをちらちら眺めながら。
まったく違う考え方に慄然となりました。
と、ここまで書いてきて、何を書いているのかご理解いただけないかもしれないと気がつきました。(笑)
言いたいことは、知らないことが多いなぁと慨嘆していました、ということだけなのです。
もう60近いのに、なんたることだと。言葉一つ一つの概念規定すらできないまま齢を重ねてきてしまったのだということです。
ほんとうに知らないことが多く、恥の多い一生だったと思います。でも、これから取り返していきます。
いのちの続く限り。
そういう意味ではわたくしもまた老いたる高校受験生なのかもしれません。
では・・・・・