と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

伝統への挑戦

2009年01月09日 23時20分58秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 わたくしは、伝統への挑戦ということが好きです。

 つまり今まであった伝統的な歴史的遺産を高めることなくその地点に安住していると、ろくなことはないと思っておるのです。中国の古代歴史もそうです。春秋戦国時代のおもしろさはたまりません。興る国有り、滅びる国あり。人心の動きも実にめまぐるしい。もっとも、宮城谷昌光先生の小説で仕入れた程度の知識です。原典すべてにあたったわけではありません。知ったかぶるのもこれくらいにしましょう。

 また、江戸から明治への維新もそうです。伝統にあぐらをかいていると寝首を掻かれると思っています。

 県銚は伝統への挑戦をしている学校です。
 共学化したということは、100年になんなんとする歴史と文化、先輩の方々の構築された価値をさらに高めるために新たな出発をしたということです。

 大学だってそうでしょう。
 大学と言ったって、明治維新からの大学なのです、殆どが。

 まだまだ新しいわけです。

 制度というのは永遠に続くというのではありません。
 どこかで打ち切りになってしまう可能性もあります。
 所詮人間の作ったものですから。

 クルマだってそうです。経済状況に左右される。この間のガソリン高騰で、なんだかいろいろ危うい状況がありました。心配しているのですが。つまりクルマだって永遠に続くモノではあり得ません。

 また、インターネットの影響で、活字媒体の存在意義が真剣に言われています。こんな時代が来るとは思ってもみませんでした。活字媒体は永遠だと思っていました。なんだかそれも危うい状況です。

 かく言うわたくしも校長室にあるのは電子情報としての文書が多いのです。通知文とかの活字媒体は、殆どPDFというもので処理しています。ですから、分厚いファイルがまったくありません。そのスペースは書籍が占めています。

 講義・講演もICレコーダーで処理しています。テキストファイルに変換もしてくれます。アイディアもそうです。

 しかし、一次情報としての読書から得た情報は手書きノートです。頭に入る度合いがちがいます。

 そんなことよりもこの変貌するわが県銚に入学していただいた在校生たちに敬意を表したいと思います。

 価値創造を、伝統形成を自らやってのけようと思って入学してきた在校生にこころから感謝しています。ある意味、勝負ですから。

 明治維新を挟んで、いろいろな大学が生まれた時に、同じような伝統への挑戦をしていたのが、現在の大学を形成しているのだと思います。顕著な例が私学の雄と言われる大学群です。伝統は、在学する学生たちで作り上げてきたわけです。すばらしいことです。

 県銚でもそれが行われています。歴史と伝統を、「今」作っているわけです。

 こういう学校に学べることは、実に楽しいことだと思います。自分たちが、今この瞬間にこれからの県銚の伝統を作りあげることができるのですから。こんなに生き甲斐のある話はありません。

 一緒に作りませんか、県銚の歴史と伝統を。



 
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わだち

2009年01月09日 22時00分06秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 生徒会で出している文集に何か書いてほしいと言われました。
 文集の名前は「轍(わだち)」であります。

 このブログでは丁寧な文体で書いているつもりですが、時には勇ましい文章もいいだろうと思って、励ましのつもりでさきほど常体で書きあげました。文集の方は卒業時期に出版するのだそうです。

 轍というのは普通は車の通った後にできるものです。
 それが常識でしょう。後ろを振り返れば、二本のラインが出来ているってわけです。
 
 わたくしは、それを逆転させて、どの道に轍をつけるか前を向いて、その道を見つけて、大いに努力して、一番いい道を探してほしいとやってしまいました。ひたすら前を見続けたいのです。過去は振り返りません。主義として。もう過ぎ去ったことをぐちゃぐちゃ言っていても何も生産性がありません。それよりもこれからどうするかです。自分の可能性を見つけることです。

 それが自分を知ることであり、そのために勉強しているんですよというわけです。本当はこれが一番難しい。ソクラテスも言ったように。
 
 しかしながら、ドンドン鳴らすラッパのように勇ましく生徒たちを激励したいというのが一方にありますから。勇ましいのが本当は好きなんです。「気合だぁ」とおっしゃっている元プロレスラーの方の試合も見にいっていたくらいですから。それと、グレーシー柔術も見に行きました。
(^0^)/

 話はさておき、流行に乗り遅れないとか、悪いこともしなければ、良いこともしない。人のため、世の中のためになることもまったくしたくない。考えていることは、自分のことばかりというのでは仕方ないと思うのです。

 なぜ横並びばかり考えてしまうのかとも慨嘆しているのです。

 もっともっと個性を磨いて、自分の言葉で語ることができるようなそんな大人になってほしいなぁと心から思っておるのです。

 そしてその奥底には計算もできる、成熟した大人の対応もできる人物になってほしいと思う部分もあるのです。

 いろいろなことができる高校時代を大切にしていただきたいと、思っています。

 チャレンジです。
 
 なんでもやってみようということです。

 ではまた明日。
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/