と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ちょっと調べて

2010年01月21日 19時55分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 子どもの遊びの変遷ということをちょっと調べておりました。

 なかなか楽しいものです。性役割によっても違いますし、時代によっても異なります。

 昭和30年代の子どもたちの遊びは、それこそベーゴマやメンコでありました。地域性でも違ってきます。

 人間発達ということで、これは実に重要なことです。

 教員である以上、こうしたことは常識に属することですから、最新の情報をいつも得ておかなくてはなりませぬ。生徒理解に欠かせません。

 本校生徒をどう理解するかというその点に限っていろいろ実践しています。問答形式で50問くらいのノートにしました。A4のルーズリーフで両面印刷です。けっこう長期間にわたりました。

 

 
 池波正太郎先生(作家)は、作家自伝『池波正太郎』(日本図書センター、
1998)の中で、自分が小学生だった時の遊びと現在の子供の遊びを比較
しながら、書いています。

 大岡昇平先生(作家)も、自伝的小説「少年」で書いています。大岡先生の方は、人間発達を考える上で貴重な資料となると教えていただき、読みました。こちらもなかなかのものでありました。こちらは縦断的理解と言って、発達教育学の研究対象にもなる小説だそうです。文庫でもあるのですが、店頭では入手できないようです。わたくしはインターネットで買いました。古本でした。


 ここでは、池波先生の文章だけを以下に引用させていだたきます。

「上の学校へ行けぬ者は、働きに出る。私は株式仲買店へ行ったが、その
他にも、さまざまな職種があった。たとえば、私が子供の頃の同じ町内には、
下駄屋があり、炭屋があり、油屋があり、経師屋があり、三味線、洋服、弓
矢、仏具、看板、寿司、洋食、鰻、菓子、精肉、魚など、数え切れぬ小さな
店がたちならび、町内から一歩も出ずに、すべてが間にあったのである。
 私が小学生のころ、たとえば担任の若い先生が、日曜日になると、自分
の下宿へ教え子を交代で招び、牛肉の細切れのすき焼きを食べさせてくれた
り、小説が好きな生徒について来てくれて、古本屋で本を値切ってくれたり
した、そんなことが、いまもあるのだろうか……。
 母から貰った小遣いをためこみ、大好きな映画を見た後、デパートの食
堂へ一人で入ってビフテキを注文し、ウェイトレスから「こんなことを子供
のくせにしてはいけないのよ。今度だけよ。」などと、やさしく言われたり
することがあるのだろうか。……。
 下町の、ひろびろとした空地の闇の中で、木刀を振り回したり、ベイゴ
マをまわしたり、材木置場を猿のごとく駆けまわったりすることがあるだろ
うか……。
 夏の縁日で蛍を買って来て、青い蚊帳の中へ放ち、点滅する蛍の光をう
っとりとながめながら眠りにひきまれてていくやうなことが……いや、これ
はない。ないにきまっている。
   作家自伝『池波正太郎』(日本図書センター、1998)より引用



 いかがですか?

 非常に個人的な思い入れがあるかもしれません。
 池波先生は大好きですから。

 江戸文化というのも、ここから興味が湧いてきます。
 なんでも勉強の対象になります。



 もう1200字を越えました。
 この辺でやめましょう。
 
 しかし、こういう手がかりから、最近は配偶者選択の過程とか、男女の役割、ジェンダーまで興味関心が広がっております。教えてくださる方あっての、日々勉強であります。

 なかなかお返しすることができないのが、自分自身に対する不満でありますが。



 今日は、朝のいい天気と、夕方からの天気が一変してしまいましたね。
 体調には、十分すぎるほどお気をつけなさいませ。

 皆さんにとっても、誰にとっても大事なお体ですよ。

 
 また明日。

 
 



コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/