昨日の千葉科学大学の橋本先生からの講義をいただいてから、いろいろ思うことがありました。それは匿名性ということでした。このブログは学校を知っていただくという部分がかなりあって、それ故にこそなかなか困難な面があります。つまり自己規制をかけないと、暴走してしまいます。
つまりありきたりのことしか扱えないわけです。表面的と言ってもいいでしょうか。仕方の無いことですが。
だからつまらんのだと言われそうです。それはわたくしに文才がないからと、平にご容赦を。
しかし、これがいったん匿名という仮面をかぶると危険になります。なんでもありの世界になってしまいます。電話のやりとりまで、インターネットに公開できてしまいます。映像もデジタルになるから余計心配の種は尽きない。
だから読書案内的な記事を多用して逃避しているのだと言われそうです。確かに、読書記録的につれづれを書いていればいくらでも書けます。それがわたくしの生業ですから。蔵書を紹介していればそれでおしまいになってしまいます。それもまた読書案内としてはいいのでしょうけれども。生徒対象であるかぎりは。
あたらずさわらず、ということなのでしょうね、自嘲的に言えば。
しかし、それもまた教育関係者としての大きな役割なのかもしれません。その役割の本質が他の役割を担っておられる方々と違っているということなのでしょう。これも命題と結論の関係で思索していけば腑に落ちます。
とりとめもないことを書きました。
今日から二年生は通常登校です。
何事もなく粛々と学校生活は展開されて行きます。
こちらは匿名性、ゼロです。当たり前ですが。
また、明日。
つまりありきたりのことしか扱えないわけです。表面的と言ってもいいでしょうか。仕方の無いことですが。
だからつまらんのだと言われそうです。それはわたくしに文才がないからと、平にご容赦を。
しかし、これがいったん匿名という仮面をかぶると危険になります。なんでもありの世界になってしまいます。電話のやりとりまで、インターネットに公開できてしまいます。映像もデジタルになるから余計心配の種は尽きない。
だから読書案内的な記事を多用して逃避しているのだと言われそうです。確かに、読書記録的につれづれを書いていればいくらでも書けます。それがわたくしの生業ですから。蔵書を紹介していればそれでおしまいになってしまいます。それもまた読書案内としてはいいのでしょうけれども。生徒対象であるかぎりは。
あたらずさわらず、ということなのでしょうね、自嘲的に言えば。
しかし、それもまた教育関係者としての大きな役割なのかもしれません。その役割の本質が他の役割を担っておられる方々と違っているということなのでしょう。これも命題と結論の関係で思索していけば腑に落ちます。
とりとめもないことを書きました。
今日から二年生は通常登校です。
何事もなく粛々と学校生活は展開されて行きます。
こちらは匿名性、ゼロです。当たり前ですが。
また、明日。