ブーバーという哲学者の書いた「我と汝」という名著があります。
ずっと書きたくてたまりませんでした。
しかし、わたくしの理解度が・・・・というわけでしたから、なかなか書く機会を失っていました。
思えば、TBSテレビでやっていた漫画日本昔話という番組があって、その男性声優をやっていらした常田富士雄氏が30年近く前にこの地に来られて、わたくしは市教委の職員をやっていたものですからいろいろ雑用をやっていたのです。そして、講演をいただいて、講演の後に当時の市の教育長が御礼を申し上げながら、「愛読書は?」とお尋ねいたしたわけです。
その時に、あの独特の優しい風貌の常田先生が、ぼそっと「ブーバーの我と汝」と言われたのでした。
全員がメモをしたのを映像として記憶しております。
なかなか手に入らない岩波文庫でした。しかも神田まで行ってようやく手にした貴重な文庫。今は、それなりの値段で入手できますが。
当時わたくしはそれを持っておったのです。
しかし、恥ずかしながら、ブーバーの思想はまったく理解できませんでした。
歯が立たないというのが正直なところでした。
で、今日、千葉市に出張でしたので、その文庫を持って電車に乗っていたのです。退屈しのぎに読んでおりました。
そしたら驚くことに、太陽がさすように、わたくしの目に文章が飛び込んでくるではありませんか。
なんと、30年近く呻吟していた文章がすっとこころに入ってくる。
なんということでしょうか。
齢を重ねなくてはわからないことが現実に起きてきました。
我と、汝の間に関係性がある、しかもそれは愛だということをしかと理解出来たのです。関係性の障害こそが、最も問題となるのだということが。つまり、自分の内側に愛があるとかそういうのではなく、我と相手の間にあるということがすんなりと理解できたのです。だから、理念としての愛は理解できても、わかったソバから行動面で違っていたわけです。ボランティアの方の活躍に感動しても、それを離れると忘れてしまうとか、そういうことの繰り返しであったわけです。
ブーバーも言っておりますが、我と汝よりも、我とソレという自分とモノとしての関係性というものはちょっといけない。人をモノ扱いして、利害関係が終わるとその人間関係は終わりでは、孤独になってしまいます。そういう人は多いけれども。親子関係でも、利害で釣る人もいる。成績が上がれば愛してやるというような具合に。それではどうかというワケです。
他にもいろいろ理解できたのです。なぜ戦争が起きるのかとか、人間というのはなぜ憎しみをいだきがちになるのかとか。
まだまだ尽きせぬ部分がたくさんあって、これから何度も繰り返し読むしかありません。一部しか理解できていませんし。楽しみのひとつです。
しかし、非常に嬉しかったのです。
ずっと抱えていた課題でした。
さっそく、豆ノートにメモをしました。
これは二冊目、三冊目のメタノートになるのでしょうけれども。
このブーバーという人のことはこれからも思い出したら、ここにカキコしていきたいことの一つです。
学校に朝しかおりませんでしたので、ちょっと寂しい気分でおりました。
これこそまさに我と汝の関係なのかなと思いました。
ずっと書きたくてたまりませんでした。
しかし、わたくしの理解度が・・・・というわけでしたから、なかなか書く機会を失っていました。
思えば、TBSテレビでやっていた漫画日本昔話という番組があって、その男性声優をやっていらした常田富士雄氏が30年近く前にこの地に来られて、わたくしは市教委の職員をやっていたものですからいろいろ雑用をやっていたのです。そして、講演をいただいて、講演の後に当時の市の教育長が御礼を申し上げながら、「愛読書は?」とお尋ねいたしたわけです。
その時に、あの独特の優しい風貌の常田先生が、ぼそっと「ブーバーの我と汝」と言われたのでした。
全員がメモをしたのを映像として記憶しております。
なかなか手に入らない岩波文庫でした。しかも神田まで行ってようやく手にした貴重な文庫。今は、それなりの値段で入手できますが。
当時わたくしはそれを持っておったのです。
しかし、恥ずかしながら、ブーバーの思想はまったく理解できませんでした。
歯が立たないというのが正直なところでした。
で、今日、千葉市に出張でしたので、その文庫を持って電車に乗っていたのです。退屈しのぎに読んでおりました。
そしたら驚くことに、太陽がさすように、わたくしの目に文章が飛び込んでくるではありませんか。
なんと、30年近く呻吟していた文章がすっとこころに入ってくる。
なんということでしょうか。
齢を重ねなくてはわからないことが現実に起きてきました。
我と、汝の間に関係性がある、しかもそれは愛だということをしかと理解出来たのです。関係性の障害こそが、最も問題となるのだということが。つまり、自分の内側に愛があるとかそういうのではなく、我と相手の間にあるということがすんなりと理解できたのです。だから、理念としての愛は理解できても、わかったソバから行動面で違っていたわけです。ボランティアの方の活躍に感動しても、それを離れると忘れてしまうとか、そういうことの繰り返しであったわけです。
ブーバーも言っておりますが、我と汝よりも、我とソレという自分とモノとしての関係性というものはちょっといけない。人をモノ扱いして、利害関係が終わるとその人間関係は終わりでは、孤独になってしまいます。そういう人は多いけれども。親子関係でも、利害で釣る人もいる。成績が上がれば愛してやるというような具合に。それではどうかというワケです。
他にもいろいろ理解できたのです。なぜ戦争が起きるのかとか、人間というのはなぜ憎しみをいだきがちになるのかとか。
まだまだ尽きせぬ部分がたくさんあって、これから何度も繰り返し読むしかありません。一部しか理解できていませんし。楽しみのひとつです。
しかし、非常に嬉しかったのです。
ずっと抱えていた課題でした。
さっそく、豆ノートにメモをしました。
これは二冊目、三冊目のメタノートになるのでしょうけれども。
このブーバーという人のことはこれからも思い出したら、ここにカキコしていきたいことの一つです。
学校に朝しかおりませんでしたので、ちょっと寂しい気分でおりました。
これこそまさに我と汝の関係なのかなと思いました。