鏡を持って
新年あけましておめでとうございます。
どのような生活をしていましたか。勉強、部活、趣味等々いくつも選択肢はあったと思います。なかにはおもちの食べ過ぎでという人もいるかもしれません。それも今日からは学校中心の生活に戻してください。
さて、年末にわたくしは幕張のホテルに宿泊しながら職免をとって人間Dockを受けておりました。周囲はクリスマスの喧噪の中で、持参した数冊の書籍を読んでおりました。
考えたことは周囲の方々への「感謝」ということでした。県立銚子の先生方にも、むろん諸君達にも。家族にもです。
持参した書籍の中に和辻哲郎博士の「人間の学としての倫理学」があって、ふとあるページに目が止まりました。そこには、倫理の「倫」とは、仲間。「理」とはことわり。倫理とは、人間共同態の存在根柢としての秩序とありました。さらに、孟子の引用をしながら、人倫を教えるとは、父子有親・君臣有義・夫婦有別・長幼有序・朋友有信を教えることとあったわけです。特に感心したのが、親子の間にあっても「仁」(親愛)が、夫婦の間にあっても「礼」、長幼の間にあっても「智」が大切であるという点でありました。ちょっと難しくなりましたが、つまり倫理学とは人間関係を扱うものだということをここでは把握してください。
そして、人間関係があって、自分があり、他人があるということなのです。当たり前のようなことですが、自己を確立し、自己が他人との関係で存在するということを心から感謝と共に受け取っていただきたいということです。
ともすると俺が俺がと自分のことばかり目が行って、他人のことなど眼中にないということが起きかねません。自分さえ勝てばよいとか、そういうことです。相手への敬意がない。そういう人が多くなってきました。大人も含めてです。あるいはわたくしも人のことは言えないでありましょう。どこかで人の心を傷つけ、平然としているのかもしれませんから。
そういうことに気がつかないということなのでしょう。これは普段から注意していないとわからないことであります。ですから、平常の生活態度のあり方が重要になります。
これは学校生活だけでできることではありません。家庭でも、道を歩いていても心がけないとできないことであります。
しかしそれではしょうがありませんから、学校生活に絞って考えてみると、恥じない生き方ということになるでしょうか。たとえば、持っている飲料のカンをぽいと捨てるとか、お年寄りに邪険にするとか、たばこを吸うとか、いろいろな場面設定ができます。そういう恥ずべき行動は誰かが見ています。地面の上で見ていなくても、空があいています。太陽が、お月様が見ています。曇っていても雲の隙間から見ています。
つまり自己の心に恥じない生き方をしていただきたいと思うのです。できれば自己の心を映す鏡を一個各自の精神の中に持っていただきたい。
これから、進級、卒業に向けていろいろな試験があります。どうか、一生懸命に絶対に怠けず勉強していただきたい。全員進級、卒業できるように。
終業式でも言いました。
明治の元勲達を育てた吉田松陰は、塾に通ってくる生徒たちに「勉強なさりませ」と。今回もまた同じことを申し上げたい。
「努めなさりませ」
「励みなさりませ」と。
今年がみなさんにとってよい年でありますことを、祈念して始業式の挨拶とさせていただきます。
(平成二十一年 三学期始業式レジュメ 外山日出男)
新年あけましておめでとうございます。
どのような生活をしていましたか。勉強、部活、趣味等々いくつも選択肢はあったと思います。なかにはおもちの食べ過ぎでという人もいるかもしれません。それも今日からは学校中心の生活に戻してください。
さて、年末にわたくしは幕張のホテルに宿泊しながら職免をとって人間Dockを受けておりました。周囲はクリスマスの喧噪の中で、持参した数冊の書籍を読んでおりました。
考えたことは周囲の方々への「感謝」ということでした。県立銚子の先生方にも、むろん諸君達にも。家族にもです。
持参した書籍の中に和辻哲郎博士の「人間の学としての倫理学」があって、ふとあるページに目が止まりました。そこには、倫理の「倫」とは、仲間。「理」とはことわり。倫理とは、人間共同態の存在根柢としての秩序とありました。さらに、孟子の引用をしながら、人倫を教えるとは、父子有親・君臣有義・夫婦有別・長幼有序・朋友有信を教えることとあったわけです。特に感心したのが、親子の間にあっても「仁」(親愛)が、夫婦の間にあっても「礼」、長幼の間にあっても「智」が大切であるという点でありました。ちょっと難しくなりましたが、つまり倫理学とは人間関係を扱うものだということをここでは把握してください。
そして、人間関係があって、自分があり、他人があるということなのです。当たり前のようなことですが、自己を確立し、自己が他人との関係で存在するということを心から感謝と共に受け取っていただきたいということです。
ともすると俺が俺がと自分のことばかり目が行って、他人のことなど眼中にないということが起きかねません。自分さえ勝てばよいとか、そういうことです。相手への敬意がない。そういう人が多くなってきました。大人も含めてです。あるいはわたくしも人のことは言えないでありましょう。どこかで人の心を傷つけ、平然としているのかもしれませんから。
そういうことに気がつかないということなのでしょう。これは普段から注意していないとわからないことであります。ですから、平常の生活態度のあり方が重要になります。
これは学校生活だけでできることではありません。家庭でも、道を歩いていても心がけないとできないことであります。
しかしそれではしょうがありませんから、学校生活に絞って考えてみると、恥じない生き方ということになるでしょうか。たとえば、持っている飲料のカンをぽいと捨てるとか、お年寄りに邪険にするとか、たばこを吸うとか、いろいろな場面設定ができます。そういう恥ずべき行動は誰かが見ています。地面の上で見ていなくても、空があいています。太陽が、お月様が見ています。曇っていても雲の隙間から見ています。
つまり自己の心に恥じない生き方をしていただきたいと思うのです。できれば自己の心を映す鏡を一個各自の精神の中に持っていただきたい。
これから、進級、卒業に向けていろいろな試験があります。どうか、一生懸命に絶対に怠けず勉強していただきたい。全員進級、卒業できるように。
終業式でも言いました。
明治の元勲達を育てた吉田松陰は、塾に通ってくる生徒たちに「勉強なさりませ」と。今回もまた同じことを申し上げたい。
「努めなさりませ」
「励みなさりませ」と。
今年がみなさんにとってよい年でありますことを、祈念して始業式の挨拶とさせていただきます。
(平成二十一年 三学期始業式レジュメ 外山日出男)