と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

善根を持っている生徒

2009年01月30日 05時28分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日、学校のすぐ近くにお住まいの方から下記のような投稿メールをいただきました。
 謹んでご紹介申し上げます。
 (昨日の記事「チェンジ」のComment欄に掲載してあります)

>先日お返事どうもありがとうございました。
>今日家の子供に県立銚子高校の女の生徒さんが小さな時に読んでた絵本やおもちゃをくれました。

>すごく優しい高校生ですね家の子供は大喜びでした。
>県立銚子高校は女子校の時よりだいぶ変わりましたね


 ありがたい限りです。
 ほんとうにありがたい限りです。

 このような善根を持っている生徒がおることに。
 感動しました。

 そして、それをあたたかく見守ってくださっておられる地域の方々。
 
 メールをくださった方にも、当該の生徒にも共通の人間観があるような気がしてなりません。

 それは人間を善と見るという感性です。
 もう一つは、おさなごへの慈愛です。
 非常に大切なことであると思っております。

 当該生徒の保護者にも思いを致しました。
 家庭教育が、しつけが本当に素晴らしいのだろうと思ったのです。
 言葉の教育も素晴らしいのだろうなぁ、夕食の団らんでは、隣の悪口など出ないのだろうなぁとかとも。
 どのようなご家庭なのでしょう。

 保護者の方も、かなりの見識の方とお見受けいたしました。
 この親にしてこの子あり、であります。

 わたくしも自省させていただきました。
 もう成人してしまいましたから、慚愧の思いであります。

 親の人物の程度が、子に映るのです。
 鏡のようなものです。
 神社に行くと、奥殿にはたいてい銅鏡があります。あれは我が身を映しているわけです。親子関係のようなものだとずっと思ってきました。子どもに小言を言ったら、それはそっくりそのまま自分に返ってくるわけです。鏡とはそういうことです。
 あまり、そういう場所に行くこともありませんが。歴史的建造物以外は。
 宗教的なことは書いてはなりませんので、これくらいにしておきます。



 生徒の無償の行為をこのままそっとしておきたいと思います。
 誰だって、他人に知られるために、計算尽くで善行をする人はおりません。
 人の目につくところでこれ見よがしに、ということではないですし。
 当該生徒の気持ちを大切にして上げたいと思います。

 逆だったら、違って参ります。
 世間にはそういう方もおられます。
 皮肉、嘲笑、欠点しか見ないとか。
 それもいいでしょう。
 真理ならばです。
 
 時事問題に発展しそうですからこれくらいにしますが、なかなか良いことは人間話の種にはいたしません。

 悪口を好むのが良い例ですよね。
 他人の悪口を言ってるソバから、今度は自分はどんな悪口を言われているかを気にする人もかなり多い。



 今回の例は、生き方教育として実にいいと考えました。

 学習指導要領が改訂されて、文科省は高校にも道徳教育をと考えています。
 生き方教育として、いろいろな場面で展開が可能です。
 小中学校と違って、特設道徳教育の時間が高校にはありません。
 かつて、そちらの世界でその展開方法を研究させていただき、研究紀要を書かせていただき、京都で全国発表・・・・とかを経験させていただきました。
 若気の至り。

 しかし、そんな手練手管ではないもの、つまり根本にある人間観というものをもっと問題にしていかなくてはならんと思った次第です。

 また明日。 


 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

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