今日は終業式です。
と、言ってもこの記事は予約投稿ですから時間になりますと、終業式当日の朝にこのBLOGに掲載されるという案配になっています。
今日はこの記事の通りにやるかどうかはわかりません。簡単なメモを作ってノー原稿でやりたいと思っています。それと成績についてももうちょっと励ましたいというのもありますから。
諸君たちはあまり聞きたくないでしょうけれども。
艱難について
今年もあと少しです。一年前の年末は何をしていましたか。覚えていますか。時間の経つのは早いものです。
さて、艱難は人を早く老いせしむとか、艱難汝を玉にすとか言われています。「苦」のことです。苦労とかいろいろな場面でこれは使われています。年末になってなぜそんなことを言うのかというと、今年もまたいろいろな災害があったからです。災害に遭われた方には、本当にこころからのお見舞いと励ましを申し上げたいと思います。
年末が過ぎて新年を迎えると人は年をとります。しかし、苦労の多い分だけ余計に年をとるとも言われています。誰だって余計な苦労はしたくありませんが、その苦労が人格的な深みになっている方もおられます。そういう方々との対話を楽しみにして生きている部分もわたくしにはあります。
同じ十七歳でも苦労した人の年齢は高いと思います。生きていく限り苦労はつきものだし、むしろ早く経験しただけ人格的な中身を充実させることができたのだと思うこともまた大切なことです。
思うようにならないから苦しいわけです。老いることも自分の自由にはできません。病気にもなりたくてなるわけではありません。
思うようにならないことはもっとたくさんあるわけです。
会いたくない人と会わなくてはならないとか、誰もこんなことには出くわしたくないということ、災難もそうです。試合で負けることもそうです。誰だって負けるためにトレーニングをしているわけではありません。試験の成績だって思うようにならないことかもしれません。原因がはっきりしていれば、努力するとか、ノートの取り方を工夫するとか対処法はいくらでもあるわけです。
つまり、こういった思うとおりにならないものとしての「苦」に遭遇した場合にどう対応するかということが、諸君達の人生を決定すると思っているのです。
人生は苦の連続でもあり、そこから逃避をして、楽な方に楽な方にと生きているとどうなるのか。場当たり的な、なんの考えもない一生になりはしないのかなと思っています。
何もしない楽な生き方、逃避的に生きていっても、人間は最期は全員平等です。金持ちもなにもないわけです。全員平等な運命が待っています。逃れられないわけです、絶対に。
どこかの哲学にここから逃れられるというものを見つけ出したいのですが、懶惰なわたくしの読書体験では今までありませんでした。おそらく不可能でしょう。第一医学的に無理というものです。不老不死の薬でも発明されれば別ですが。
ここにいる皆さんは、将来社会を担っていく方々ばかりです。そうなっていただきたいし、それがわたくしの期待でもあります。能力も十分ある。
だからこそ、現在学校の授業や、学校行事、部活動等々で経験していることをしっかり受け止め、努力精進していただきたいと思います。その努力精進の根底に是非とも持っていただきたいのが、「志」です。自分の力を自分のためだけに使うのではなく、社会のために、地域のために使うことです。しかもそっと人知れず使うことです。自己宣伝のためにではなく、です。「陰徳」とも言います。それを身につけた人格的存在になっていただきたい、そういう社会のリーダーになっていただきたいとこころから思います。
最後に、通知票が配られた人で、成績の悪かった人は、さっそく今日からでも具体的な対応策を考え、実行していただきたいと思います。躓いたり、失敗したときの立ち直り方を学び、訓練して得たものの方が貴重な体験となります。
吉田松陰は、松下村塾で「勉強なさりませ」と生徒達を励ましたそうですが、わたくしも言いたい。
「努めなさりませ」「励みなさりませ」と。
(平成二十年 二学期終業式 外山日出男)
下の映像は当日の終業式の様子です。
礼のしかたなどまだまだ課題の多いことがよくわかりました。
それとわたくしの悪声。
こちらもまだまだ改善の余地あり、であります。
保護者の方々に特に見ていただければと思いました。
20081222終業式
と、言ってもこの記事は予約投稿ですから時間になりますと、終業式当日の朝にこのBLOGに掲載されるという案配になっています。
今日はこの記事の通りにやるかどうかはわかりません。簡単なメモを作ってノー原稿でやりたいと思っています。それと成績についてももうちょっと励ましたいというのもありますから。
諸君たちはあまり聞きたくないでしょうけれども。
艱難について
今年もあと少しです。一年前の年末は何をしていましたか。覚えていますか。時間の経つのは早いものです。
さて、艱難は人を早く老いせしむとか、艱難汝を玉にすとか言われています。「苦」のことです。苦労とかいろいろな場面でこれは使われています。年末になってなぜそんなことを言うのかというと、今年もまたいろいろな災害があったからです。災害に遭われた方には、本当にこころからのお見舞いと励ましを申し上げたいと思います。
年末が過ぎて新年を迎えると人は年をとります。しかし、苦労の多い分だけ余計に年をとるとも言われています。誰だって余計な苦労はしたくありませんが、その苦労が人格的な深みになっている方もおられます。そういう方々との対話を楽しみにして生きている部分もわたくしにはあります。
同じ十七歳でも苦労した人の年齢は高いと思います。生きていく限り苦労はつきものだし、むしろ早く経験しただけ人格的な中身を充実させることができたのだと思うこともまた大切なことです。
思うようにならないから苦しいわけです。老いることも自分の自由にはできません。病気にもなりたくてなるわけではありません。
思うようにならないことはもっとたくさんあるわけです。
会いたくない人と会わなくてはならないとか、誰もこんなことには出くわしたくないということ、災難もそうです。試合で負けることもそうです。誰だって負けるためにトレーニングをしているわけではありません。試験の成績だって思うようにならないことかもしれません。原因がはっきりしていれば、努力するとか、ノートの取り方を工夫するとか対処法はいくらでもあるわけです。
つまり、こういった思うとおりにならないものとしての「苦」に遭遇した場合にどう対応するかということが、諸君達の人生を決定すると思っているのです。
人生は苦の連続でもあり、そこから逃避をして、楽な方に楽な方にと生きているとどうなるのか。場当たり的な、なんの考えもない一生になりはしないのかなと思っています。
何もしない楽な生き方、逃避的に生きていっても、人間は最期は全員平等です。金持ちもなにもないわけです。全員平等な運命が待っています。逃れられないわけです、絶対に。
どこかの哲学にここから逃れられるというものを見つけ出したいのですが、懶惰なわたくしの読書体験では今までありませんでした。おそらく不可能でしょう。第一医学的に無理というものです。不老不死の薬でも発明されれば別ですが。
ここにいる皆さんは、将来社会を担っていく方々ばかりです。そうなっていただきたいし、それがわたくしの期待でもあります。能力も十分ある。
だからこそ、現在学校の授業や、学校行事、部活動等々で経験していることをしっかり受け止め、努力精進していただきたいと思います。その努力精進の根底に是非とも持っていただきたいのが、「志」です。自分の力を自分のためだけに使うのではなく、社会のために、地域のために使うことです。しかもそっと人知れず使うことです。自己宣伝のためにではなく、です。「陰徳」とも言います。それを身につけた人格的存在になっていただきたい、そういう社会のリーダーになっていただきたいとこころから思います。
最後に、通知票が配られた人で、成績の悪かった人は、さっそく今日からでも具体的な対応策を考え、実行していただきたいと思います。躓いたり、失敗したときの立ち直り方を学び、訓練して得たものの方が貴重な体験となります。
吉田松陰は、松下村塾で「勉強なさりませ」と生徒達を励ましたそうですが、わたくしも言いたい。
「努めなさりませ」「励みなさりませ」と。
(平成二十年 二学期終業式 外山日出男)
下の映像は当日の終業式の様子です。
礼のしかたなどまだまだ課題の多いことがよくわかりました。
それとわたくしの悪声。
こちらもまだまだ改善の余地あり、であります。
保護者の方々に特に見ていただければと思いました。
20081222終業式