今日は保健の授業を拝見させていただいておりました。交通安全の授業でありました。なかなかの授業で、生徒たちは幸せだなぁと思いつつ教室を後にいたしました。
保健の授業だから思ったことなのかもしれません。人間発達ということについて、最近はいろいろな雑書を漁っていますから。
生徒たちを見ていると、まったく多様な発達課題を持っているのだなぁと感じています。それは人それぞれであり、一般化することのできない課題でありましょう。
しかしながら、そうしたことについて、細々でも勉強をしていかないといかんと思って教員生活を送ってまいりました。なかなか困難なことでありました。個人としては、わたくしのような者でも、親として存続させていただいてきました。家族を持ったから、子どもができたから、一人前の大人になったつもりでおりました。ところが、それぞれの時期、時代において未熟なわたくしには、多くの発達課題がたくさんありました。子どもができてからは、幼児期の時代、小学生の時代、中学生の時代、高校生の時代、大学生の時代と時間が進むにつれ、わたくし自身の懶惰な親としての発達課題が違ってきたからです。このように一生を俯瞰するのはあまり好みませんが、教育に携わってきた以上避けてはならない問題でありました。
最近は、親の発達課題ということで、資料を読み込んでおります。親自身も成長し、発達するということを教えていただきましたから。実に便利な時代になりました。一級の資料がインターネットで入手可能になっています。だめなら、インターネットで書名を指定して購入可能です。古本まで手に入ります。
現在、子どもの養育期間は、約25年と言われ、子どもの誕生時に20代、30代、40代であった親も、子どもが自立する時期には50代以上になっています。そして、生物学的にも、社会的にも、心理的にも、家族発達の側面からも変化を経験してきます。
最初に訪れるのが体力の衰え。若さと衰えと、経験するようになります。
さらに、先が見え始めます。人生を振り返る時期にもなります。
親としての役割も子どもの成長にしたがって、変化せざるを得ません。青年期の子どもは親離れをしようともがきます。しかしながら、それを見守りつつ、親は子どもにとっての保護と安定した避難場所となる心理的なよりどころにもならねばなりません。
そうして、親は役割を完遂していくことになっていくわけです。完遂は、また失っていくことでもあります。これからのわたくしは職業的にも、家族内の役割関係においても、あるいは社会的にも役割喪失期に入ってまいります。それでも、学習をして発達をしていかなくてはなりません。人生の終わり方も学習しなくてはなりません。ある意味、楽しい時期になるかもしれませんが。おそらくは、いろいろな場所に出かけて、いろいろな方々に教えを乞い、勉強をさせていただくのだろうと勝手に想像しております。安住はありませぬ。
これを逆算していったらどうなるのでしょう?親になる前、親になった時、親になってから。いろいろな時期にそれぞれの発達課題が存在いたします。いつまでも一人前にはなれないのであります。
現在のわたくしの最も興味ある分野であります。退職したら、こういう面をもっと追求してみたいと思います。親として、どういうふうに自分は発達してきたのだろうと思うからであります。時には、基本的な生活習慣を身につけているかという自問自答で、まことに情けない思いをいたしましたし。また、古今東西のあらゆる書物を読んだわけでもありません。まだまだ喜怒哀楽が激しい面もあります。とてもとても、悟りすました顔をすることはできませぬ。
それにつけても、雑書ばかり読んでいるといけません。本格的な文献にあたって、本格的な読書をしていかなくてはなりません。
それがわたくしの永遠の発達課題でありましょうから。
また明日!